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欄外  作者: メモ帳
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アンベール侯爵家の神童 中編

 妹のセリアが騎士として第一部団に配属されると、カリーヌの世界は一層楽しくなった。リッドからの差し入れは二人分に増え、セリアがリッドに賄賂だなんだとケンカを売る部分も最初は焦ったが慣れると面白く見える。セリアの問いかけは経費を使っているかどうかの確認で、それを受け取ることで第一部団に不利益がないか知りたかったらしい。


 むしろそれを知った時、与えられるまま受け取っていたカリーヌは己の愚かさを猛省していた。だが妹だけでなくリッド本人から「その素直なカヌちゃんだからいいんだよ」と言われてしまえば照れる以外にできなくなる。




 けれどそうして第一部団に慣れた妹が、初任給の使い方を話す中で後見人について問いかけてきた。カリーヌたちの後見人は帝国六大公のひとつであるディラン公爵だと聞いている。けれどカリーヌはお礼状から始めたお手紙のやり取りでしか公爵の事を知らない。


 季節ごとに給金から贈り物を用意して、新年にはお礼状をしたためる。そして相手のお返事で親族が出産したなど知れば、お祝いの品として健康に育つことを願う意味の刺しゅうを施したガーゼや、冬ならひざ掛けなどを編んで贈った。そしてその返事には親類の方が選んだのだろう美味しい茶葉などをもらう。そんな貴族の令嬢なら当たり前の関わりしかしてこなかったからだ。


 そんな説明を聞いた妹は若い人らしいんだけどと言い出す。


「わたしと同じ学年にアニエス・ディランっていう女の子がいたから聞いたことあるの。ディラン公爵はよく今回のように外国人の後見人とかやってるのかって。そしたらアニエスちゃん、その程度は普通にあるって言ってたのね。なんなら六大公はそれぞれ孤児院を作って難民の孤児とか保護したり、難民そのものの保護施設も作ってるって。まあ今の時代だと戦争難民じゃなくて、魔物に住んでたところを焼かれた人になるけどね」

「ではわたくしたちの後見人になることは、ディラン公爵様のご負担になっていないのね?」

「もしアンベール家がケンカ売ってたら、そこで迷惑はかかるかもしれないけどね。でもわたしたちがここにいることを親たちは知らないから、そういうこともないよ。でもさ? そういうことじゃなくて、姉上はこんなにキレイで可愛らしいくて、なにより竜王国最高の令嬢だったんだよ? そんな姉上に中年のオッサンな公爵が目をつけて妻にーとか言い出したら嫌だなって」

「そんなことはありえないわよ。わたくしはもう令嬢ではないもの」


 妹の過大評価を笑ったカリーヌは自分の手に目を落とした。17で王立学園を逃げてから三年が経ち手もすっかり荒れてしまっている。こんな醜い手をした令嬢などどんな国にもいないだろう。それに手だけでなく顔なども竜王国にいた頃より日に焼けて荒れてしまっているはずだ。もうずっと鏡をきちんと見ていないから、自分がどれほど令嬢から遠ざかったかわからないが。


 けれど優しい妹は、カリーヌを慰めるように肌は前より綺麗になってる気がすると言ってくれる。そしてそんな優しい妹にこそきちんとした相手が現れることを願ってやまない。そのためなら自分は高齢貴族の後家でも何にでもなるからと。




 カリーヌは竜王国で信頼できる方にお願いして家名を借りている。けれど養女になったわけではないので伯爵令嬢にはなれない。そして竜王国ごと実家を捨てた時点で侯爵令嬢でもなかった。つまり平民で、孤児で、第一部団の騎士という肩書を有している。

 それでも騎士として毎日大量の書類を処理する仕事は楽しく、剣の修練も特別得意ではないが楽しかった。竜王国にいた頃はコルセットで身体を潰して、走ることすらはしたないことだと教えられている。そうして生きてきたカリーヌは、とにかく身体を動かすことが楽しくて仕方ない。




「カヌちゃんって刺しゅう得意?」

「子供時代はそれなりにたしなんでおりましたので、今もそれなりには」

「なるほど。実は帝国の宮廷には白百合のモニカって呼ばれる元美少女がいたんだけどさ。その人に刺しゅう入りの何かを贈りたいんだよね。でも現在みんな同じような理由で有名針子を使ってるから頼む先がなくて」


