海の女
夕暮れの海に近づくな
去年死んだばあちゃんが口酸っぱく話していた気がする
俺の実家は海沿いにあって、活気があふれた町から少し離れたほうにある
今はお盆で帰省しているが、何せ田舎だから散歩か海水浴ぐらいしかやることがない
今日も特にすることがなく、散歩ついでに海辺の方へ行ってみると
白いワンピースを着た細身の女が、海に向かって座っている
波打ち際ギリギリで浜辺に腰を下ろし、手で膝を抱えた彼女を、俺はボーッと眺める
顔は見えないが、不思議と、吸い込まれるように、なぜか彼女から目が離せない
見れば見るほど魅力があふれているようだ
風に揺れる髪、汗で少し透けたワンピース、時折髪をかき上げる仕草
そのすべてに俺の意識が奪われる
どれぐらいそうしていただろう
5時を告げる放送が俺の意識を現実に戻す
(そろそろ帰るか)
そう思い腰を上げるが
彼女はまだ浜辺に座っている
夕暮れの海に近づくな
なぜかばあちゃんのあの言葉が脳裏に浮かぶ
彼女はそのことを知らないのか?
それとも、あれを言われ続けたのは俺だけなのか?
一瞬、彼女にそのことを教えて用途も思ったが、そんなことをする義理も度胸もない
俺は彼女と海に背を向け、家に向かって歩き出す
今日あった出来事をオヤジに話してみると
バカにしたような言い草で
「お前もそういう年だもんなぁ」と言われた
好き…なのかどうかはわからないが、彼女にまた会いたい
その気持ちを抱えたまま、布団に沈む
翌日、昼食をとったのち、俺は再び彼女のいた海辺へと向かう
するとやはり、昨日と同じ場所で、昨日と同じように座る彼女がいた
だから僕も、昨日と同じ場所で、昨日と同じように彼女を見つめる
あっという間に時間は流れ、5時を告げるチャイムが今日も鳴る
このチャイムが鳴るとどうしても思い出す
海に近づくなという言葉が
彼女の魅力をやや上回る
(明日も来よう)
(明後日も、その次も)
翌日のニュースで、この辺に台風が近づいていると耳にした
「危ないから明日は海に近づくなよ」
親父の言葉に俺は気の抜けた返事をする
そしてまた、あの場所へ向かう
夏の暑さも
他人の視線も
何も気にならない
こうしている間が一番幸せだ
そんなことまで思うようになってきた
その日の夜
流れてきたニュースでは台風による被害が放送されていた
とにかく風が強いらしく、立っているのが困難なほどらしい
俺はふと考える
(もし、彼女が明日もそこにいたら?)
(もし、彼女がニュースについて知らなかったら?)
(もし、彼女の身に何かあったら?)
その日は眠りにつくまで時間がかかった
翌日、窓が激しく揺れる音で目が覚める
雨は降っていない
だが、吹き荒れる風は、あらゆるものを飛ばしている
時計は午後4時を指しており、寝すぎたのか寝不足なのか、体がだるい
俺が起きたことに気づいたのか、親父が部屋の戸を叩く
「避難指示が出始めている」
親父に言われ、俺も避難所に向かうため、荷物をまとめ始める
(彼女は無事だろうか)
昨日の晩、散々頭の中で廻った思考が
起きてほしくない未来が、俺の手を止める
俺は薄着のまま外へ出ると、一直線であの海へと向かう
(彼女があそこにいなければいいんだ)
そう願い、ひたすらに走る
走り始めて数十分
ようやくあの場所へたどり着くと
いた
いつもと同じ服を着て
いつもと同じ方を見て
荒れ狂った海は、すぐにでも彼女を連れて行ってしまいそうだ
次の瞬間、俺は叫んでいた
「そんなところにいちゃ危ないよ!!」
「避難!!避難しましょう!!」
俺の渾身の叫びだったが、風の音にかき消されたのか、彼女の耳には届いていない
(もっと近くで…直接…)
そう思い、僕は初めて彼女のいる海へと近づく
ポツ…ポツと、雨が降り始め
その勢いは急激に激しくなる
濡れた砂で足取りが重い
向かい風で一歩が進まない
それでもなんとか
彼女のいる場所へと近づく
波しぶきが顔にかかる
それぐらい海に近い距離で座る彼女の肩を
強く揺らす
「早く逃げましょう!!」
「危ないですから!!」
反応がない
それどころか、いまだに手で髪の毛をかき上げている
なにかがおかしい
そう思った瞬間
「緊急避難指示が発令されました。地域の皆さんは大至急、避難場所へ避難してください」
荒々しい声の放送の最中、俺の頭にあの声が聞こえる
夕暮れの海に近づくな
夕暮れの海に近づくな
ハッとしてスマホを見ると
5時0分
海よりも台風よりも
もっと嫌な何かが迫ってくる感覚
僕は彼女を逃がすために
さらに強く肩を揺らす
大声を上げ、彼女の意識をこちらに向けるために
すると…
倒れた
彼女が倒れた
座った姿勢のまま
手で膝を抱えたまま
濡れた砂浜の上に
グチョっと
白いワンピースは汚れ
黒く長い髪には泥がついている
それでも彼女は動かない
俺はおそるおそる、顔を覗こうとした
「ひぃ!!」
俺は驚いてしりもちをついた
濡れた砂の感触が、やけに気持ち悪い
彼女の顔には目があった
鼻も口も耳も
だが、人の顔じゃない
まるで、子供のらくがきのように、全てのバランスがおかしい
左右の目は大きさが違い
口は横に大きく裂けている
人ではないナニカが
人のマネをしているようだ
腰が抜けてうまく立てない
俺は這うように陸に向かって進む
恐怖でいっぱいの頭に
さらに強い衝撃が走る
海の水位ががってきている
いくら寝ころんだ状態とはいえ、すでに腰が水につかっている
満潮や台風の影響だとしても早すぎる
まるで海が
海そのものが
俺をとらえようとしてるみたいに
俺は必死に這うが、少しづつ上がる水位に追いつけない
ついに肩まで来た水を前に、もうだめだと目をつぶると
「なにしてんだ!!」
大きな怒声と共に、俺の腕が力強く引っ張られる
目を開けると、そこには息を切らした親父がいる
俺の今までの会話から、海辺にいるのだと確信し、走ってきたのだという
俺はそのまま体を支えられたまま避難所に行き、そこで親父に今までのことを話した
親父はそれを最後まで黙って聞いたのち、ゆっくりと口を開く
「俺がお前を見つけたときさ、白いワンピースの女なんていなかったぞ」
俺の血の気が一気に引いた
見失った?
波にさらわれた?
いや、どちらでもない
あれはきっと、この世のものではなかったのだろう
だって、次の日も、何事もなかったように女がそこに座っていたのだから
それから俺は友人や家族に口酸っぱく言う
「夕暮れの海に近づくな」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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