第57話 音のない村
二日目 静の日
二日目の朝、目が覚めた時、家の中は完全な静寂だった。
雨はやんでいた。窓の外に白い霧が立ち込めていた。縁側に出ると村全体が霧に包まれていた。霧はふつうの霧ではなかった。
地面から、家々の屋根から雨樋の口から井戸の中からまるでゆっくりと息をするように立ち昇っていた。一定のリズムで濃く、薄く波のように揺れていた。そして、村は完全に静まり返っていた。
普段なら、朝のこの時間は薪を割る音、味噌汁を作る匂い、子供の声――何かしらの生活音が聞こえてくる。今日は何も聞こえなかった。
鳥の声も、虫の音も、風の音さえ、なかった。霧が揺れているのに、風そのものは感じられなかった。生き物の気配が村からすっぽりと抜け落ちていた。
代わりに村全体の床下からすうっ、すうっと何かが水の中をゆっくり通り抜ける音だけが聞こえていた。里穂が霧の中からゆっくりと現れた。
霧が里穂の体の周りでわずかに渦を巻いた。彼女が霧の中を歩いて来るのではなく、霧自体が彼女を運んで来たようにも見えた。私を見て、微笑んだが口は開かなかった。代わりに自分の唇に人差し指を当てた。
——今日は、話してはいけない、ということだ。
里穂は私の手を取り、村の中心へ私を連れて行った。道すがら、すれ違う村人たちも、皆黙ったまま、私たちに頷くだけだった。誰も、声を発しなかった。彼らの足音さえ、聞こえなかった。
二十人以上の村人が道を歩いているはずなのに、私の耳には自分と里穂の、二人分の足音しか届かなかった。
——「静の日」。
私はその意味を体で理解し始めていた。普段は村人たちの生活音に紛れて聞こえなかった水音——井戸から、雨樋から水路から家々の床下から滴り、しみ込む音——それだけが、今日は村のすべての音として響いていた。
私はその水音を聞きながら、里穂の手に引かれて歩いていた。里穂の手のひらの中で私の指先がいつの間にか、わずかに湿り気を帯び始めていた。