 いつものように書類とお菓子を持参して現れたリッドのその説明をカリーヌは途中からうまく聞けていなかった。驚きに目を見開きながら、震える手で匙をつかんで紅茶をかき回す。


「ええええと、リッド様はその美少女様に贈り物を…」

「白百合のモニカ姫って今の副団長夫人じゃないです?」

「うん、セリアちゃんは知ってたんだね。あとカヌちゃん紅茶飛び散ってるよ」


 大丈夫かと問われたカリーヌの隣で、妹が知ってると言いつつ布巾でテーブルを拭いてくれた。


「白百合のモニカ伝説みたいなのは、中等教育機関の間にアニエスちゃんから聞いてたので。なんならアニエスちゃんと一緒に生の白百合見ましたよ。めちゃくちゃ美人様ですよね。今は30歳くらいです?」

「そうそう。もうすぐ子供が生まれるからみんな贈り物をってなってるんだよ。あそこは副団長に似てもモニカちゃんに似ても可愛くなるから楽しみだなって。だから針子が早い者勝ちで消えちゃうんだけど」

「リッドさん近衛騎士なのに祝い事の準備で出遅れるとかあるんですね」

「そんなのよくあるよ。そして先輩たちに叱咤激励される日々だよ。あとあわよくばオレもカヌちゃんから刺しゅう入りのハンカチとかほしい」

「は?」

「ん? ダメ?」


 リッドからの思わぬ依頼に絶句するカリーヌの隣でセリアが低い声を出した。だがリッドはわからない様子で難しいかなと問いかけてくる。

 そのためセリアは深いため息の後になるほどとつぶやいた。


「竜王国でも近年はあまりないですけど、女性に刺しゅう入りの何かを求めるって竜の心臓と引き換えの話ですよ」

「竜の心臓が求婚の時に使う云々は聞いた気がするよ」

「そうです。祖父時代には青い刺しゅう入りのハンカチとか求めて、それに竜の心臓を包んで渡す風習だったんです。リッドさんいま遠回しに姉に求婚してましたからね。告白と婚約期間を飛び越えて求婚するなんて許されません。他のオンナは良くても姉にはダメです」

「えー……、竜王国だとそんな大事になっちゃうんだね。でも帝国の宮廷では流行ってるんだよ。刺しゅう入りのハンカチを胸のポケットとかに入れておくと悪いものを除ける効果があるっていう」

「そんなものが宮廷で流行るんです?」

「流行るんだよ」

「でもそれって、女の子からアタックされてて嫌だから、姉の刺しゅうを虫除けにしたいってことですよね?」

「だってオレの貴重な女の子友達のモニカちゃんには頼めないからさ。あと第一部団長の妹ちゃんとも友達なんだけど、そっちに頼んでみたら丁重にお断りされたよね。刺しゅうから素性が知られる宮廷でのそれは、こっちを問題に巻き込むからって」


 リッドの話を聞くにつれ、カリーヌは自分に頼みを向けた理由を理解した。つまりのところ彼はこちらに個人的な何を求めたりはしていないのだ。ただカリーヌの刺しゅうは帝国内で知られていない。だから刺しゅうの出来栄えでどこの誰と推測されようがないから、頼むのに都合がいいのだ。


「かしこまりました」


 求婚でも何でもないと納得したカリーヌは落ち着きを取り戻すと笑顔で承諾した。しかしリッドはそんなカリーヌに苦笑を見せる。


「オレの敗因は竜王国文化の勉強不足にあるんだろうね。変な誤解させてごめんね」

「いいえ、わたくしごときでリッド様のお役に立てるならなによりです」

「オレは君がこの国で一番の幸せを手に入れるためなら何でもできる男だけど、オレの役に立てなんて言えないかなぁ」

「しかし」


 自分の価値は周囲の称賛を受けることで、親に恥をかかせないことだけだから。そう出かかった言葉が、リッドの手が皿を前に進めたことで止まった。そうして皿に目を落とせば、そこにはリッドが差し入れてくれたカヌレがある。

