第五話 二転三転
「どういうこと? バゥト伯は納得してくださっていたのではなかったの!?」
タルタル領内に入り、ジャラール軍が占領した町の庁舎の一室で、モニカは困惑して叫んだ。
精強なバゥト辺境伯軍が敵に回り、国王軍と足並みを揃えられたら、ジャラールといえども対抗するのは難しい。
「モニカ嬢、失礼する」
秘書官たちを連れて入室して来たジャラール王子は、いつになく険しい表情だった。
「殿下、どうかなさいましたか?」
モニカが尋ねると、ジャラールは眉根を寄せて、
「バゥト辺境伯軍が攻撃を仕掛けてきた理由が判明した。辺境伯軍というか、伯の弟のベルクという男の手勢だがな」
「ベルク殿が……、して、どのような理由だったのでしょう?」
するとジャラールは、ますます渋面を深め、絞り出すように言った。
「そなたに振られたと思い込んだかららしい」
「はぁっ!?」
モニカが素っ頓狂な声を上げる。
詳しく聞くと、以下のような事情であったらしい。
バゥト辺境伯の許にモニカからの密書が届き、それには、伯の弟ベルクを夫に迎えて共にタルタルを支えていこうと思う、ついては、王都に帰還して身の潔白を証明するから、辺境伯家の助力を乞いたい、といった旨が掛かれていたという。
それを読んでベルクは舞い上がり、腰の重い兄を急かせて兵を動員させたのだが、そこへある噂が流れた。
いわく、モニカがファーリーズのジャラール王太子と共にタルタルに乗り込んでくるのは、身の証しを立てると同時に、彼との結婚を宣言するためであると。
そして同時に、戦死したグリュック王子に代わる王位継承権者として、タルタルの玉座に座るためだと。
噂を耳にするや、ベルクは一転して荒れ狂い、ついには独断でファーリーズ軍に攻めかかるに至ったのだとか。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、モニカは言葉を失った。
「まったく、ひどい話だな。そもそもタルタル王はまだ健在だというのに。それに、モニカ嬢、そなた、王位継承権など持っておったのか?」
「はあ。我が公爵家は過去に何度か王家と通婚していますから、一応は。とはいえ、真面目に継承順位を論じるのも馬鹿馬鹿しい程度の血統ですよ」
「やはりそんなところか。おおかた、王家の側が流したデマだろうな。そなたに反逆の意志ありとでっち上げるつもりだろう」
「いやらしいやり口ですが、効果的なのは確かですね」
「まったくだ。取りあえずベルクとやらは撃退して、今のところ向こうから再度仕掛けてくる様子はないが……。残念ながら話はこれだけでは終わらんのだ」
ジャラールが溜め息交じりに言い、モニカは首を傾げた。
「と、おっしゃいますと?」
「グリュック殿が亡くなった後、タルタル王の息子は三人。そうだったな?」
「はい。トラキナ妃のお子はグリュック殿下だけですが、その他に、それぞれ別々の側室の方々がお産みになったお子が三人いらっしゃいます」
「うむ。そしてその実家は、いずれもそれなりに有力な貴族たち、ということで、彼らに宛てて、トルイ公爵家がその子の立太子を支援することをモニカ嬢の名において保証する、と書かれた文書が、国中に飛び交っているとか」
「そんな無茶苦茶な! 第一、それこそ国王陛下はまだご健在だというのに! 受け取った方たちは、まさか真に受けたりはしていませんよね?」
「ああ、そのようだ。ただ、その文書には、そなたがグリュック殿の政務を肩代わりしていた時に用いていた印章が確かに押されていたということで、半信半疑の者もいるらしい。先の辺境伯家宛ての文書にも、印章が押されていたようだ」
それを聞いて、モニカが眉を顰める。
「印章? いえ、私が追放される時に印台指輪は取り上げられてしまいましたから、押せるわけが……」
言いかけて、モニカは絶句した。
つまり、彼女の印章は現在敵の手中にある。
「やられた……! そうやって私の、ひいてはお父様の、信用を失墜させようという魂胆か! 殿下、私の父は現在どうしておりましょうか?」
「ああ、トルイ公なら、タルタル王の傍を離れ、兵を補充するという名目で本拠地に立てこもっているようだ」
「そうですか。それはよろしゅうございました」
さすがはお父様、機を見るに敏だと、ほっと胸を撫で下ろすモニカだったが、考えてみれば、これでもうトルイ公は、我が娘の首を差し出して国王に詫びを入れる、というような段階を通り過ぎてしまったことになるだろう。
彼を必要以上に追い詰めたのは、敵にとっては失策だったのではないだろうか。
「どうも敵の考えていることがよくわかりませんね」
「俺も同感だ」
「殿下、折り入ってお願いがございます。私を父の許に行かせてはいただけませんでしょうか。善後策を話し合いたいと存じます」
モニカが許しを請うと、ジャラールは冷ややかな眼差しを向けた。
「そうはいかん。モニカ嬢、まさかそなた、ファーリーズに厄介事を持ち込み、俺を散々振り回しておいて、トルイ公爵家の好意がその礼だなどと言って済ませるつもりではあるまいな?」
「え? では私にどうしろとおっしゃるのでしょうか?」
嫌な予感がする。
胸騒ぎを覚えながら、モニカは尋ねた。
「決まっているだろう。バゥト辺境伯のところに流れた噂を事実にしようと言っているのだ」
やはりそうきたか。モニカは胸の奥で溜め息を吐いた。
正直に言って、ジャラールは優れた武人であり見た目も凛々しい偉丈夫。そして、野心家ではあるがその野心を御せるだけの理性も持ち合わせており、お互いがもっと別の立場であれば、モニカも良い縁談だと喜べただろう。
しかし二人は、タルタル最大の貴族の令嬢と、たびたび戦火を交えて来たファーリーズの王太子という間柄だ。
両家の結びつきを深めるというメリット以上に、各方面に敵を作るデメリットの方が明らかに大きいだろう。
それがわからぬジャラールではないと思っていたのだが……。
「俺も、どうやら王太子である前に一人の男であったらしい」
何を言っているのだこの男は。
いささか幻滅しながら、さりとてあまり怒らせるわけにもいかず、モニカは柄にもなく四苦八苦しながらどうにかジャラールを宥めた。
そうこうしているうちに、国王直属の部隊が怒涛の勢いでジャラール軍に迫りつつあった。
バゥト辺境伯家の軍も、必ずしも積極的ではなさそうだが、タルタル王につくことに決めたらしく、こちらに向かっている。
トルイ公も、娘を救うために兵を動かし国王軍と全面衝突することは避けたいようで、モニカとしてはジャラールに独力で危機を脱してもらうしかない状況だった。
その状況が、またしても妙な成り行きでひっくり返った。
王都の守備軍が、突然バゥト辺境伯軍に攻撃を仕掛けたのだ。
それをきっかけに、バゥト伯は国王に隔意を抱いたが、翻って再びモニカおよびトルイ公と組むこともせず、戦況は三つ巴の膠着状態に陥った。




