第3話 お絵描き配信、始めました
夜の二十一時。
俺は自室の作業デスクで、少し緊張しながら配信ソフトの画面を見つめていた。
配信タイトルはシンプルに設定した。
『【作業配信】娘の新衣装ラフ描く【Shiro】』
これまでまひろとして滅多に配信してこなかったチャンネルだ。登録者数はそれなりにいるとはいえ、告知も夕方にXで一言呟いただけ。集まるとしてもせいぜい数百人、多くて千人程度だろう――そう高を括っていた。
だが、配信開始の五分前。
画面に表示された待機枠の数字を見て、俺は目を疑った。
「……は? 待機人数、八千人……!?」
目を擦って見直すが、桁は見間違いではなかった。
配信開始ボタンを押した瞬間、同接カウンターは一気に一万五千人を突破し、コメント欄が視認不可能な超高速でスクロールを始める。
『きたあああああ!!』
『Shiroママのお絵描き配信待ってた!』
『昨日の今日で供給多すぎて死ぬ』
『ママあああああ! 声聞かせてえええ!』
(うわ、めっちゃ人いる……! 前世の社畜時代にやってた同人ゲームの体験版配布より緊張するぞ……!)
ごくりと唾を飲み込み、俺はマイクのミュートを解除した。
「……あー、マイク入ってますか? こんばんは、Shiroです」
とっさに清楚系の落ち着いたトーンを意識し、少しアンニュイな声を作る。
その瞬間、コメント欄が弾幕のように吹き荒れた。
『ダウナー美少女ボイス助かるううう!!』
『声が良すぎて鼓膜が溶けた』
『こんばんはママ!』
『今日も今日とて透明感の塊』
「あはは……みんな集まってくれてありがとね。今日は、うちの娘……天音りりかが、夏衣装が欲しいってうるさいから。ちょっとラフを描いていこうと思います」
ペイントソフトの画面共有をオンにし、真っ白なキャンバスを映し出す。
コメント欄が「娘呼びてぇてぇ」「りりか新衣装まじ!?」「水着くるか!?」と騒ぎ立てる。
「あ、先に言っとくけど水着じゃないよ。ビキニ? 着せるわけないでしょ。あんな露出狂みたいな恰好、親として許しません。長袖パーカーとショートパンツです」
『ステージママの鉄壁ガード草』
『「着せるわけないでしょ」のキレ味すき』
『ビキニを断固拒否するママ助かる』
「だってあいつ、配信中によく大股開きになるし……。健全な配信活動のためには、ガードの堅い衣装が一番なの」
ぶつぶつと言いながら、俺は液晶ペンタブレットにスタイラスペンを走らせ始めた。
カサカサ、とペン先が液晶のアンチグレアフィルムを擦る心地よい音がマイクに微かに乗る。
いざ作業が始まってしまうと、前世のプログラマー兼同人作家の「締め切りに追われる職人メンタル」が勝手に起動してしまった。
「……っつ、痛てて……。最近、肩と腰がガチガチでさぁ。四十肩かな……あ、いや、二十二歳だけど。運動不足だわ、完全に」
首を左右に傾け、ゴキゴキ、ポキッと派手な関節音を鳴らす。
二十二歳の美少女の身体とは思えない、完全に中年男性のストレッチ仕草だ。
『四十肩www』
『二十二歳で四十肩は草』
『関節ポキポキ鳴らすダウナー美少女概念』
『生活音の生々しさよ』
「んー、ここのパーカーのフードのシワだけどさ……」
集中するあまり、無意識にスタイラスペンの後ろ側を歯でカチカチと噛む癖が出る。
さらに、線の重なりを細かくチェックしようと、モニターに顔を近づけた。
デスクのアームに固定された高性能コンデンサーマイクの至近距離に、俺の吐息がふっと触れる。
「……すぅ……はぁ……ここ、もうちょっと影を落とした方が……」
『!?!?!?』
『今の吐息何!?!?』
『耳元で美少女の息遣いが聴こえたんだが!?』
『ASMR配信だったか……?』
『死人が出るぞ落ち着けお前ら』
『おっさん仕草とエロボイスの落差で風邪引くわ!!』
コメント欄が突然の大混乱に陥る。
本人はただ単に近視の社畜オタクが画面にへばりついているだけなのだが、リスナーにとっては至高のバイノーラル音声に化けていた。
「ん? みんな何騒いでんの? ……あー、喉渇いたな」
足元の小型冷蔵庫から、缶を一本取り出す。
指をかけて、小気味よい音を響かせた。
(カチャッ、プシュッ!)
「……ふぅ。五臓六腑に染み渡るわぁ……」
『プシュッきたあああああ!!』
『五臓六腑wwwwww』
『ママ! それ何飲んでるの!?』
『どう見てもビールです本当にありがとうございました』
「え? 炭酸水だよ、炭酸水。レモン風味のやつ。作業中はお酒なんて飲まないから。……ほんとだよ?」
『嘘つけ絶対プレモルだろwww』
『「ほんとだよ?」の誤魔化しボイス可愛すぎる』
『酒飲み美少女ママ助かる』
からかわれつつも、俺の手先は一切止まらない。
雑談とおっさん仕草で油断させておきながら、画面上のキャンバスには凄まじいスピードで神レベルの線画が紡ぎ出されていく。
だぼだぼのサマーニットから覗く華奢な鎖骨。
絶妙なシワの質感を描き分けたショートパンツ。
スポーティなスニーカーのソールに至るまで、前世の構造計算と現世の画力が融合した圧倒的な説得力が画面を支配していく。
『……ていうかさ、絵が上手すぎる』
『ペン入れの速度バケモンだろ』
『雑談しながらこのクオリティの線引けるの狂ってるわ』
『マジで神絵師だった(再確認)』
『りりかちゃん絶対これ似合うじゃん……泣いた』
(ふっ……見たか。中身がおっさんだろうと、俺は神絵師Shiroなんだよ)
コメント欄の空気が「おっさんイジり」から「プロへの畏敬」に変わったのを見て、俺は内心でほくそ笑んだ。これで昨夜の失点は帳消し――。
そう思った、その時だった。
コメント欄に、ひときわ目立つ黄色のフォントと専用バッジを掲げたアカウントが乱入してきた。
『【天音りりか】:ママー! 配信見てるよー! 新衣装めっちゃ可愛い! 最高! 大好き!!』
『うわあああ娘きたあああ!』
『りりかちゃん見に来てた!』
『ママの配信監視してる娘てぇてぇ』
「お、りりか。見てたのか。ほら、言った通りパーカーだけど、めっちゃ可愛いでしょ?」
俺が得意げに笑うと、りりかから即座にチャットが打ち込まれた。
『【天音りりか】:うん! 世界一可愛い! ……ねぇねぇママ! どうやってその神業みたいなペン入れしてるの!? ママの手元も見せてよー!!』
一瞬、思考がフリーズした。
そしてコメント欄が、娘の提案に便乗して爆心地のように炎上を始めた。
『手元カメラ!!』
『手元見たい見たい見たい!』
『神絵師のペンの動かし方見たい!』
『ママの手元配信頼むううううう!!』
(……手元? いやいや、手元くらいなら顔バレもしないし……別に減るもんじゃないか……?)
その甘い考えが、後に自分を追い詰めることになるとは知らずに――。




