ネ申降臨
談話室の椅子に座ったガウリスを見て私は心配になった。数日会わなかっただけでガウリスは随分やつれたみたい。
「大丈夫?」
「大丈夫です、ただの疲れです」
アレンから聞いたんだけど、私がゼルスにさらわれて戻って来るまでのこの数日間、ガウリスはアポリトスにつきまとわれて、
「大丈夫、どんな変化をしていようがガウリスであることには変わりないのだし、大神官様だってガウリスの話を聞いても追い出そうとも除名処分にしようともしてないだろう?だから大神官になる道は閉ざされていない…」
って延々とそんな話をされ続けていたみたい。
サードはそんなやりとりを三分くらい見て、俺だったらキレて殴るな、と呟いていたらしいし、アレンも見ててガウリスが可哀想って思ったって。
アレンからの話を思い出していると談話室に大神官のファルトスと、アポリトスが入ってきた。
「父よ、すみませんがお引き取りを」
ガウリスがガタッと立ち上がってアポリトスを外に追い返す。
「え、どうしてだいガウリス、私にだって話を聞く権利が…それに私はファルトス様の補佐役だぞ」
「あなたがいると話が先に進みませんので」
ガウリスはイライラした口調でアポリトスを廊下に押し出すとバンッと扉を閉めた。
見ているとアポリトスが可哀想に思えるけど、前はアポリトスがあれこれと口を出してお昼から夜更けまで話が進まなかったって聞いているから、可哀想と思うけど引き留めようとも思わない。
「ガウリス、扉は優しく閉めなさい。お前は力が強いのだから壊れるよ」
「…申し訳ございません」
ガウリスはバツが悪そうに謝っているけど、アポリトスが中に入れないように扉はしっかりと後ろ手で押さえている。アポリトスは外でしばらく扉をノックしてガタガタと開けようとゆすぶっていたけど、諦めたのかしばらくすると静かになった。
本当は神殿の前でアレンとサードに今までのことを話そうとしたら神官たちも集まって来て、その流れでバーリアス神に庇護された人物も一緒と分かると大神官ファルトスに談話室に招かれて話をすることになったのよね。
だからバーリアスも一緒にいる。
とりあえずガウリスも座ったから、私は中庭で大きくて白い鳥を助けたところからカームァービ山の禁足地に連れ去られたのを順々に話した。
でもゼルスに襲われかけた話なんてしたくなかったからそこは省こうとすると、その部分をバーリアスがペラペラと詳細に喋ってしまって結局襲われかけた話が皆の知れるところになってしまった。
っていうより、本当に最初から見ていたのねこの男…いや神は…。
「エリー…怖かっただろ、可哀想に」
アレンは私をギュッと抱きしめて頭をポンポンと叩いて慰めてくれる。でもサードが表の顔ながらも「髪に触るな」っていう視線をアレンに向けていたからアレンはソッと離れた。
主神のゼルスに見初められ連れ去られただけでも皆…大神官のファルトスでさえも衝撃を受けていたのに、三人の女神たちに庇護され守られてたこと。ファリアから飲み物を手ずからコップに注がれたこと、ヘルィスから料理の指導を受けてアテナやバーリアスと同じテーブルを囲んでパエリアを食べた話などをすると、もはや何からどう言えばいいのか、という顔つきになっている。
「エリーさんは…確実に聖人認定できますな」
ファルトスは半ば混乱の顔つきでそう言うけど、私は渋い表情で首を横に振った。
この者は確実に天の上の人々に会ったと一流の聖職者たちが認めたらそこで聖人と認定されるけど、こういう経緯で神と会った・こんな話をしたという出来事も詳細に後の世に残る。
そんな犯罪をされそうになった話と一緒に私の名前が後の世に残り続けるとしたら絶対にお断りだわ。
まずそんな話題を変えようと別の話を切り出した。
「まずそうやってゼルスに会えたんだから色々と聞いて来たわ。何で信託に応えてくれなくなったのかっていう話も」
その話になるとファルトスもガウリスも真面目な顔になって私の言葉の続きを待つから、ゼルスが言っていた全てを伝えた。
神に頼り切りにならないで自分たちで考えて欲しいこと、神々を自在に動かせると勘違いしている一部の神官たちが信者をいいように扱って信託をねじ曲げて伝えるから、あえてこの数十年何も信託に応えていないことを。
