第二話 冤罪
「モニカ! 貴様との婚約を破棄する!」
突拍子もないその言葉に、モニカは絶句した。
しかし、黙って受け入れることなどできるはずもない。
「ご冗談はお止めください、殿下。何の故あって、そのようなことを仰るのでしょうか」
反論するモニカをグリュックはきっと睨みつける。
「貴様は、ちょっとばかり頭が良いからと自惚れて俺のことを見下し、くだらぬことをぐちぐちと言い立てて全く可愛げがない。その上、俺が可愛がっているアグリに嫉妬して、嫌がらせをしているというではないか」
「はあ!? 私はガーミッシュ男爵令嬢とはほとんど面識もありませんし、嫌がらせなどする機会すらなかったかと存じますが?」
グリュックの科白の前半部分については、モニカにも言い分はあるにせよ全く的外れとは言えないが、後半については、言いがかりも甚だしい。実際、アグリ嬢とは顔と名前を知っている程度の間柄にすぎないのだ。
「まさか、そんな理由で婚約破棄を?」
モニカが呆れながら言うと、グリュックは冷笑を浮かべて答えた。
「『そんな理由』とは随分不敬な物言いだな。だが、確かにそのような理由で貴様との婚約を破棄できるなどとは俺も思っちゃいない。チャパティ侯」
グリュックが振り返って声を掛けると、一人の中年男性が一礼して進み出た。
チャパティ侯爵。
法務大臣の要職にあり、王国の文官たちの一大派閥を牛耳る大物貴族だ。
そういえば、ガーミッシュ男爵家はタルタル王国の譜代ではなく、征服された国――メルゲン王国の元貴族だが、現在は文官としてチャパティ侯の下で働いているのではなかったか。
「モニカ嬢にお聞きしたい。貴女は、複式簿記というものをご存じかな?」
いきなり妙なことを尋ねられ、モニカは困惑しながらも素直に答えた。
「はい、もちろん存じています。近年、各国で導入が進められている画期的な会計方法ですね。我がタルタル王国でも導入すべきと考え、準備を進めているところですが……」
「ほう。それは貴女がご自身で推し進められるということかな?」
チャパティ侯の眼が冷たく光り、薄気味悪さを感じながらも、モニカは頷いた。
「はい」
「ふむ、さもあろう。他の者に手を出されては、不正が露見してしまいますからな」
「は? 何のことを仰っているのでしょうか」
心底困惑するモニカを冷ややかに見つめながら、チャパティ侯は少々芝居がかった仕草で告げた。
「国庫金の帳簿を精査した結果、不自然な金の流れが複数見つかった。そのいずれもが、トルイ公爵家と近しい商会が関わるものだ」
侯の言葉を引き継ぐように、グリュックが大声で怒鳴る。
「モニカ、貴様! 頼みもせぬのに恩着せがましく仕事を代わりにやってやったなどと言いながら、その裏で私腹を肥やしていたのだな!」
モニカは深く深呼吸し、どうにか心を落ち着かせた。
あやうく、淑女の慎ましさをかなぐり捨てて、王太子殿下を怒鳴りつけてしまうところだった。
頼みもせぬのにと言うが、本来ならグリュックがするべき仕事を肩代わりしてやっていたのは、何も好き好んでのことではない。
しかも不正を働いていたなどと言われては、心外極まりない。
「私は誓って不正などしておりません。その不自然な金の動きとやら、私にも確認させていただけますか?」
そうチャパティ侯に訴えたが、またしてもグリュックが横から口を挟んだ。
「迂闊に渡せるものか。証拠隠滅を図られてはたまらんからな!」
「そんなことは……」
反論しようとしたモニカを制するように、女性の声が響き渡った。
「モニカ嬢がそのようなことをするはずがないでしょう!」
大声でタルタル王国王太子を叱りつけたのは、彼の母であり王妃であるトラキナだった。
「元はと言えば、あなたが放置していた仕事を、私が頼んでやってもらっていたのよ。あなたは、私に人を見る目がなかったと、そう言いたいの?」
グリュックは一瞬言葉に詰まったが、すぐに母親に言い返した。
「ええ、失礼ながら、お目が曇っていたようですな。このような女狐を信用なさるとは」
「それが母親に向かって言う言葉ですか!」
この国で最も貴い母子の不毛な言い合いが始まり、周囲の者たちははらはらしながら成り行きを見守っていたところへ、一人の男が口を挟んだ。
「王妃様の仰るとおりです。モニカ嬢はそのようなことをするお人ではありません」
その蛮勇の持ち主は、名をベルクといい、タルタル王国西部の広大な領地と精強な兵を有するバゥト辺境伯の弟だ。
伯自身は領都で西方に睨みをきかせているが、弟は王都に滞在しているのだった。
「ベルクか。口を挟むな、慮外者が!」
「いいえ、この際ですので言わせていただきたい。殿下はタルタルの王位継承者としてのご自覚があまりに乏しいのではありませぬか」
「何だと!」
腰の剣に手を掛けたグリュックを、周りの者たちが慌てて止め、一方ベルクの側にいた者たちも、強引に彼を跪かせた。
一触即発の状況はどうにか回避され、トラキナ妃の裁定で、モニカは自宅謹慎を申し渡された。
彼女が不満だったことは言うまでもないが、王妃の顔を潰すわけにもいかず、ぐっと堪えて処分を受け入れるしかなかった。
屋敷にこもったまま、家臣たちに情報を集めさせたモニカだったが、状況は芳しくなかった。
彼女が思っていた以上に、タルタル貴族の最高位にして最大の軍事力を有するトルイ公爵家に対する反感は根強く、モニカが白であろうが黒であろうが、王太子の婚約者の座から引きずり降ろされることを望む者が多いようだ。
トラキナ妃もあの場では味方してくれたが、どこまで頼りになるのかは心許ない。
絶対的に味方をしてくれそうなのは、以前からトルイ公爵家と親しいバゥト辺境伯家、中でもモニカに個人的な好意を寄せているらしいベルクくらいのものだった。
トルイ家とバゥト家、両家の軍事力を合わせれば王家をすら圧倒するが、だからといって迂闊に兵力をちらつかせれば反逆の汚名を着ることになりかねず、武骨者のベルクは政治工作は得手ではない。
そして一月余り後。
国王もトルイ公も前線に留まっており王都に不在の状況で、モニカの国外追放が決定された。