 きっとこれも昨年と同じく解毒効果のある薬草が入っているのだろう。優しいリッドはそうやってずっと気遣ってくれている。


「カヌちゃんは、自分が帝国騎士団で一番人気の女性騎士だという自覚を持って良いと思うよ。そしてオレは面談を担当したという縁を悪用して、こうして君との会話を楽しませてもらってる。だからもし君が心から好きだと思える相手と出会ったなら教えてほしい。お膳立てはするから」


 それはあなたのことですが。そう言いたい衝動をぐっと飲みこんだカリーヌは、リッドが立ち上がるのを見た。竜王国では、令嬢が告白するなどはしたない行為は絶対に許されない。

 けれどもし自分が男なら、今この瞬間にリッドへ思いの丈を吐き出していただろう。きっと帝国に存在する同性愛の文化というのは、そういうところから生まれているのかもしれない。女では言えないことも、男なら好きなだけ告げることができるから。



 大昔の竜王国の令嬢たちも、自分から男性へ想いを告げることははしたないことだとされていた。むしろ令嬢たちは親が決めた嫁ぎ先に向かい、そこで優れた子を産むことだけを求められる。つまり令嬢たちにし自分の恋をかなえる自由など最初からなかった。

 だから令嬢たちはせめて政略で結ばれた相手が自分を大事に思ってくれるようにと、思いを込めて針を刺す。


 そしてカリーヌもリッドへの思いを込めて寝る間や休みの日など、時間を作っては刺しゅうを作り上げた。白いハンカチにそれぞれ鳥や花など縁起のいいものを描く。竜王国では刺しゅうで竜を描くことは不敬となるが、青い糸で鳥を描くことは一般的とされていた。


 かくして出来上がった三枚のハンカチを、お祝い用に作った刺しゅう入りのガーゼハンカチとともにリッドへ渡す。早く渡さなければと第一部団の執務室ではなく、王城四階にある近衛騎士団の執務室前に来たが問題はないはずだ。ここも騎士区画で一般人の立ち入れは禁じられているため、刺しゅうの作者が誰かと知られリッドに迷惑がかかることはない。


 そうして廊下の片隅でハンカチ類の入った紙袋を渡すと、リッドはいつもと変わらない笑顔で礼を言ってくれた。竜王国では刺しゅう入りのハンカチなどもらえば大騒ぎになる。しかしここは帝国で、リッドは帝国騎士だった。

 しかも自分のハンカチは虫除けのために求められたにすぎない。


「このお礼はどっかの機会でさせてもらうね」

「いいえ、いつも美味しいお菓子をもらってますから。それにリッド様の」

「オレは君を一番幸せにしたいと目論む男だよ。役に立つくらいなら幸せになってほしいくらい」


 正面から幸せにしたいと言われたカリーヌは真っ赤な顔で口を引き結ぶ。とたんにリッドがやり過ぎたと苦笑するが、カリーヌは自分の顔を両手でおおっていてそれも見えていない。


「カヌちゃんにとっての幸せってなに?」


 顔を両手でおおったカリーヌは耳元でささやかれて身を固める。この距離感では心臓の音でリッドに想いが知られてしまいそうだったからだ。


「あなたはこんな往来で何をしているんですか」


 そこへ鈴なりのようにさわやかで理性的な女性の声が届く。その瞬間からリッドはカリーヌから離れ背を向けていた。そのためカリーヌは手を離すとリッドの後ろから声の主を見る。

 すると長い黒髪と芸術品のような美貌を持つ女性がいた。


「ウィルタさんこれは違うよ。幸せとは何かみたいな話をしていただけだよ」

「その距離感で?」

「だって普通の距離感で聞いたら変じゃない? オレ神官に転職するつもりはないし」


 美女の追及にリッドは焦ったように言葉を並べる。そのやり取りから関係性を模索したカリーヌはひとつの結論を手にしていた。


「リッド様は恋のお相手が」

「違うよカヌちゃん!」


 答えを口にしようとしたカリーヌの目の前で、リッドがぴょんと飛んで美女とカリーヌの間に移動した。


「こちらは緑の魔力剣ウィルタさんなんだよ」

「え、え?? あの竜の賢女様とおなじ魔力剣なのですか?」

「そうなんだよ。だからオレが子供だった頃から変わらず保護者のようにしてくれて、今も淑女との距離感の非常識さを叱られるところだったんだ。むしろオレのほうも、カヌちゃんの反応が可愛くてついつい距離が近くなっちゃった自覚あるからお叱りは甘んじて受けるつもりだけどね。でもカヌちゃんの名誉のために、変なことはないよと説明しなきゃなわけで」

