第4話 帰宅
部屋に帰ったのは、日付が変わる頃だった。
ワンルームマンションの玄関を開けると、かび臭い匂いがした。梅雨前のこの時期、湿度が高い。除湿器をつけるのを忘れていた。
でも、それだけではない。部屋の中に、かすかに、別の匂いが漂っている。川の匂い。それも、山奥の、人の手が入っていない清流の匂い。
ありえない。ここは東京の、しかも四階だ。窓は、ずっと閉め切ったままだった。
私は、玄関で立ち止まった。部屋の奥の方から、ぽたん、と一滴、水音がした気がした。耳を澄ます。
——もう、聞こえない。
冷蔵庫のコンプレッサーの音と、遠くの街のざわめき。それだけだった。息を吐いて、靴を脱いだ。電気をつけて、リビングに入る。何も変わっていない。朝出る時のまま、シンクには洗っていないマグカップが二つ。テーブルには昨日読みかけの本。なのに、部屋の空気が、わずかに違って感じられた。
誰かが、ここにいた——いや、誰かではない。何かが、いた。
考えすぎだ、と思った。シャワーを浴びることにした。長い一日の疲れを、流してしまいたかった。
熱いお湯を浴びながら、ふと、足元の排水口を見つめた。水が、渦を巻きながら吸い込まれていく。その渦が、ゆっくりと逆回転を始めたような気がした。
一瞬だけ。
右回り、と思っていたものが、左回りに——いや、もしかしたら、最初から左回りだったのかもしれない。瞬きをすると、もう普通に右回りに回っていた。
錯覚だろうか。
頬を伝う湯気の中で、私は、急に、誰かに見られている気がした。




