旗振りおじさん
僕がいつも登校する道には、信号のついた横断歩道があるんです。
そしていつも、僕たちが安全に登校するために、交通安全の旗を持ったおじさんが立ってくれています。
僕たちはその人のことを「旗振りおじさん」と呼んでいて、いつも挨拶や、感謝の言葉を伝えていました。
おじさんはそれを聞くと、かぶっている帽子を外しながら、ニコニコとした笑顔を向けてくれて、朝からいい気持ちになるんです。
でも、そんな朝の時間に変化が起きたのは、冬休みに入る、終業式の日のことです。
点滅し始めた信号を前に、おじさんが旗を振って僕たちを止めていた時、
後ろからものすごいスピードで走ってくる少年がいたんです。
慌てておじさんが少年を止めようとすると、
「どけよジジイ!!」
少年はそう叫ぶと、おじさんの脇をすり抜けて、すでに赤に変わってしまった横断歩道を駆けていきました。
僕たちはもちろんのこと、そこを通っていた車の運転手や、ほかの通行人は唖然とした表情で少年を見ていました。
しかし、当の少年は振り返ることなく、学校に走っていきました。
そのとき、僕はふと、おじさんの方を見ました。
帽子の下に覗くおじさんの顔は、とても悲しそうで、僕は声をかけることができませんでした。
やがて信号が変わると、おじさんはその表情のまま、僕たちを送り出します。
明日、なにか声をかけてあげよう。
そう思った僕ですが、次の日から始まる冬休みを前に、その気持ちは薄れていきました。
クリスマスが終わり、お正月を迎えようとしていた日の夜。
僕はリビングのテレビであるニュースを聞きました。
「○○交差点で交通事故。70代の男性死亡」
僕がいつも使っているあの交差点
信号が少し傾いているあの交差点
笑顔を向けてくるおじさんがいるあの交差点
見慣れた道で起きた凄惨な事故
僕の心臓が大きく跳ねる
やがて年が明け、始業式が始まる日の朝。
僕の足取りは遅く、重い。
あの角を曲がれば交差点だ
あそこにおじさんがいなかったら…
恐る恐る角を抜けると
いた。
右手で旗を持ち、あの帽子をかぶったおじさんが
ニコニコとした笑顔で子供たちを見送っている。
よかった…
不思議とそんな感情が沸きあがってきた。
その気持ちをぶつけるように、おじさんに大きく挨拶をしたんです。
「おはようございます!!」
すると、おじさんはこちらに素早く振り向き、
ギョッとした表情をしていました。
目を大きく見開き、眉間には大きなしわが何本もできています。
その表情に当時の僕は怖くなってしまい、急いで横断歩道を渡りました。
それからしばらくの間、おじさんの顔を見ることができませんでした。
信号を待っている間も
横断歩道を渡っている間も
極力顔を見ないように、伏せて歩いていました。
そうして一ヵ月ほど過ぎたとき
僕の一生で、絶対に忘れられない出来事が起きました。
その日は珍しく、雨が降っていました。
おじさんはいつものように傘もささず、ひたすらに旗を振っていました。
辺りは薄暗く、朝の時間帯も相まって見通しは悪かったと思います。
僕は傘をさして信号を待っていた時、後ろからバシャバシャと、誰かが走ってくる音が聞こえてきました。
青い傘を差した少年が
あの日、おじさんに対して、ひどい言葉を浴びせた少年が
あの日と同じように走ってきていました。
またおじさんに怒鳴るのではないか
おじさんがまた傷ついてしまうのではないか
僕は咄嗟に、おじさんの顔を見ました。
僕の目に映ったおじさんの顔は、今までにないほど
笑っていました
目を細め、口角は耳元まで上がり、不気味なほどの笑顔がそこにはありました。
そんなおじさんと僕の間を、あの少年は通り抜けていきます。
ドンッ
大きな衝撃音と共に、交差点内に少年の体が投げ出されてきました。
手にしていた青い傘は宙を舞い、僕の前にゆっくりと落ちてくる。
原因は少年の信号無視だ。
以前から危なっかしい奴だったからだ。
皆が口をそろえて言います。
でも、僕だけは見ていました。
おじさんが大きく旗を振っていたのを
まるで、渡れと言わんばかりに、旗を振っていたのを
きっと、おじさんがやったんだ。
僕がその確証を得たのは、
誰も年明けからおじさんを見ていない
その噂を聞いた時からでした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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