話を聞き終わって渋い表情になっているファルトスはため息をついた。
「神は全て分かっておいででしたか。…確かに私の前の大神官とその一派、それに他の神殿の中にも神は我々の意のままという考えで、自分の欲に動く神官も少なからずおります。なんて恥ずかしい…」
と、またため息をついた。
今話したことを深刻な顔で受け止めているガウリスをチラ、と見て、そっと私は声をかける。
「あのねガウリス。ガウリスの体のことも聞いたのよ」
ガウリスは声をかけられて顔を上げる。
でももう体は人間には戻らないなんて話…どう伝えたってガウリスはショックを受けるはずで、ガウリスの辛そうな顔を見るのが私も辛くて言い出しづらい。
「ガウリス、あんたの体はもうただの人間には戻れねえよ」
バーリアスが急に口を挟んだ。ガウリスどころか、私も驚いてバーリアスを見る。
「神であっても人から異形の姿に変えたものはどうにもならんのよ。コップからこぼれた水が元に戻らないのと同じ、割れた皿が元に戻らないのと同じ。
そもそもあんた、禁忌の領域に自分から入って行ったんだろ?自業自得ってものだよ…って戦いの女神が言ってるのを色男のバーリアス神が聞いたって」
と言いながら談話室の壁にかかっている裸の女性の絵を指さす。
「そう…ですか…」
ガウリスの表情が一気に沈み込んで、下をうつむいて黙り込んでしまった。
「…ガウリス」
ファルトスがガウリスに声をかけて、ガウリスはゆっくりと顔を上げた。
「私としては次期大神官はガウリスだろうと思っていた。ガウリスの人となり、信仰心の篤さ、身分を問わない人に対する慈愛の態度…どれをとっても神官という職にふさわしい」
渋い顔をしながらファルトスは言いにくそうに眉根をひそめて、唇を噛んでからガウリスを真っすぐに見た。
「だが神の罰を受け人でなくなり、魔族の力を借りて人の形に戻り、神にもそのことを自業自得だと言われどうにもできないと言われてしまっては…もうお前を神官の座にいさせるわけにはいかない…庇いきれない」
「そんな面倒な取り決め決めてんのは人間で、俺らは別に気にしねえんだけどなぁ」
バーリアスはほんの小声で呟いているけど、私以外の人の耳には入ってないみたい。ただファルトスの表情に口調、言葉を聞く限り…もう良い知らせが出てくるとは思えない。
ファルトスは額に自分の拳を当てて苦悶の表情を浮かべてから、ガウリスに静かに、そして辛そうに伝えた。
「ガウリス・ロウデイアヌス、お前を…神官から除名処分とする。近日中に荷物をまとめて神殿から立ち去りなさい」
ガウリスは少し黙っていたけど、微笑んだ。
「最初から除名処分になる覚悟はしておりました。もしかしたら処刑されるかもしれないとも。それなのに今の今まで悩んで除名という寛大な処置をくださったこと、感謝いたします」
ガウリスがあっさりと…それも感謝の言葉を伝えると、ファルトスは酷く傷ついたような顔で涙ぐんだ。
「ガウリス、本当はこのまま残ってもらいたい。だが私はお前の状態を知ったうえで庇いきれない、すまない、大神官とはいえ私は小心者だ。すまないガウリス、お前を守り切れなくてすまない…!」
早口でまくし立てながらしわというしわを寄せるファルトス見て、ガウリスは何を、と首を横に振る。
「そのお気持ちだけで、私は…」
「お待ちください!」
バァンッと談話室の扉が開かれた。
皆が入口に目を向けるとアポリトスが青い顔をしてワナワナと震えて立っていた。
静かになったから諦めてどこかに行ったのかと思ったけど、もしかしてずっと扉の外で聞き耳を立てていたの!?
「人じゃ…人じゃなくモンスターになったから何だと言うのです!見てください、このとおりガウリスは人の姿をして、普通に話しているではありませんか!ドラゴンになるから何だというのです、性格だって今までどおりです、何が、何がいけないのですか!」
「父よ、おやめください」
アポリトスがファルトスに掴みかかりそうになるのをガウリスは必死になって押さえ込んだ。
「ガウリスは大神官になるんだ!ファルトス様だってガウリスが大神官の器だといつも褒めていたじゃないですか!サンシラ国王だってガウリスには目をかけていたのですよ!