「かわわわわわ」


 反応が可愛いと言われてしまったカリーヌは気が動転したまま見苦しい声を出してしまった。とたんにウィルタと紹介された美女が笑いをこぼし、リッドも彼女に同意を求めている。そうしてカリーヌは伝説の武具である魔力剣にまで可愛い女の子と褒められてしまった。

 ただそれでも頭の片隅にカリーヌ自身の幸せを問う声も残る。


 この国に来た当初のカリーヌにとっての幸せは、妹が幸福の中で笑っていることだった。けれどそれは初対面のリッドから間違いだと指摘されている。カリーヌ自身が妹セリアの幸福を願うように、セリアもまた姉の幸福を願わないわけがないと。むしろ姉の幸福を無視して自分だけ幸せになるような妹ではないだろうと、リッドは会ったこともない妹の性格を言い当てていた。

 そしてきっとそれは正しい。むしろリッドの言葉はいつも正しかった。きっとそこはカリーヌより10歳も年上であるためなのだろう。リッドは大人で、熟練の帝国近衛騎士だから聡明でいつも正しい。


 そしてカリーヌは、そんなリッドの役に立てたら十分に幸せだと思っていた。


 リッドからの質問はウィルタのおかげでうやむやになっている。そのためカリーヌはそのまま仕事に戻る旨を告げて近衛騎士団の区画を離れることにした。




◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 華奢な女性騎士の小さな背中を笑顔で見送ったリッドは、彼女が階段を下りるのを待って視線を移す。そこにはいつものように涼やかな魔力剣の実体映像がいた。


「ウィルタさん、今のわざとです?」

「相手は順序を間違って許される立場ではない、ということは承知してるわね?」

「それはまあ……妹のセリアちゃんから習いましたよ。竜王国では、告白と婚約期間を経ないと求婚できないって」

「ええ、そうね。さっきの光景をアイリーンが見たら激怒していたと思うわ。でも、政略結婚であれば婚約期間を好きに設定できるのよ。幸いなことに彼女は子供時代に『竜王国最高の令嬢』と呼ばれていたのだから、あなたと釣り合う相手ではあるわ」

「それは無理なんだよね」


 紙袋に目を落とし開かせたリッドは中からハンカチを取り出す。ハンカチに記されていた刺しゅうは素晴らしく、そこらの淑女では真似できないような青色の鳥が描かれていた。


「そんな結婚じゃあの子を一番幸せにできないでしょ」

「そうかしら? 帝国内のすべての淑女がディラン公アストリッドの花嫁になることを望んでいるのに」

「でもあの子、帝国淑女じゃなくて自力で妹を幸せにしたい竜王国の令嬢なんだよ。知らないうちに親から毒を飲まされて、問題しかない男爵家と政略的な婚約を結ばされてる。そこまでされても復讐だなんだなんて思わずに、妹の幸せかオレに尽くすことしか考えてくれない。そんな素直で純粋で不憫な子を幸せにしてあげたいんだ」

「では答えはひとつになってしまうわね」


 いつも冷静なウィルタは涼やかな表情のままリッドの手元を指さした。そこにはカリーヌが刺しゅうしたハンカチがある。


「彼女に毒を与えた者たちを駆除した後にアンベール侯爵家からの除籍手続きを。そして竜王国の英雄リズロット伯爵の養女とした後に、竜の心臓をハンカチの枚数だけ買わなければいけないわ」

「それは数日でできることじゃないね」

「そうね……。まずは宰相に相談して、竜王国へ介入する機会をうかがいましょう。幸いなことに夏からアニエスさんも留学してさらに深く関わるようですし」

「うーん、宰相や帝国騎士団が関わることがあるってのも嫌なものだけどね」


 平和が一番だからと笑ったリッドは、改めて手元のハンカチを見る。小さな黄色の花を散らし、緑の木々を描き。その刺しゅうを作るのにどれほどの時間がかかっただろうか。そんな力作を自分のために指してくれたのだと思うだけで嬉しかった。





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