第88話 六十七年越しの、再会
美樹が亡くなったのはそれから三日後の朝だった。源蔵が私の家まで知らせに来てくれた。
「美咲ちゃん、美樹さんが井戸の縁でお眠りになっとった」
「井戸の縁」
「うん。水見の井戸の縁で座ったまま、お眠りになってた。とても、穏やかな顔で」
私はすぐに井戸へ向かった。水見の井戸の、縁の、いちばん端に美樹は座っていた。両手を自分の膝の上で組んで。背筋をまっすぐ伸ばして。そして、顔は井戸の底の方を向いていた。目は閉じていた。口元はかすかに微笑んでいた。私はその隣に座った。
「美樹さん」
返事はなかった。私は彼女の頬に手を当てた。冷たかった。けれど、その冷たさには、どこか安らいだ気配があった。
——健一さんのところへ行かれたのだ。
私はしばらく、彼女の隣に座って、井戸の底を見つめた。六十七年、待ち続けた人がようやく戻った。風が井戸からほのかに立ち上った。その風の中に微かに誰かが口づけする音のような、わずかな響きが混じった気がした。私は微笑んだ。
「お幸せに」
美樹さんに向かって、初めて私はその言葉をかけた。
——美樹さんは私を本当に知っていた最後の人だった。
冷たい頬に指先が触れて、ようやく、そのことが腑に落ちた。智樹は私を愛していた。けれど、私がこれから何になるのか、知らないまま、井戸の中へ行った。お祖母ちゃんも、私を愛していた。けれど、私の今の姿を見ることは、なかった。
里穂は私を案内した。けれど、私が村に来た時からずっと私を村の側から見守ってきた。美樹さんだけが私の、両方の顔を見ていた。東京から来た、村のことを何も知らない、若い校正者の美咲。
そして、自分の手で智樹を井戸に送り出した、新しい水見の美咲。美樹さんはその二つを繋いだ、唯一の人だった。私は彼女の頬から手を離した。その頬の温度はもう戻らない。けれど、彼女が私に教えてくれた、優しさの論理は私の中に染み込んでいた。
『お祖母様の最後の優しさを、受け取ってあげてね』
『水神様は、優しいよ。あなたのことも、家族のように、迎えてくださる』
その二つの言葉がいま井戸の底から私に戻ってきたような気がした。村人たちがゆっくりと井戸の周りに集まってきた。皆、静かに微笑んでいた。




