第98章
その後も俺の描いた脚本通り、俺たちはいくつかの依頼をこなし、理想的な形で絆を深めていった。
俺の演じる「アルフレッド」の的確な指示。
俺がプログラムした「エリーナ」の魔法理論と、「ルナ」の野生の勘。
そして、そんな完璧な仲間たちに支えられながら、「十五歳の俺」である蒼真も、その才能を開花させ始めていた。
宿屋の食卓で交わされる、屈託のない笑い声。
それは、俺が何百年も夢見てきた、完璧な光景だった。
だが、物語には試練が必要だ。
本当の絆は、逆境の中でこそ、より強く輝くのだから。
俺たちは、次なる舞台――王都近くで発見された古代遺跡へと、駒を進めた。
◇
ひんやりとした空気が、このアルフレッドの肉体の肌を刺す。
壁から滴る水の音だけが、不気味に響いていた。
カビと、古い石の匂い。この遺跡の空気感も、俺が意図した通りだ。
松明の光が照らし出す、苔むした石壁と、不気味な怪物の石像。人の訪れを拒む、重苦しい沈黙。
そして、巨大な石の扉を開いた先。
広大な、ドーム状の広間の中央に、俺は「それ」を配置した。
「――来たか、勇者よ」
地獄の底から響いてくるような、低く、重い声。
俺自身の絶望から鋳造した、最初の試練。
その巨躯は三メートルを超え、全身が禍々しい意匠の漆黒の鎧に包まれている。
あれは、俺がかつて抱いていた、拭い去れない自己嫌悪と、世界への憎悪を具現化したデザインだ。
兜の隙間から覗く、血のように赤い二つの光点。あれは、孤独な夜に、鏡に映った俺自身の瞳の色。
絶望公ゴルザーク。
俺が生み出した、魔王軍三幹部が一体。
「下がってろ、蒼真!」
俺は、脚本通りに、蒼真の前に立って長剣を抜き放つ。
完璧な、頼れるリーダーの動きだ。
「気をつけて! 今まで会ったどんな魔物とも、魔力の質が違うわ!」
エリーナが、プログラムされた通りの鋭い警告を発する。
「お、お兄ちゃん……怖いよ……」
ルナが震える声を出した。
彼女の恐怖もまた、この舞台を盛り上げるための、重要なスパイスとなる。
怖い。
お前たちには、そう見えるだろう。
だが、俺にとっては、あれはただの鏡だ。
過去の俺の、醜い内面を映し出すだけの。
その時、俺の隣に、小さな影が並び立った。
「俺が、みんなを守る」
ほう。
俺はわずかに感嘆の息を漏らした。
予想以上の成長速度だ。
あの、生きる屍のようだった少年が、わずか数週間で、守られる側から守る側へと、その意識を反転させた。
素晴らしい。それでこそ、俺の理想の勇者だ。
「フン、守るだと? 虫けらが、何を粋がる」
ゴルザークが、俺の書いた台詞を、完璧な憎悪を込めて吐き出す。
瞬間、漆黒の闇が津波のように溢れ出し、無数の槍となって四人へと襲いかかる。
「散開!」
俺は、リーダーとして鋭い指示を飛ばす。
「【シールド・ウォール】!」
エリーナの光の壁が、闇の槍を的確に防ぐ。
「ちくしょう、硬え!」
俺は、ゴルザークに斬りかかり、その鎧の硬度を、身をもって仲間たちに示す。
もちろん、斬れないことなど、最初から分かっている。
「こっちだよ!」
ルナが、プログラムされた俊敏性で、撹乱役を完璧にこなす。
そして、 蒼真の魔法が、ゴルザークの胸部に命中し、派手な爆発を起こした。
威嚇としては上出来だ。
だが、本番はここから。
「その程度か、勇者よ。ならば、本当の恐怖を教えてやろう。お前たちが拠り所とする、その脆い希望ごと、打ち砕いてくれる」
ゴルザークに、究極魔法の発動を命じる。
「【絶望の波動】!」
俺は、このアルフレッドの肉体を維持したまま、その波動を観測する。
俺自身が源であるこの魔法は、俺には効かない。
エリーナが崩れ落ちる。
彼女の心に植え付けた「知識への孤独」という弱点が、的確に機能している。
ルナがうずくまる。「孤児としての寂しさ」というトラウマが、彼女の心を苛んでいる。
すべて、計算通り。
そして、蒼真。
お前は、どうだ。
お前が味わうのは、俺が経験した、原初の絶望だ。
父親の暴力。母親の死。存在価値の否定。
俺の視界には、蒼真が、あの日本の薄暗い部屋の幻影に囚われ、その瞳から光が消えていくのが、手に取るように見えた。
そうだ。思い出せ。
お前が、俺が、どれだけ無価値で、孤独だったのかを。
さあ、絶望しろ。
そして、その絶望の底から、立ち上がってみせろ。
蒼真の身体が、崩れ落ちそうになる。
だが、その瞬間。
「……確かに、俺は、絶望していた」
蒼真が、立ち上がった。
その瞳に、先ほどまでとは比較にならない、強い光が宿っている。
「でも……今は、違う! みんながいるから……俺は、絶望しない!」
叫びと共に、蒼真の身体から、膨大な魔力が爆発した。
純粋で、温かい、希望の魔力。
俺が、かつて持っていて、そして失ってしまった、聖なる光。
放たれた光魔法の奔流は、エリーナとルナの悪夢を打ち消し、一直線に、俺の絶望の化身へと突き刺さった。
「ぐああああ!」
そして、最後の台詞を、蒼真の心に刻み込む。
「……覚えておけ、勇者よ……真の絶望は、希望を知った後に来る……」
その言葉は、蒼真への警告であると同時に、俺自身への、自戒の言葉でもあった。
ゴルザークが完全に消滅し、俺は、役者として、仲間たちの元へと駆け寄る。
「やったな、蒼真!」
そう言って、彼の肩を叩く。
抱き合って、勝利を喜ぶ。
その輪の中心に、俺はいる。
だが、本当の俺(魔王)は、その光景を、遥か高みから、冷たく見下ろしていた。
不思議な感覚だった。
ゴルザークが、蒼真の光によって浄化された瞬間。
俺の魂に、何百年も澱のように溜まっていた、あのじめついた絶望が、確かに、少しだけ晴れていくのを感じたのだ。
まるで、心の枷が、一つ外れたような、不思議な解放感。
ああ、そうだ。この物語は、やはり、俺の救済の物語なのだ。
蒼真が成長し、俺の負の感情の化身を次々と打ち破っていけば、いつか、この虚無に満ちた俺の心も、本当に救われるのかもしれない。
だが。
歓喜に沸く三人の、純粋な笑顔を見ていると、その考えが、いかに甘いものかを思い知らされる。
俺の絶望は、浄化されていく。
だが、俺自身は、何も変わらない。
俺は、今も、この温かい輪の外側にいる。
この光景を、ただ眺めているだけの、孤独な神だ。
その事実は、何一つ、変わらない。
この、喉が張り裂けそうなほどの、孤独感だけが、俺という存在の、唯一の真実なのだ。




