#6 覚悟
「皇帝陛下、ならびに、ネポシアーノ殿下、ご入場!」
奥の扉が開かれる。頭上に、皇帝の証である銀の冠、紫に光飾の刺繍を施した服装のいでたちで現れた人物と、その傍らに、あの戦場では鎧姿であったネポシアーノ皇太子の姿があった。
先ほどまでワインの話に興じていたあの女性、ラーニャは、カールヘルト少佐を手招きして、陛下の方へと歩み寄る。それを見たマルタも、後ろから随行する。
「そなたが、カールヘルトであるか」
「はっ、お初にお目にかかります、陛下!」
彼は、彼の星、彼の組織の礼儀ではなく、自国の貴族風の礼儀をもって陛下に応える。するとこの帝国皇帝は、側近が手渡す筒状の羊皮紙の手に取る。そして、それを広げる。
「カールヘルトよ、そなたは我が帝国にとって、かけがえのない者として迎えたいと考えておる。ゆえに、これをそなたに託す」
「は、はあ……」
そう言って手渡されたのは、彼が見たこともない文字の書かれた羊皮紙。それを両手で受け取り、一礼する少佐。
だが、それが一体なんなのか、この時点では知る由もない副長だ。しかしその直後、彼はとんでもないものを受けてしまったことを悟ることとなる。
「カールヘルト様、これより私はあなたの良き妻となり、あなたと共に生を歩むことを、お誓い申し上げます。」
つい先ほど出会い、まだワインのことしか会話していない、あの薄緑色のドレスを着たご令嬢が、このようなことを口走る。
カールヘルトは、理解した。
この巻物は、つまりはこの令嬢を譲る、という意味の契約書のようなものだった。だが、陛下がわざわざ手渡してくれたその書をつっかえす勇気は、さすがの副長にもなかった。
無論、その後ろに立つマルタも、全く予期せぬ出来事に、副長以上に愕然としている。
半ば不意打ちのように、その令嬢を「頂く」ことになってしまったカールヘルト少佐。ここで彼は、その令嬢の顔を見直す。
美人だ、それも、とびきりの美人。白い肌、丸い顔、少しボリュームのない胸とスレンダーな体格、古風なドレスに身を包んだその姿は、まるで印象派の絵画から飛び出したようなお嬢様ともいうべき人物が、そこにいる。
てっきり、絵画に描かれた美人でももらい受けたのかと錯覚するが、ワイングラスを片手にこちらを見て微笑んだため、それが絵画などではなく、本物の人間であることを理解させる。
この時点で、彼は重大なことに気づく。妻としてもらい受けてしまったこの相手の名前も、素性も、少佐は何も知らない。
一体、誰なんだ、この人は?
ラーニャが声を発してから、彼女のことを何一つ知らないことに副長が気づくまで、およそ2、3秒。
だがそれは、彼にとっては未だかつてないほどの長い2、3秒だった。
「あ、あの……」
「なんでございましょう、カールヘルト様」
その長く短い時間の果てに、彼はようやく口を開く。
「ええと、私は……あなたの事を、なんとお呼びになればよろしいのでしょう?」
「ああ、そうでした。自己紹介がまだでございましたね」
まさか夫婦になることが決まってから、相手の名を知るという、そんな人生が待っているとは思いもよらなかったその副長に、深く会釈して名乗るその令嬢。
「私は、皇帝陛下の7番目の娘で、ラーニャ・デ・アウストリアと申します。ラーニャとお呼びください、カールヘルト様」
まだ状況が飲み込めていないカールヘルトは、こう答えてしまう。
「あ、はい、ラーニャさん、よろしく、頼みます……」
それを聞いたマルタ少尉は、動揺する副長の耳元で囁くように言う。
「ちょ、ちょっと、副長。なに勝手に承諾しちゃってるんですか。ちゃんと断らないと」
「いや、しかしだな……」
「まさか皇女様を、あの殺風景な駆逐艦までお連れするというのですか?」
「だが少尉よ、周囲を見ろ。この状況で、断れると思うか?」
「ううっ……確かに」
貴族らはこの皇女様の門出を祝福し、皇帝陛下もネポシアーノ皇太子もすっかりお祝いムードである。
「ラーニャよ、実に良き門出の日を迎えられたな」
「はい、兄上。この帝国のため、そして夫、カールヘルト様のために私、微力を尽す所存にございます」
で、結局この副長は皆に祝福されながら、およそ2時間ほどの宴が続いた。
そして、駆逐艦へと向かう馬車。行きとは異なり、帰りのこの馬車にはあの温厚な伯爵に代わって、皇女様とお付きの侍女の2人が乗っている。
「あの、カールヘルト様」
「は、はい、何でしょう?」
「あの空を舞う砦が、星からやってきたという話は、誠にございますか?」
「ええ、本当ですよ。我々は、地球203という星から来たのです」
「まあ、地球203……聞かない星の名ですね。それは一体、どのような星なのでございますか?」
「ああ、ええと、そうですね……青い星です」
「青い星ということは、白海星のような星にございますか?」
「えっ? はくかいせい?」
彼女の口から、聞いたこともない星の名が出る。
