第38話 脱ぎ捨てられた三人分の服
爪痕の続く壁に沿って、私はさらに奥へ進んだ。十メートルほど進んだ場所で、私の懐中電灯の光が、コンクリートの床の上に何かを捉えた。衣服が三組、床の上に丁寧にたたまれたように置かれていた。紺色のシャツ。登山用のリュック。工具袋。
——昨日、村の井戸の傍で見たもの。
私は息を止めた。中身はなかった。袖もズボンの脚も空っぽだった。まるで、人がその服の中から、すうっと抜け出して、いなくなったかのように。
衣服の傍に、三つの人の形をした水たまりがあった。コンクリートの床の上に、まるで、寝そべっていた人の輪郭が、そのまま水になって染み込んだような形。水たまりの一つの首のあたりに首から下げる身分証が浮いていた。私はそれを手に取った。
『東京地質研究所 高橋修一』
水で滲んだ顔写真は、もうほとんど見えなかった。けれど、肩のあたりの紺色の襟の写真と印字された名前は、はっきりと読み取れた。私は身分証を握りしめたまま、立ち上がれなかった。
——昨日。
ハツの掟。「直接的な警告はできない」。私の曖昧な警告。「山の水には気をつけて」。そして、高橋たちの礼儀正しい頷き。「ご忠告ありがとうございます」。
——あれから、丸一日も経っていない。
水たまりの傍にもう一つ、見覚えのあるものがあった。革表紙のフィールドノート。彼らの調査記録。私はそれを開かなかった。
——いま、ここではまだ読めない。
私はノートをリュックにしまった。それから首にかけていた祖母の鈴を握りしめた。ちりん、と振らずに、ただ握っていた。立ち上がった時、私の頬はまた濡れていた。涙ではなかった。




