#8 大気圏離脱
ラーニャが駆逐艦8820号艦に来て、すでに1週間が経とうとしていた。
この間、シン帝国との間の交渉が前進する。
地球203政府より交渉官が派遣されて、本格的な同盟交渉が開始されていた。と同時に、周辺国への交渉官派遣も実施される。
特に隣の王国、カールヘルトらの行動で結果的に帝国の侵攻を食い止めることになったあの王国では、交渉官の派遣は特に歓迎される。そして、帝国よりも先に同盟を成立させて、有利な立場に立とうとも考え始めていた。
そんな事情を察して、帝国でも地球203との交渉成立を急ぎ進めていたところであった。
で、そんな思惑の産物としてこの狭い駆逐艦に来てしまったラーニャはといえば、徐々にこの艦の生活に馴染み始め、それなりにここの生活を謳歌し始めていた。
部屋には備え付けのテレビがあり、艦内に持ち込まれた膨大な動画と、駆逐艦に取り付けられた複数のカメラ画像を見ることができる。ラーニャと、侍女のノエミは毎日、映像で地球203の文化を学んでいる。
食事はといえば、ジャンクフードが大好きではあるが、そればかりを食べるわけにもいかず、パンやサラダ、肉料理にスープなども次々に試しているところだった。
が、夫婦になったとはいえ、さすがにすぐには同棲とはいかず、夜はカールヘルトとは別々の部屋で過ごす。もしかしたら、この同盟交渉の果てに、皇帝陛下が娘を返せと言ってくるかもしれず、そんなわけでこの艦内ではラーニャは客人待遇として迎えられていた。
「で、今日はですね、シュヴァイネブラーテンという豚肉料理をいただきまして、これがとても美味でございました!」
艦の両脇にある数少ない窓のある場所、展望室にて、ラーニャはカールヘルトに今日食べた料理を報告している。
「そうか。あれは私の故郷の料理で、私も好物なんだ。だが、この駆逐艦の料理は今ひとつ味が薄い。今度、戦艦の街に立ち寄ったら、本当のシュヴァイネブラーテンを味あわせてあげよう」
「戦艦の街?」
「ああ、この駆逐艦は2週間に一度、補給のために戦艦ヴェストファーレンに立ち寄るんだ。その際に、その戦艦内にある人工街へ立ち寄ることができる」
「はあ……そうなのですか。で、その街には、なにがあるのです?」
「ここにはないものばかりだ。たくさんの店があって、服や雑貨、そして飲食店。この艦では味わうことのできない料理やスイーツ、そして多種多様なお酒がある」
「まあ、素敵ですね! 私もその街に行ってみたいものです!」
「明後日にはここを出発し、戦艦ヴェストファーレンに向かう予定だ。私が案内しよう」
「楽しみにしておりますわ、カールヘルト様」
とまあ、宇宙へ出発する直前はこの通り仲睦まじい2人であったが、翌日の朝は一転、険悪な雰囲気となる。
「ちょっとゲルダさん、聞いてくださいよ!」
見たことがない激おこモードのラーニャが突如食堂に現れて、中にいた10人ほどが一瞬、食事の手を止める。
「な、なんでぇ、ラーニャ。いきなりぷりぷりしやがって。どうした?」
「そりゃあ、怒りたくもなります! 酷いんですよ、カールヘルト様は!」
それを聞いたマルタも、食堂内に駆けつける。
「なになに、面白い……いや、大変なことになってるわね」
「あ、マルタさんも。ちょっと、聞いてください! カールヘルト様ったら……」
と、そこにカールヘルト少佐も現れる。軍帽で顔を隠し気味にして、ばつの悪そうな顔で食堂内に入ってくる。
「あ、副長! なにをやらかしたんですか!?」
「もしかして、いやらしい目でラーニャさんを見てたんじゃないでしょうね!?」
「い、いや、そういうわけではない。ただ、ラーニャが……」
「女の敵!」
「そうだ! これだから男どもはダメなんだ!」
いきなり2人の女性陣から総攻撃を受ける副長。3人が、副長を睨みつける。
「で、なにをやらかしたの、この女の敵は!?」
「そうだ、何か変なことをされたのか!?」
理由も聞かずに敵呼ばわりするとは……一瞬、呆れたカールヘルト少佐の前で、ラーニャは言う。