それなのに、こんなことでガウリスをあっさり除名処分にするなど、愚の骨頂じゃないですか…!」
「父よ、おやめください!」
ガウリスが大声で押しとどめようとするけどアポリトスは手を振り上げて、なおもファルトスに掴みかかろうとする。
「あっはは、すっげー子離れできてねえ親父さんだな。こりゃ迷惑だよなぁ?ガウリス」
バーリアスが愉快そうに笑いながら言うと、アポリトスはバーリアスをギッと睨んだ。
「お前に何が分かる!子供もいないようなチャランポランな若造が…!」
すると窓から閃光がカッと入った次の瞬間に、ガーン!と爆発するような音と、ズズズ…と地面が揺れる振動が響いた。
皆で驚いて窓を見ると外に生えている木に雷が落ちたみたいで、木が燃えている。でも雷が落ちたのに、空は快晴で雲一つない青空。
「今のエリー?」
アレンが私に疑いの目を向けてくるから頭を横に振ろうとしたけど、頭を横に触れない。それどころか勝手に体が動きだして、アポリトスの前まで足が進んでいく。
そして私の口が勝手に動いて、勝手に喋り出した。
「いい加減にせんか、アポリトス!」
私は自分の口から出た低くて…でも威厳があって、それでも若々しい男の声に驚く。今出ているのは全然私の声じゃない。
すると目の前にいるファルトスもアポリトスもギョッと目を見開いて、口をパクパクと動かしている。
「この声…まさか」
アポリトスが呆然と呟き、
「ゼルス神…様?」
とファルトスが呟く。
「ゼルス神?」
ガウリスもギョッとして私を見る。むしろ私もギョッとしている。もしかしてゼルスに体を勝手に使われてる感じなの?これ?
でも私の目線はアポリトスに向いている。
私の中に感情が流れてくる。別に怒ってはいない。ただこれは…いさめているような感じだ。
また私の口が勝手に動き出した。
「アポリトス、お前の子を思う気持ちは美点だが、お前は自分に気持ちを固定しすぎる。自分の尺度の中でしか物事が見られない。ガウリスが何度も本心を伝えようがその度にお前は一方的に自分の理想を語り話を遮った。
お前は一体何がしたいのだ?息子を愛したいのか?潰したいのか?本当に愛しているのなら何故理解しようとしない?そのように話を聞いても何も聞いていない所でガウリスが苦しんで苛立っていることを何故分かってやれんのだ?」
アポリトスは何か言おうと口を動かしたけど、声にならないみたいでただ私を呆然とした顔で見ているだけ。
私の視線がガウリスに移動する。
「ガウリス」
「は、はい…」
ガウリスから緊張した気持ちと、本当にゼルス神なのか?そうなのか?と半信半疑の気持ちと考えが伝わってくる。
それとずっと話せないから神様なんていないと思った時の後悔と、そんな一度心が離れた自分を許してくれるだろうかという不安、でもそれを上回る神様と話せて嬉しいという喜びの気持ちがひしひしと私にも伝わってくる。
ああ、神様ってこういう風に相手の気持ちや考えが分かるんだわ。
私の感情なのかゼルスの感情なのか分からないけど深い愛情がしみ出してきて、なんて愛しいのかしらと口元が緩む。
ゼルスは話し始めた。
「訳があってお前が生まれてこの方一度も信託に応えはしなかったが、ガウリスの祈りはいつでも私に届いていたぞ」
「…」
ガウリスは口をモゴモゴと動かしているけど、何も言わずに下を向いて黙り込む。
ガウリスの頭の中ではどれだけ自分が神を深く信仰しているか、どれだけこうやって話したかったかという色んな考えと感情が行き交ってるのが分かる。
でも憧れの本人を目の前にして緊張して何も話せないみたい。
「ガウリス」
もう一度私の口からガウリスを呼ぶ声が出ると、ガウリスは私を見た。
「お前は神官ではなくなった。さあ、これからどうしたい?」
アポリトスが私の目の前に割り入ってくる。
「ガウリスは大神官に向いた器です、それはゼルス神様もよく分かっておられるはずです、ですからここに残れるようにファルトス様にも仰って…」
