第36話 封じられた坑道
美樹の家から戻った翌朝、私は里穂に頼んで、もう一度、美樹のところへ送ってもらった。
「美樹さんは、案内したいっておっしゃっていたから。今日、行かれるならご一緒します」と、里穂は柔らかく言った。
「でも、私はトンネルの入り口までしか行けない。それはお祖母様の時から決めてあること」
「決まりごと、ですか」
「ええ。村の人間は誰も、第三工区の中までは入らない」
——里穂はそれ以上は説明しなかった。
私たちは村の裏手の山道を登り始めた。前を行く美樹は八十九歳とは思えない、しっかりとした足取りだった。
「健ちゃんが、毎日通った道だよ」と、美樹は振り返らずに言った。
「夕方になると、足を引きずって、宿に戻ってきてね」
山道は林の中を蛇行しながら、緩やかに登っていった。木々の幹が、徐々にしっとりと濡れているのに、気づいた。雨は降っていない。けれど、ある一帯から、木の幹も、葉も、地面の苔も、すべてが水気を帯び始めていた。空気の匂いが変わった。
川の匂い。山奥の、人の手の入っていない清流の匂い。それは東京のマンションの玄関で初めて嗅いだ、あの匂いだった。
「もうすぐ、トンネルの入り口だよ」と、美樹が言った。
「足元、気をつけてね」
林の切れ目に、突然、コンクリートの灰色が現れた。崖の中腹に、四角い穴がぽっかりと開いていた。長さ二メートル、高さ三メートルほどの、無骨な、人工的な口。
『第三工区 関係者以外立入禁止 大平建設』
風化した木の看板が、入り口の脇に傾いて立っていた。
——水脈をコンクリートで固めてしまえば、水神様も消えるんじゃないか。
昨日、美樹が語った大平太一郎の目論見。それが、目の前のコンクリートの口を見た瞬間、生々しくよみがえった。ダムとは、流れる水を堰き止め、行き場をなくすものだ。大平はこの山の水そのものを、この灰色の塊で封じ込めようとした。そして水神は、それを許さなかった。
冷たいコンクリートを前にして、私はひとりの男の傲慢を肌で感じた。その傲慢がたどり着いた果ての絶望も。




