第2話 俺の娘が世界一可愛い件
けたたましい電子音の連打で、俺は重い瞼を持ち上げた。
「……んあ? なんだよ、朝っぱらから……」
枕元に手を伸ばし、転がっていたスマートフォンを掴み取る。
画面を点灯させた瞬間、猛烈な勢いで流れ込んでくる通知の嵐に、思わず目を疑った。
X(旧Twitter)の通知件数が『99+』どころかカンストして壊れている。
フォロワー数は一晩で三万人以上も跳ね上がり、通知欄は引用リポストとリプライの濁流で埋め尽くされていた。
さらに、メッセージアプリの通知を開くと、そこには特定の人物からの特大の連投が並んでいた。
『ママー! 起きてるー!?』
『昨日の突撃配信、同接過去最高行っちゃったよ!!』
『リスナーみんなママのこと大好きになっちゃって嫉妬しちゃう!』
『「だーめ」の切り抜きがもう五十万再生いってるよ!』
『起きたら連絡してね! ママ大好き!!』
送信者はもちろん、我が愛しの娘――天音りりかである。
「……うそだろ……」
俺はだぼだぼのパーカーの袖を握りしめ、ベッドの上で頭を抱えた。
昨夜の光景が走馬灯のように蘇る。
過労死した前世の限界社畜プログラマーの記憶を思い出し、脳がパニックを起こしていたところに、りりかのゲリラ通話。
とっさに清楚系神絵師を取り繕おうとしたものの、図々しいおっさんメンタルが漏れ出し、娘のビキニ水着を一蹴。あげくの果てに作業用の缶ビールをプシュッと開けて「あー、うめぇ」と低音ボイスで呟いてしまったのだ。
「終わった……完全にやらかした……。清楚系クリエイターとしてのブランディングが一日で消し飛んだぞ……」
冷や汗を流しながら、恐る恐るXのトレンドを開く。
そこには無残にも、見覚えのある単語が堂々と鎮座していた。
『#Shiroママ』
『#うちの娘にはしたない格好はさせない』
『#作業酒』
震える指先で、一番上にあった切り抜き動画のポストをタップしてみる。
添えられたコメント欄を覗くと――。
『Shiroママの「だーめ」のトーン、保護者み溢れすぎてて無限に聴ける』
『透明感抜群のダウナー美少女ボイスで説教されるの最高のご褒美だろ』
『「うちの娘にはしたない格好させられるか」←実の父親よりガード堅くて草』
『缶ビール開けて「あーうめぇ」の瞬間、全リスナーの脳が破壊された音したわ』
『清楚な見た目から繰り出されるガサツなおっさんムーブ助かる』
「……は?」
俺は思わず間抜けな声を漏らした。
炎上して袋叩きに遭っているかと思いきや、そこにあったのは異常な熱量を持ったリスナーたちの大歓喜とお祭り騒ぎだった。
「……受ける側、全員狂ってんな?」
あまりの民度の狂いっぷりに、呆れを通り越して感心すらしてしまう。
だが、前世で筋金入りのオタクだった俺の魂が、心の奥底で囁きかけてきた。
――いや、分かるぞ。超絶美少女ボイスの神絵師が、娘の露出を断固拒否して酒を煽るギャップ。オタクが一番狂う大好物じゃねえか。
「いやいや、納得してる場合じゃないだろ俺!」
一人ノリツッコミを入れながらベッドから這い出し、洗面所へ向かう。
蛇口をひねって冷水で顔を洗い、鏡を見上げる。
そこに映るのは、濡れた黒髪を無造作に揺らす、息を呑むほど可憐な美少女の顔だ。少し眠たげなタレ目と透き通るような白肌。中身がおっさんなのが信じられない造形である。
「……まあ、顔バレしてないだけマシか。声とノリがバレたくらい、絵描きとしては致命傷じゃない……はずだ」
自分に都合よく言い聞かせると、俺は作業部屋へ戻り、L字デスクに並ぶトリプルモニターと巨大な液晶ペンタブレットの電源を入れた。
