第21話 水守ハツ
翌朝、目が覚めた時、外で誰かが庭を掃いている音がした。縁側に出ると、老婆が一人、ほうきで落ち葉を掃いていた。里穂の祖母——昨日紹介された源蔵の妻——だった。源蔵が「ハツさん」と呼んでいたのを、思い出した。
「おはよう、美咲さん」ハツはにっこりと笑った。「よく眠れた?」
「はい、おかげさまで」
「そう。それなら良かった」
ハツはほうきを止めて、私を見つめた。源蔵と同じく、骨ばった顔。けれど、その表情は源蔵よりもずっと柔らかかった。
「美咲さん、一つだけ、言っておきたいことがあるの」
「はい」
「あんたも、もうわかってきたと思うけど、この村にはね、色々なお話があるの」
ハツはほうきの柄に軽く手を置いた。
「お話、というよりも、習わし、と言うべきかしらね」
「習わし、ですか」
「ええ。でもね、私たちはそれを、直接、口にすることができないの」
——直接、口にすることができない。
ハツの目が私を見つめた。柔らかい目だった。
「言葉にすれば、それは現実になる。水の名を呼べば、水が応える。だから、私たちは直接的な警告ができないの。それが水と共に生きる、この村の掟」
「掟、ですか」
「うん。曖昧な言葉でしか、伝えられないの。理解できる人だけが、わかればいい、そういう習わし」
ハツはそれ以上は何も言わなかった。代わりに、私の手に、布で包まれたささやかなものを握らせた。
「これ、朝食。よかったら、お祖母様の仏前にお供えしてから、食べてね」
布の中はまだ温かかった。ハツが去った後、私は縁側に座って、しばらくその包みを見つめていた。
——理解できる人だけが、わかればいい。
私にはハツの言葉が、まだわからなかった。けれど、何かがゆっくりと私の中で形を取り始めているのも、感じていた。




