第5話 水には気をつけて
シャワーから上がって、ベッドに腰を下ろした。水道水の匂いがまだ残っている髪に、タオルを当てる。
ふと、思い出した。祖母の家で過ごした夏休みのこと。
中部地方の山間にある、小さな集落。古い瓦屋根の家。井戸があって、夏でも冷たい水を汲み上げては、顔を洗った。祖母は毎朝、井戸に向かって手を合わせていた。
「水神様に感謝しないとね」
幼い私には、その意味が分からなかった。ただの水なのに、なぜ感謝するのか。
「水は命の源。でも、時には、人を連れて行くこともある」
「連れて行く?」
「水に取られる、って言うんだよ。だから、敬意を払わないといけない」
祖母の言葉が、今も耳に残っている。水に取られる。奇妙な表現だと思った。溺れるとか、流されるとかではなく、「取られる」。まるで、水に意志があるかのような。
そして、祖母はいつも、小さな鈴を首に下げていた。真鍮製の、音の澄んだ鈴。
「これは水封じの鈴。水に取られそうになった時、これが守ってくれる」
子供心に、迷信だと思っていた。でも、今思えば、祖母は何かを知っていたのかもしれない。
祖母の死を思い出す。私が大学三年の夏だった。
死因は、老衰ということになっている。でも、発見時の状況が奇妙だった。祖母は、井戸の傍で倒れていた。真夏なのに、全身、びしょ濡れで。そして、発見した近所の人の証言によれば、祖母の周りの地面だけが濡れていたのだという。半径二メートルほどの円形に。まるで、そこだけ雨が降ったかのように。
でも、その日は快晴だった。
私は、ベッドサイドの引き出しを開けた。祖母の遺品の中から、いつも持ち歩いている小さな鈴を取り出す。振ると、ちりん、と、澄んだ音がした。
その音は、なぜか、今夜は、いつもより、長く響いた気がした。




