第72話 智樹の声
「いつ行けばいい?」と、智樹は続けた。
「今日、これから」と、私は答えた。
「急でごめんね。今日の夕方前に来てくれたら、嬉しい。明日がお祭りの最終日なの」
「今日か。わかった。じゃあ、すぐ出るよ。朝の特急に乗れば、昼過ぎには着ける」
「ごめんね、急で」
「いいよ。お前が呼んでくれるなら、どこでも行く」
「最寄り駅からバスで一時間ぐらい。バス停を教える。あとでメッセージ送るね」
「美咲」
「うん」
「本当に何でもないのか?」
「うん」
「ばあちゃんの家、結構大変だったろ」
「ううん。みんな、優しくしてくれて。お祖母ちゃんが村の人とすごく仲が良かったみたいで。お友達の家、紹介してもらって。いま、お祭りの真っ最中なの」
「お祭り」
「うん。水守祭、っていう、村の。明日が最終日。智樹、ちょうど間に合うよ」
「そうか。じゃあ、楽しみだな」
智樹の声にはわずかなためらいが混じっていた。私のことを心配している声。私はその声を覚えておきたいと思った。
「智樹」
「うん」
「ありがとう」
「お礼を言うことじゃないって。当たり前だろ」
「うん」
「じゃあ、あとでな」
「ああ。気をつけて来いよ」
——気をつけて。
私は初めて、その三文字を智樹に言った。電話を切った。私はしばらく、携帯を握りしめたまま動けなかった。そして、ゆっくりと自分の頬に手を当てた。涙は出ていなかった。




