第42話 佐々木健一の項
『佐々木健一 二十四歳 婚約者・美樹』
そう、印字されていた。その横の手書きの補足だけが他の項目より、少しだけ長かった。
「優しく、まっすぐな青年。三日前、私に『何かおかしい、配置換えを願い出る』と相談に来た。私がもっと早く警告すべきだった。私が止めるべきだった。健一さん、ごめんなさい。美樹さんに伝えて——あなたは必ず戻ると約束したと」
私の中で何かが繋がった。この補足を書いていたのは私の祖母・美智子だった。
四十八人の犠牲を見送った祖母——いや、美樹の話によれば、祖母は当時、まだ二十歳になるかならないかの娘だった。当時の水見は美智子の母、つまり私の曾祖母だった。けれど、美智子は若くして、母から水見の役目を引き継ぐ準備をしていた。だから現場に出ていた。だから健一の相談を受けた。
——なのに、止められなかった。
その後悔がこの名簿の余白に滲んでいた。私は健一の項をもう一度読み直した。「三日前、私に『何かおかしい、配置換えを願い出る』と相談に来た」。健一は美樹に手紙を書いた、その日に祖母にも相談に行っていたのだ。そして、祖母は何もできなかった。
「私が止めるべきだった」——祖母の、震える文字。
——けれど。
そこで私の、校正者の指が止まった。美樹さんは何と言っていただろう。
美樹さんはこう語った。「健ちゃんはその夜私に言ったの。『美樹、なんだか嫌な予感がする』」と。健一の予感を聞いたのは自分だ、と。そして、健一は現場の責任者に配置換えを願い出るつもりだった、と。
けれど、祖母の手帳には、こうある。「三日前、私に相談に来た」。二人の言葉が重なっていない。
美樹さんの話では、健一が予感を打ち明けた相手は、美樹さん、ただ一人。けれど、祖母は健一が自分のところにも相談に来た、と書いている。同じ三日間に健一は二人に別々に不安を語っていた——そう考えれば、矛盾はしない。
けれど、それなら、なぜ美樹さんは、「健ちゃんは村の水見にも相談していた」と言わなかったのだろう。婚約者が自分のほかにもう一人心を許して頼った相手がいた。それを美樹さんは六十七年間、一度も口にしなかった。
——あるいは。
健一が相談したのは、本当は祖母だけだったのではないか。美樹さんは自分こそが健一の最も近くにいた、と思いたかったのではないか。だから、祖母から聞いた話をいつしか自分が直接聞いたことのように語るようになった——。
どちらが本当なのか、私にはわからなかった。ただ、わかったことが一つあった。この村で語られる「過去」は、語る者の願いの形に少しずつ削られている。祖母の手帳も。美樹さんの記憶も。そして、たぶんいま、私が結衣について思い出している記憶も。
水はすべてを記憶する、と村の人は言う。けれど、人は覚えていたいようにしか覚えていない。私は健一の名前の、すぐ下のページを見た。そこにもう一つ私の心を凍らせる名前があった。




