第29話 四十八人が同じ水を飲んだ
「『美樹、変な話、聞かせていい?』って、健ちゃんが言ったの」
美樹は湯呑みを両手で包んだ。
「現場で、若い作業員のひとりが、沢の水を飲んでね。『うまい水、こんなにうまい水、生まれて初めて飲んだ』って、興奮して言ったんだって」
「沢の水を、ですか」
「うん。工事現場の傍に、小さな沢があってね。普段、現場の人は運んできたタンクの水を使ってたの。でも、その日、その若い作業員は、たまたま沢で顔を洗って、ひとくちすくって飲んだ」
その作業員は仲間の誰彼かまわず、その水の話をした。「うまいから、お前も飲んでみろ」と。最初はふざけて、誰も本気にしなかった。けれど、夕方になると、別の作業員が「俺も飲んでみるか」と、沢に向かった。
「その人も、同じことを言ったんだって。『うまい、こんなにうまい水』って」
それから、夕食までの間に、五人、十人と、作業員たちが沢の水を飲みに行った。誰もが同じ感想を口にした。
「健ちゃんは、その夜、私に言ったの。『美樹、なんだか嫌な予感がする。みんな、変なんだ。普通、水なんて、誰も興奮して話さないだろう? なのに、今日、現場のみんな、その水の話ばかりしてる』」
私は美樹の声を、息を詰めて聞いていた。私自身が昨日、村の井戸の水を一口飲んだ。
「おいしい」と、感じた。
「美咲ちゃんも、村の水、もう飲んだ?」と、美樹が静かに聞いた。
「……はい」
「『おいしい』って、思った?」
私は答えられなかった。答えようと口を開いた時、喉の奥で、ごぼ、と小さな泡が弾けた。声の代わりに。美樹は悲しそうに、しかし決して責めることのない眼差しで、私を見つめた。
「あの六月の現場で、四十八人、全員が沢の水を飲んでた。健ちゃんも、飲んでた。私には『美樹、お前は絶対に飲まないで』って、約束してくれていたけれど」
健一が行方不明になったのは、その三日後の朝だった。