「私の占星術が、信じられないと言うのでございます!」
これを聞いた一同は、言葉を失う。
「せ、占星術? つまり、星占いのことか?」
「はい! カールヘルト様のつばき座のそばには灰星がおり、その反対側に三日月が差し掛かっているのです。そして明日、金剛傍星が真下を通り過ぎるのでございます! ですから私は、明日は足元を注意して下さいとご忠告申し上げたところ、星占いというものはあてにならないなどと仰せになられるのです!」
「は、はあ……」
想像以上に軽い理由だった。別に妙なことを要求したわけではない。だが、2人の矛先は相変わらずだ。
「……やはり、女の敵ね」
「そうだ、副長殿には、女心がわからないのか!」
「あんな分からずやなんて放っておいて、こっちにいらっしゃい!」
「そうだそうだ! でさ、あたいのことも占ってくれよ。ええと、あたいの誕生日は、こっちの月で……8月34日だったっけ?」
で、結局、女性陣だけで盛り上がり始めてたため、カールヘルト少佐はすごすごと艦橋へと戻る。
「はぁ……」
ため息をつく副長に、通信士が心配そうに声をかける。
「そんなにショックだったんですか? だったら、さっさと謝ればよかったのに」
「いや、それはそうだが、あの場は……というか中尉よ、貴官は私の事情について知っているのか?」
「そりゃあもう、艦内は狭いですからね。あっという間に噂になってますよ、副長と皇女様が痴話喧嘩をされたという話は」
「うう、そうなのか……」
落ち込む副長に、艦長は忠告する。
「まあ、落ち込むな。夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、喧嘩しない夫婦の方が不自然だ。それだけ、夫婦になれていると言うことではないのか?」
「いや、艦長、申し訳ないですが、私にはまったく夫婦だと言う自覚はありません。別々に暮らしてますし、どちらかと言うと彼女を客人だと思っているので」
「だが、あちらはそうは思っておらんぞ。その上で起きた喧嘩だ。お互いが少しづつ、夫婦として意識しあっている過程だと思うのだがな」
「はあ、そうですか……」
副長にとっては、なんだか艦長の年の功に丸め込まれた感じだ。もしかすると無意識のうちに、ラーニャのことを妻だと認識し始めているのだろうか? この日は結局、いらぬ思考が頭をいっぱいに回り続けたため、まるで使い物にならない副長だった。
が、その日の夕方。艦橋を出るカールヘルト少佐は、その出入り口で待つラーニャと会う。
朝方とは一転し、暗い表情のラーニャ。一体、どうしたと言うのか?
「あ、カールヘルト様!」
「ど、どうした、ラーニャ!?」
「あの、お願いがございます……」
「な、なに、お願いって?」
「私の短剣を、お返し願えませんでしょうか……」
ただならぬ気配を感じたカールヘルトは、静かに尋ねる。
「……あの、ラーニャさん、それを何に使うのか、お聞かせ願えますか?」
「はい……私は帝国の命運を担い、あなた様の元に嫁いだのですが、そんなあなた様に、あのように恥をかかせてしまいました。これは、万死に値する行為。ですから私は、自身でけじめをつけたいと思いまして」
やはりそうか……カールヘルトに一瞬、憤りのようなものが湧き上がる。だが、彼は静かに応える。
「いや、今回の件は私が悪かった。だから、ラーニャは何も悪くはない」
「そんなことはございません! カールヘルト様には何ら、落ち度はありませんから。実は私、宮殿でも噂されていたのでございます……星に拘りすぎる姫、『星姫』と」
「ほ、星姫?」
「7番目の姫となれば、皇族の中でもあまり相手して下さることはございません。ですから占星術を学び、いそれに没頭したのでございます。そして侍女や侍従、兄上や姉上を次々と占った結果、皆から疎まれるようになりまして」
「そうなのか……」
まあ、星への拘りが強いことくらい、見れば分かることだ。毎日、甲板に上がっては星を観測し、それを元に毎日占いをしている。金剛傍星という低楕円軌道の衛星の動きも3日先まで読めるし、只者ではないことくらい、カールヘルトは重々承知していた。
