そんな…一度も料理したことも無いのに朝食を作れと?
私は物置で横になって最初は気を張って眠れなかったけど、横になっていると段々と眠気が押し寄せてきてついにはぐっすりと眠ってしまったみたい。
そういえば寝る前にファリアから聞いたんだけど、私をさらって襲おうとしてきたあの白髪で好色な男の人は神々の王で、ガウリスのいる神殿が祀っているゼルス本人だったんだって。
ガウリスはゼルスのそういう面を理解して祀っているのかしら。
そうやって眠りに落ちてどれくらいたったのか…。
フワッと眩しい光がまぶた越しに当たってきたから自然と目覚めて、目を薄っすら開けた。
窓が無くて真っ暗な部屋だけど、扉の方から直接太陽の光が目に入って来たから思わず目を覆った。
え、日差し?
手で光を遮りながら目をパッチリ開けると、扉のところに槍と盾を持って武装した人が私を見下ろしていた。
「誰!?」
驚いて叫びながら飛び起きた。
そう言えば光が現れたら逃げるようにってファリアにも言われていた。まさかあの白髪の男の人が侵入して来たの?でも見張ってくれてる人もいるって言っていたのに…!
「起きたか」
目の前の武装した人は良く通る高い声でそう言った。
武装しているから男だと思ったけど、少し落ち着いて見上げると身長はそんなに高くもなくて、体格もスッキリとした細身の女の人みたい。
「…もしかしてファリアが言っていた人…?」
寝起きの頭を働かせて聞いた。
ファリアは今日用事があるから他の人について行くよう呼びかけるって言っていた。いつ呼びかけたのか分からないけれど、もしかしてこの人がそうなの?
すると目の前の武装した人は槍を振り上げて、石畳にガンッと槍尻を叩きつけた。
「起きたのならさっさと立て!動け!」
慌てて飛び起きて立ち上がると、目の前の武装した女性は私と同じくらいの身長。
私が立ち上がると女性はどこか満足気に頷いてから部屋から外に出た。部屋の外…廊下には外からの光が当たっていて明るい。
白い壁がまるで金色の光に包まれているようだわ。
「アルテミ…ファリアから話は聞いた。父に貞操を狙われているが、話をしたいんだって?」
武装した女性が歩くたびに武具がから金属音が出る。
「ええ」
でも父って言うことは、この女性もあの白髪の男の人の子供なんだ…。
何だか全員の見た目の年齢が近すぎて頭が混乱してしまうわ。神ってそういうものなのかしら。
武装した女性は昨日ファリアが座っていた椅子に座る。
改めて目の前の武装した女性を見ると、冑からのぞく髪の毛は黒くて、肌も浅黒い。
黒い瞳が私を見た。その目はとても輝くようで、それもなんて力強い目つき…。
「食事を作りなさい」
「へ?」
「朝食だ。私の分と、お前の分」
「…え?」
「ファリア付きのニンフも全員行ってしまったからな。作れ」
さも同然という対応に、私は寝ぼけ眼を擦りながら周りを見た。
確かに料理もできる暖炉もあるし、部屋の隅には食べ物もある。それに昨日御馳走になったミルクを入れる壷もある。
「けど私、あんまり料理ができなくて…」
上手、下手という以前に料理を作る機会がないから料理ができないと言った方が正しいけど。
大体私たちは宿屋に泊まるから宿屋で出されるものを基本的に食べているし、野宿で自分たちでご飯を食べる時も大体は日持ちのするパンや干し肉を買って食べているし。
それにその辺で掴まえた動物や魚を食べることもあるけど、動物をさばくのはサードが上手だし、魚をさばくのはアレンが上手。
私が料理でやることっていったら、持ち運び用の小さい鍋やフライパンに食べ物が焦げ付かないようにかき混ぜるくらいで、味付けだってほぼアレンがやっているのよね。
下級貴族時代だって料理をしたことも無い。食べる物は待ってたら料理人が用意してくれるものだったし。
お母様は料理が上手だったけど一緒に作ったことはないし…料理なんて全然やってきたことがないからいきなりやれって言われたって…。
まごまごとしていると、武装した女性はエリーを睨んだ。
「それは神である私に朝食を作れということか?」
「そういうことことじゃなくて、口に合うものが作れないかも…」
武装した女性は鼻白んだ顔をして、立ち上がった。
「どうやら家庭の神から見放された人生を送っているようだ」
確かに今は家庭から遠い位置にいる冒険者だけど、そこまで言わなくたって…。
思わず閉口していると、武装した女性は壁にかけられているフライパンを指さす。
「まずそこのフライパンを暖炉の上において、そこの器にある卵を二つ取りなさい」
慌てて言われた通りに動く。
「フライパンを温めたらその壷に入っている油を敷いて…多い。卵を揚げる気か。まあいい。そこに卵を割って…下手だな。殻が入ったぞ、取りなさい。今なら間に合う。早く取らないと白身と同化する、早く取りなさい。
…うん。いまのうちにそこにあるパンを切りなさい。そこの暖炉の火で包丁を熱すると切りやすい。パンに野菜と肉を挟んだものが食べたいな。そこの野菜を水にさらし、そこのハムの肉をスライスして…」
武装した女性は次々と指示を出してくるけど、私はパニック状態で右に左にと動き続けた。
だって卵を焼いているのにそれと同時進行でパンを切って?野菜を剥いて?ハムをスライス…?
ああちょっと、卵大丈夫?焦げそうになってない?
「野菜はよくすすげ。そして水にさらせ。ハムはやや分厚く切りなさい、私好みだ」
卵を確認しに行こうとすると別の指示が出されてそっちに移動して野菜を洗うけど…卵大丈夫?焦げてない?何かバチバチ音がするんだけど…!?