「白海星とは、幸福、成功をもたらす星と言われております。ちょうど今、私の星座であるたてがみ座の脇におります。そのたてがみ座のもう一方の脇には紅玉星という、動乱と冒険をもたらすとされる星がおり、今宵はこの天空一の迷い星である金剛傍星が通り過ぎるのでございます。自身の星座が迷い星に囲まれるのは、誰かと結ばれることを意味し、そこに破壊と混乱の象徴である金剛傍星が来たということは、並々ならぬ変化が私に訪れることを意味するのです。つまり、あなた様との婚姻は、星によってすでに運命づけられていたことなのです」
意味不明のオンパレードだった。カールヘルトは考える。つまりこれは、いわゆる占星術のことだろう。白海星だの紅玉星だのと呼んでいる星は、どうやら星々の間を移動する星、つまり惑星のことを言っているのだと理解する。
この地球は、ここの恒星系の第2惑星にあたる。その外側には水色で大型の第5惑星がいて、赤く大きな第6惑星も確認されている。白海星と紅玉星は、その惑星のことを言っているのではあるまいか。
に。してもだ。この皇女は、やたら星には詳しそうだ。そう察したカールヘルト少佐はポケットからスマホを取り出す。そして、あるアプリを立ち上げる。
「我々の星は、ここから見ればちょうどこの辺りにあるのですよ」
それは、天体図を表示するアプリ。遭難した時などに備え、この地球から見える星の位置と方角を確認できるアプリが彼らには提供されている。それをこのラーニャに見せる。
「まあ、これはまさに帝都の星空そのもの! この辺りはまさに私の星座、たてがみ座でございます! そうだったのですか、カールヘルト様は、私の星座からいらしたお方なのですね!」
「あ、ああ……って、そうなの?」
銀河の星々でも、特に明るい星が密集しているその場所は、確かにこの星からは馬のたてがみのようにも見える。ああ、それで「たてがみ座」というのか、と、カールヘルトは納得する。
しかし、星座というものはその方向に見える星の配置に過ぎない。別の方向から見れば、別の配置に変わる。宇宙を航行し、3次元的に空間を把握する技術と知識を持つカールヘルト少佐にとっては、星座にたいした意味を感じない。せいぜい、夜空から方角を知る術としての利用価値を感じる程度だ。
などと星の話題で盛り上がっているうちに、駆逐艦のそばに到着する。馬車を降り、艦底部にある出入り口へと向かう。
後に続くのは、マルタ少尉に先導されたラーニャ皇女、それに随行するメイド姿の侍女のノエミ。
我々の到着に合わせて、出入り口前にはずらりと士官らが20人ほど並ぶ。その列の間から、艦長が現れる。
だいたいの事情は、事前にカールヘルトがこっそり艦長にメールで伝えていた。だが、まさかそのまま受け入れるのではあるまいな? 政略結婚のような前近代的な風習を、恒星間航行も可能な文明を持つ我々があっさり認めてどうするおつもりか? などと憤るこの副長の心境などお構いなしに、艦長はこの華麗で純心そうな皇女を出迎える。
「ようこそ、我が駆逐艦8820号艦へ。私はここの艦長、ディートハルトと申します」
「私は帝国皇帝の第7皇女、ラーニャと申します。カールヘルト様の元に嫁ぐため、参りました」
「すでに報告は受けております。さ、どうぞ中へ」
副長との結婚をあっさりと追認する格好となった艦長に、カールヘルトはますます憤る。もっとも、いくら周りの雰囲気に飲まれたとはいえ、ここまで一度もこの件について異論を唱えなかったカールヘルトが、一番悪い。
ゆえに、マルタ少尉からも睨まれる。どうせこの麗しき皇女を手に入れて、内心喜んでいるのだろうと、この女性士官はそう考えているに違いない。その少尉の表情から、副長はそう察する。
が、考えても見ろ、相手が誰だか分からないのだぞ。しかも、意味不明な星占いの話を始めた。そのような者と共にされた自分が、手放しで喜べるはずもないだろう、と。
艦の入り口前に並ぶ士官らの列の間を通って、出入り口に差し掛かる。ところが、駆逐艦の入り口を通過する際、警告音が鳴る。
「どうした!?」
「いえ、あの、皇女様の持ち物で、何か尖ったものを発見したようです。」
「尖ったもの?」
「皇女様の、腰の辺りにあります。」
中から、入門チェックをしている警備兵がそう話す。そこで副長は、ラーニャに問う。
「あの、ラーニャさん、何かお持ちでありませんか?」
「はあ、実は……」
そう言って取り出したのは、豪華な装飾の短剣だった。
「これは……」
「皇族、貴族の令嬢は、他国へ嫁ぐ際に、これを渡されます。もしその国が帝国と戦争になれば、後顧の憂いを断つため、令嬢はその場で自害せよと、そう教えられて育ちました。これは、そのためのものでございます」
つまりは、我々は彼らから見れば敵国のようなものか……可愛らしい令嬢から放たれたこの言葉に、カールヘルト少佐は察する。その短剣を前に、一瞬、この場の皆が凍りつく。
「そうですか。であれば、私はこれをあなたに預けることを、許可できない」
その雰囲気を一気にぶち壊したのは、この副長の一言だった。その副長は、左手を艦内に向けて、ラーニャに言う。
「これより先は、こんなものを必要としない世界です。あなたは、我々のことをもっと知る必要がある。そんな世界に、私が案内いたしましょう」
こんな非人間的で殺伐とした思想に、このお嬢さんをいつまでも浸らせたままではいけない。副長の中に、何やら正義感のようなものが芽生える。