「ですがここは、星の国からいらしたと言う方ばかり。その文化に馴染みすぎ、私としたことがつい、調子に乗りました。悪い癖が、出てしまったのです。ゆえに私は、自らを罰せねばと……」
「いや、ダメだ!」
つい声を荒げるカールヘルト少佐。その声に驚くラーニャ。だが少佐は、彼女の肩に手をかけてこう諭す。
「私はあなたに、短剣など不要となる世界へ案内すると言った。だから、あなたが自らを罰するなど、認めるわけにはいかない」
「で、ですが私は……」
「あなたの星は、男尊女卑というか、やや女性の立場の低い世界のようだが、ここは違う。この数日間で、それはあなたも感じているはずだ」
「はい、確かに。ゲルダさんやマルタさんなどは、事あるごとに殿方を罵っておいででしたが……」
「あれが我々の世界に認められた自由の一つだ。だから、あなたが自分の意思で私のことを怒り、それを表す自由がここにはある。それは、何ら罪なことではない」
「か、カールヘルト様……」
「ゲルダ上級兵曹やマルタ少尉のように、あまり男に対して敵意をむき出し過ぎるのも困るが、ラーニャさんのあの怒り程度は、我々の星では日常茶飯事だ。互いに納得し、仲直りできればそれで解決と言う類の喧嘩に過ぎない。だから、あの一件でそれ以上、気に病む必要なはいよ」
それを聞いたラーニャは、それまで抱えていた罪深さから解放された反動か、突然ボロボロと涙を流す。
「か、カールヘルト様……」
そしてそのまま、カールヘルトに抱きつくラーニャ。交代時間を迎え、艦橋へと向かう乗員らが、チラチラとその様子を見ている。ばつが悪いが、今は無理矢理引き剥がすわけにはいかない。黙ってラーニャの頭を撫で続ける若き副長。
「さ、そろそろ食堂へ行こうか。その様子だと、夕食はまだだろう?」
「は、はい、何やら急にお腹がすいてきまして……」
だが、エレベーターの方へと歩き出すカールヘルトの服の裾を握り、引き止めるラーニャ。
「あの、カールヘルト様。お願いがあるのですが」
「なんだい?」
まさか、また短剣を出せというのではあるまいな。一瞬構えるカールヘルトに、口を開くラーニャ。
「あの……ですね、手を握っていただきたいのです」
「手を? ああ、構わないよ」
と、そのまま手を繋ぎ、エレベーターへと向かう2人。その様子を、何人もの乗員が目にする。
ああ、仲直りしたんだ……すでに朝の一件を噂で聞いていた乗員の多くは、その姿を見送りつつ、そっと敬礼する。だが、ラーニャの願いとはいえ、これはちょっと、恥ずかしい。
「あれえ? 女の敵が、なに手を繋いで歩いてるんだぁ!?」
エレベーターで乗り合わせたのは、ちょうどブリーフィングを終えて食堂に向かう途中の、ゲルダ上級兵曹だ。
「いや、あれはもう解決済みだ。ゆえに今は、こうして並んで食堂に向けて歩いているところだ。見れば分かるだろう」
「『並んで』ねぇ。にしちゃあ、ちょっとひっつき過ぎじゃねえのか? いやはや、お熱いことですねぇ、副長殿とラーニャは」
このズケズケともの申す整備科の女整備士に、散々冷やかされる2人。
「そういえばラーニャ。今日、おめえの占い通りの日だったぜ!」
「そ、そうなのですか?」
「ああ、今日は調子がいいって、そう言ってたじゃねえか。確かに今日は、やることなすことスムーズでよ、いやあ、いつもこれだとあたいもカリカリしなくて済むんだけどなぁって思えるほど、いい日だったよ」
「そうですか……いや、そうなんですよ! 私の占星術は、よく当たるんですよ!」
「そうだな。また頼むわ」
「ええ、いつでも占って差し上げますよ、ゲルダさん」
カールヘルトの手を握りつつ、にっこり微笑み返すラーニャ。昼間のあの怒りはどこへやら、半ば呆れつつそんな2人を眺めるゲルダ。
で、食堂に入ると、2人の姿を緊迫した表情で迎える乗員らの姿があった。が、2人が手を繋ぎ、この食堂に微笑みながら入る姿を見て、今朝の危機を脱したことを悟った。
