第24話 里穂の家
夕方、里穂が再び迎えに来てくれた。
「今夜も、うちで夕食、よかったら」
私はうなずいた。結衣のことを、今、誰かに尋ねたかった。けれど、何を尋ねればいいのか、自分でも、まだわかっていなかった。里穂の家の囲炉裏端に、その夜、源蔵とハツも一緒に座っていた。里穂の母親が煮物を運んできた。
「里穂のお父さんは、漁業の手伝いで、隣の県へ行ってましてね」と、母親が説明した。
「夏になると、いつも留守なんですよ」
「お母様、いつもお料理上手で」
「美咲ちゃん、たくさん食べてね。家族みたいに思ってちょうだい」
家族みたいに——。その言葉がまた心に温かく、けれど、わずかに引っかかる形で響いた。
「里穂さんは、お祖父様、お祖母様と、ずっと一緒に?」
「ええ」里穂が答えた。
「私、生まれた時から、ここに。両親も、私が小さい頃に両方とも亡くなって。だから、源蔵とハツが両親代わり」
「そうだったんですか」
「美咲さんと、似てるね」と、里穂は微笑んだ。
「美咲さんも、お祖母様と近かったのでしょう?」
私はうなずいた。母とは距離があった。祖母との夏休みが、私の幼少期の、最も温かい記憶だった。
「里穂もね」と、ハツがふとつぶやくように言った。
「子供の頃は、東京の高校へ行きたい、って、よく言ってたわ」
里穂がハツの方を、ちらと振り返った。何かを止めるような、瞳の動き。けれど、ハツは構わずに続けた。
「高校生になる前の春、ね。荷物をまとめて、ひとりで駅まで歩こうとした。私と源蔵が村の入り口で抱きしめて止めたの。覚えてる?」
里穂はふっと笑った。少しだけ、無理のある笑い方だった。
「もう、十五年も前のことです」
「うん。でも、その後、里穂は戻って、ずっとここにいてくれている。私たちにはそれがありがたくて、ね」
里穂はもう、それ以上、何も言わなかった。私はふと、自分の手の中の湯呑みを見つめた。里穂が村を出たかった時期。里穂がここに戻った理由。そのどちらも、私にはまだわからなかった。里穂が何かを言いかけて、止めた。
「美咲さんは——」
「うん?」
「ううん、何でもない」
里穂はふっと笑った。柔らかいけれど、何か引っかかる笑い方だった。
「美咲さん、ここに来るの、初めてじゃないですよね」と、里穂は続けた。
「お祖母様の家には、ずっと夏休みに来てらしたのでしょう?」
「うん。子供の頃は」
「私も何度かお見かけしました。お祖母様の家の、庭で」
私は首を傾げた。子供の頃、村の他の子供たちと遊んだ記憶は、薄かった。けれど、まあ、十年以上前のことだ。覚えていなくても、おかしくない。
「私のこと、覚えていらっしゃらなくても、いいんですよ」と、里穂は優しく言った。
「私、ずっと、美咲さんのことを覚えていましたから」
私は頷いた。
——里穂が言ったのは、子供の頃の私だけ、だろうか。
その時の私には、まだその問いを最後まで形にする力が、なかった。
「美智子さんはね」と、ハツがゆっくりと語り始めた。
「美咲ちゃんのことを、ずっと心配しておられた」
「心配?」
「お祖母様は、こうおっしゃっていたよ。美咲ちゃんだけは、絶対にこちらに来させたくない、って」
私は箸を止めた。
「こちらに、来させたくない?」
「ええ」ハツは優しく微笑んだ。
「でも、お祖母様の願いは、結局、叶わなかったのね。あなたは来た」
囲炉裏の火がぱちん、と一度、はぜた。源蔵が初めて口を開いた。
「水が、呼んだんさ」
低い声だった。怒っているような、嘆いているような、それでいて、どこか納得しているような声。
「美智子さんが、ようやっと、これで楽になれる」
囲炉裏の火がもう一度、はぜた。
その火は温かかった。頬がほてるほどに。なのに私の背筋を、一筋だけ、冷たいものが走った。氷の指でなぞられたような。火に向けた胸は熱いのに、その奥に、溶けない冷たさが居座っていた。
——あの井戸の水を飲んでから、私の中に冷たい芯のようなものができている。
誰も、何も言わなかった。ただ、ハツが私の手の上に、自分の温かい手を、そっと重ねた。
「美咲ちゃん」
「はい」
「明日、美樹さんに会いに行きませんか」
「美樹さん?」
「ええ。あんたが知るべき話を知っている、たった一人のおばあさん」