椅子に深く腰掛け、モニターの片隅でりりかの過去配信のアーカイブを再生する。
画面の中で、銀髪ツインテールの天使――天音りりかが、ぴょこぴょこと元気に動き回っていた。
ホラーゲームで情けない悲鳴を上げ、FPSで敵に倒されて悔しそうに画面を叩き、歌枠では透き通るような美声でリスナーを魅了する。
前世の社畜時代、深夜にカップ麺を啜りながら眺めていたVTuberの輝き。
そして現世の白咲まひろとして、彼女の髪の揺れ一つ、瞳のハイライト一つまで魂を削って仕立て上げた記憶。
二つの感情が溶け合い、胸の奥から特大の親バカ感情が爆発した。
「……あかん、可愛すぎる。なんだこの生き物。天使か? 天使だったわ」
机に突っ伏して悶絶する。
俺がデザインしたのだから可愛いのは当たり前なのだが、動いて喋る我が子は次元が違った。先ほどまでの「清楚ブランディングが消滅した」という悩みなど、どうでもよくなってくる。
「こんな世界一可愛い娘に、露出狂みたいなビキニ着せられるわけないだろ。俺の判断は百パーセント正しかった」
うんうんと頷き、作業フォルダから『天音りりか_新衣装ラフ』のデータを開く。
ビキニは却下したが、夏衣装そのものをボツにする気は毛頭ない。こんなに可愛い娘がおねだりしてきたのだ。最高の衣装を用意してやるのが親の務めというものだ。
「夏らしさを出しつつ、肌の露出は抑えめ。だが野暮ったくならず、シルエットで魅せる……」
液タブのスタイラスペンを握り、ラフの線を描き殴り始める。
だぼだぼのサマーニットパーカー。胸元はしっかりと閉じ、鎖骨のラインだけを上品にチラ見せする。ボトムスは動きやすいショートパンツで健康的な太ももを強調し、足元はスニーカーでスポーティに。
前世のプログラマー時代に培った緻密な立体構造の計算と、現世の神絵師としての卓越したデッサン力が、阿吽の呼吸で噛み合っていく。
「……よし、いいぞ。これなら配信で大股開きしても安心設計だし、何より最高に可愛い」
モニターの中で形になっていく娘の新ビジュアルに、思わず口元が緩む。
その時、作業用PCのDiscordからピロンと小気味よい通知音が響いた。
『ママ〜! 新衣装のアイデア出たー? 無理しなくていいからね! あ、あとね、リスナーのみんながママのお絵描き配信見たいって大暴れしてるよ〜!』
りりかからのメッセージに、俺は思わず動きを止めた。
「作業配信……?」
顎に手を当てて考える。
これまでまひろは極度の人見知りだったため、生配信など滅多にやってこなかった。
だが、どうせ新衣装の作業を進めるのだ。画面共有とマイクだけの作業配信なら、顔が映るリスクもない。
何より、作業配信を盾にすれば、りりかもリスナーも喜ぶし、神絵師としての実力を見せつけて昨夜の「おっさん疑惑」を払拭できるのではないか?
「……悪くないな。絵を描いてる姿を見せれば、みんな俺が立派な美少女クリエイターだって思い出すだろ」
我ながら完璧な名案だ。
俺はキーボードを叩き、りりかへ返信を送った。
『今日の夜、新衣装のラフ描き配信やるよ。画面と声だけだけど』
送信ボタンを押した瞬間、りりかから『やったああああああ!!絶対見に行く!!』と秒速で返ってきた。
「よし、やるか」
俺は冷蔵庫から作業のお供――無糖の炭酸水(※あとでビールに変わる予定)を取り出し、配信ソフトの設定を始めた。
これが、リスナーたちの狂乱をさらに加速させる引き金になるとも知らずに。
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