そして、いつものように夕食を食べ、星を見て、互いに部屋に戻った。
だが、その夜。
カールヘルトの部屋のドアを叩く音がする。
「誰だ?」
敵襲などの緊急事態の際は、スマホに連絡が来ることになっている。扉をわざわざ叩くことはない。不可解に思ったカールヘルトは、ドアを開ける。
そこに立っていたのは、ラーニャとノエミだった。
「あれ? ラーニャ、こんな夜更けに、どうしたの?」
カールヘルトの問いに、無言で微笑むラーニャ。そしてそばにいるノエミの方を向いて、彼女に言う。
「ありがとう、ノエミ。あなたは部屋に戻っていいわ」
「はい、お嬢様」
メイド姿のノエミは、すごすごとその場を去る。
そしてラーニャは、カールヘルト少佐の身体を押しながらドアの中に入り、そのままドアを閉めた。そして、鍵をかける。
この行動に不意をつかれたカールヘルト少佐だが、ラーニャの行動の真意を未だ計りかねている。いや、だいたい分かってはいるのだが、それにしても唐突すぎる。
少佐は、緊張で体がこわばる。しかし、ラーニャはこんなことを言い出した。
「カールヘルト様! 紅玉星が、動いたのです!」
「は?」
ただならぬ雰囲気の中で開口一発、意味不明なことを言い出すラーニャ。ますます混乱気味なカールヘルト。だが、そんなカールヘルトをよそに、話を続けるラーニャ。
「たてがみ座に居座っていた紅玉星が、ついにその髪のすそから抜け出したのでございますよ!」
「は、はぁ……そうなの。で、それがどうしたの?」
「ですから、その……呪縛が解けたのでございます。」
「そ、そうなんだ……で、呪縛が解けると、どうなるの?」
「幸福の星、白海星は逆に、たてがみ座の中に入り込んでおります。ということは今宵、私とカールヘルト様は、より深く結ばれるということにございます。」
「えっ!? 結ばれる!?」
見目麗しく、可愛らしい真顔で意味深なことを口走るラーニャ。それを聞いたカールヘルトに、変な汗が流れ落ちる。
「というわけで、カールヘルト様。その……夫婦としてのですね……」
「いや、ちょっと! ラーニャ!」
「なんですか?」
「いえ、私はあなたに、この世界の女性は自由だと話したはず。そんな、私のような得体の知れない男に……その身をゆだねるようなことをしてもいいのか?」
「ええ、この世界の女性は、我々帝国と比べてはるかに自由でございます。」
「それを理解して、なぜ……」
「ですから、私は自由意思によって、ここにやってきたのでございますよ、カールヘルト様」
ベッドの前で、カールヘルト少佐にそっと抱きつくラーニャ。薄暗い部屋の中で、ラーニャは続ける。
「私の身を案じ、そして私に様々なものや思想を与えてくださり、また私の怒りも受け止めてくださり、その罪もお許しになった。そんなカールヘルト様を、どうして慕わずにおられましょうか?」
そしてドレスを脱ぎ始め、下着姿となったラーニャ。そのラーニャを見て、カールヘルト少佐は心臓の高なるのを覚える。
「あ、あの……ラーニャ……」
「もしかしてカールヘルト様は、私のこの姿に、何もお感じになられませんか?」
「いや……そんなこと、あるはずがないだろう……」
「でしたら、カールヘルト様ももっと自分のお心に正直になされたらよろしいのに。」
「は、はあ……」
「カールヘルト様」
「は、はい」
「いくら抗おうとも、星の運命には逆らえませぬよ」
星の導きか、それとも自由に目覚めたラーニャの意思か。ともかくこの日から2人は、同じ部屋で過ごすこととなる。
そして、その翌日。
「機関よし! 上空に障害物なし!」
「駆逐艦8820号艦、発進する。両舷、微速上昇!」
「了解! 両舷、微速上昇!」
航海長の甲高い声が、艦橋内に響き渡る。その声に合わせて、駆逐艦8820号艦は増速を開始する。
「ひええぇっ、な、なんですか、このけたたましい音は!?」
ああ、そうだった、ラーニャは初めてだったな、機関の全開音を聞かされるのは。
補給のため大気圏を離脱し、宇宙へと向かう。それはラーニャにとって、初めての宇宙への旅であった。