私…ゼルスは目を吊り上げて一喝する。
「静かに!今はお前ではなくガウリスに問いかけている!」
アポリトスは何か言いたげな表情を浮かべたけど、黙り込んで下がった。私は優しい気持ちでガウリスを見上げて、
「どうだ?」
ともう一度問いかけた。
ガウリスはしばらく黙ってうつむいていたけど、スッと顔を上げた。
「ドラゴンになり各地を周り、ここに戻って来るまで色々なものを見てきました。神殿の中にいて旅人から話を聞くだけでは分からない世界がある、神殿で祈るだけではどうにもならないこともある、私は無力だと痛感しました。…できるなら私は…」
ガウリスはアポリトスをチラと見てから、それを振り切るようにまっすぐに私の目を見た。
「この神殿を出て旅を続けたいです。勇者御一行の皆さんが良いとおっしゃって下さるなら、このまま皆さんと各地を周り、神殿に来れず人生に迷っている方々に道を示せるような…そなようなことをしたい」
その言葉にアポリトスが目を見開いてこの世の終わり、とでも言いたげな表情を浮かべた。
「何を言っているんだガウリス、もう少しで大神官になれるというのに、どうして…!」
「父よ」
ガウリスはアポリトスに向き直って頭を下げる。
「役職など関係なくどこに居ても信仰は私の隣にあります、どうかお許しください。大神官になってほしい気持ちは分かります、私を思ってのことだとも分かります。
しかし私はただ信仰心さえあれば肩書などどうでもいいのです、そのように肩書にばかりこだわるあなたの考えは私には理解できません」
アポリトスは慌てたような顔つきで口を開いた。
「大神官になるのは名誉なことなんだ、ガウリスはそれになれる一歩手前まで来ているんだぞ。諦めるんじゃない」
「私は望んでないと何度言えば分かるのですか!」
ガウリスが目を吊り上げ怒鳴ると、アポリトスどころかアレンもわずかに肩を揺らした。バーリアスなんてヒャッと言いながら椅子から浮かび上がったし、ゼルスも少し目を見開いてガウリスが怒鳴ったことに驚いている。
「いい加減に分かってください、迷惑なんです!私はあなたのそんな所が大嫌いです!あなたは私の話など一切聞きやしない、自身で分かっていないでしょう、あなたは私ではなく自身の理想を何より一番大事に思っているのが!」
その一言にアポリトスはポカンとした表情でガウリスを見上げる。目と口がせわしなく動いて、ガウリスの真っすぐ見下ろす怒りの目から視線を逸らした。
「…わ、私は…お前を立派な大神官にしたくて…ただそれだけで…大神官になれば、お前が幸せになれると…」
「エゴ」
私の口から声が出て、アポリトスは私を見た。
「お前は自分の尺度でこうしたらガウリスが喜ぶと思い込んで行動した。ガウリスが本当にそれで喜ぶかどうか考えたこともなかっただろう。
ただ実際には良かれと思って行動し口にしていたことは、ガウリスの人格や思考を全て無視して苦しめていたにすぎん。結局アポリトスは自分の思い通りにガウリスを動かそうとしていただけだ」
その言葉にアポリトスの心が砕けるバキンという音が耳にも聞こえた。
アポリトスがヘナヘナと膝をついて魂が抜けたような顔をしている。
「だが、喜べ」
アポリトスに優しい声で私は伝えた。
「ガウリスが次期大神官として期待を集めるほどの人格者に育てあげたのはお前の妻と、アポリトス、お前なんだ。そのことは誇りに思いなさい。誰が見てもガウリスは立派な人格者だ。それは私も、他の神々も認めている」
アポリトスはそれを聞くとグッと顔をしかめて、床にゆるゆると突っ伏して、嗚咽をあげて泣き続けた。
優しい人はキレたら怖い。そして完全に嫌われたら離れていく。そうやって離れられたら優しさが身にしみている分、居なくなられた時が辛い。
みたいな感傷に浸っている内容をTwitterまとめでよく見ますが、それを呟いた人がどれだけ見捨てられる程のことをし続けたのだろうと思うと全然同情できないし、むしろ去ってった人に同情する。