「卵は揚がり始めたところだ。心配するな」
「揚がって…?焼いてるのに?」
「敷く油が多すぎたんだ」
「…」
とにかく次々に出される指示に従って暖炉の周りを行ったり来たりを繰り返して、混乱のうちに出来上がったものは、フライパンから皿によそう時に失敗して半分に折りたたまれた油っぽい目玉焼きと、野菜と分厚く不揃いにスライスされたハム、それと熱したバターを挟んだサンドウィッチが出来上がった。
飲み物は壷に入ったミルクだ。
「…初めて一人で料理を作ったわ」
感動して目の前の目玉焼きとサンドウィッチを見ていると、武装した女性は鼻で笑った。
「卵は焼いただけ、パンは野菜を千切って肉を切ってバターを挟んだだけ。この程度で料理と言えるか。しかも私の助言つきなのに一人で作っただと?おこがましい!」
と言いながら半分に折りたたまれた目玉焼きもパンにはさんでかぶりついた。
「うん、悪くない」
けなしたいのかしら、そうでもないのかしら…。
でもいつもならパンはちぎって食べるけど、サンドウィッチは手でちぎると大変だし…。
私は武装した女性の真似をしてパンに卵を挟んで思い切ってかぶりついた。
口の中にパンとバターのとろけた味が広がって、そのあとに冷たくてシャキシャキした野菜、少し脂っこい目玉焼きの温かみと、目玉焼きに温められた塩味のあるハムの味覚が口の中に広がっていく。
自分が全部用意して出来上がった物というひいき目があるせいか、すごく美味しい。
「美味しい」
「お前の腕じゃなくて素材がいいんだ」
…やっぱりけなしたいのかしら…。
武装した女性はあぐあぐとサンドウィッチを平らげて、ミルクを飲みほしてから私の前に陶器のコップをズイッと差し出す。
「注げ」
偉そうだけど、まあ神様だし…と思いながらミルクを注いで目の前に寄せる。
昨日ファリアは普段はこんなことはしないって言っていたけど、これが普通で神様が人に飲み物を注ぐなんてことはしないわよね。
「ところで名前を知りたいのだけれど、あなたはなんて呼ばれているの?私はエリー・マイよ」
詳しいことは知らないけど、神様は色々な名前で呼ばれているらしいから聞いてみる。
「アテナと呼べ。私はこの名が一番気に入っている」
神様でも名前の好みがあるの。
サンドウィッチを頬張りながら食事を終える。最初は足りないかしらと思ったけど、食べてみると半分ぐらいでほとんど満腹感に満たされた。
「言っておくが私はお前が襲われないよう付き添うだけで会話には参加しない。いいな、エリー」
先に食べ終わっているアテナは槍の先端を磨きながらそう言う。
ええ、と頷きかけたけど、昨日ファリアにも聞いたことをアテナにも聞いてみた。
「ガウリス、分かるわよね?昨日ファリアに聞いたらいい返答が貰えなかったの。どうにか人間に戻す方法はないかしら」
「ない。自業自得だ」
ファリアよりも率直に断られた。
「けど、ファリアのお兄さんが姿を変えたのでしょう?ならそのお兄さんに話をつけたらどうにか…」
アテナの黒くて力強い目が私を射抜く。
「ファリアにも言われなかったか?一度姿を変えた者は二度と元には戻らん。コップからこぼれた水が元には戻らんのと同じ、割れた皿が元に戻らんのと同じ。なぜそのことが分からない?エリー、お前はそこまで馬鹿じゃないだろう」
と言いながらアテナは私を見て、もっと疑問そうな顔になった。
「そもそもサンシラへ来たのは神官のことではなく、別のことで来たのではないか?」
そのアテナの一言に私は別のこと?とキョトンとした顔でアテナの顔を見返した。別のこと…別の…あ!
「そうだ!水のモンスターのことで奇跡を起こしてもらいにここに来たんだったわ!」
たまに思い出していたけど、初めての海、初めての船、海賊の襲来、サンシラ国での子供の誘拐、ガウリスが神官から除名されそうなこと、あとは今こうやって神の住まう地にさらわれたことで毒をもつ水のモンスターを神様の奇跡でどうにかしてもらう、という最初の目的をすっかり忘れていた!
そんな私の様子を見て、アテナはおかしそうにムズムズと口を動かしていたけど、耐えきれなくなったのか吹き出して大声で軽快に笑う。
「あっはははは!馬鹿か!あっはははは!」
「馬鹿じゃない!」
思わず言い返して、しまったと口をふさいだ。神様相手にこのような口ぶりを聞いたら怒る…って思ったけど、アテナはテーブルをバンバンと叩いて、足をバタバタさせて大声で笑い続けている。
まるで同年代の女の子のような笑い方に私は毒気を抜かれて黙って見ていた。
「はぁ、笑った」
アテナはひとしきり笑った後にケロリと表情を元の凛々しい顔つきに戻して、でもまだおかしそうにニマニマと笑いながら私を見た。
「これだから人間は面白い…おっと、お前は正確に言えば人間ではないらしいが」
「じゃあ、私は何なの?ファリアも何か分かっている口ぶりだったらから、アテナも分かるんでしょう?」
「…」
アテナは楽しそうに口をニンマリとさせて黙っている。
「父に聞けばいいだろう、この後会うのだから。だが最初にここに来た目的を忘れるんじゃないぞ。ガウリスのことよりも自分のことよりも水のモンスターのことを真っ先に聞くんだぞ、決して忘れるなよ」
からかうようなしつこい口調で言われて、ムゥ、と口を尖らせると、アテナは余計楽しそうに笑った。




