第99章
絶望公ゴルザークを打ち破り、蒼真の中に確かな「希望」が灯ったことを確認した俺は、次なる試練の舞台を用意した。
アルディアス北方の霧深い森。
その奥深く、万年氷に覆われた洞窟。
物理的な脅威よりも、精神的な揺さぶりに特化した、孤独と不信をテーマにした舞台だ。
第一の試練が「絶望」からの脱却ならば、第二の試練は「希望」そのものの強度を問うものでなければならない。
手に入れたばかりの絆という希望が、いかに脆く、疑念によってたやすく崩れ去るものかを、彼は知ることになる。
洞窟の中は、俺が意図した通り、幻想的で、どこか不安を掻き立てる空間に仕上がっていた。
青白く輝く氷の壁が、俺の掲げる松明の光を乱反射させ、俺たちの影を歪に引き伸ばしている。
「なんだか、嫌な感じがするね……」
ルナが、不安そうに蒼真の服の袖を掴んだ。
プログラムされた通りの、完璧な怯え方だ。
「ええ。魔力の流れが不自然ね。まるで、この空間全体が、何か巨大な術式の一部みたいになっているみたい」
エリーナの分析も的確だ。
彼女の知性が、この先の異常性を的確に予感させ、場の緊張感を高めている。
「気を抜くなよ。ゴルザークと同格の幹部が、この先にいるはずだ」
俺は、リーダーとして、仲間たちに警告を発する。
そして、最も広い空間――巨大な氷柱が林立する、大聖堂のような広間に出た、その時。
俺は、二人目の幹部を、舞台へと登場させる。
「――ようこそ、勇者とその仲間たち。この孤独の聖域へ」
広間の中央、俺が創造した氷の玉座に、一人の男が優雅に腰掛けている。
艶やかな黒髪、雪のように白い肌、そしてすべてを凍てつかせるような、冷たく澄み切った紫色の瞳。
魔王軍三幹部、孤独候レイヴェン。
かつての俺が抱いていた、他者への不信と、諦観。絆など無価値だとうそぶいていた、あの頃の冷酷な知性を具現化した存在だ。
ゴルザークのような剥き出しの暴力性とは対極の、静かで、だからこそ悪質な、精神攻撃に特化した、俺の負の側面。
「君たちの『絆』とやらを試させてもらおう」
レイヴェンが、俺の書いた脚本通りに、氷のような笑みを浮かべる。
そして、パチン、と指を鳴らした。
轟音と共に、巨大な氷の壁がせり上がり、俺たち四人を分断する。
もちろん、俺も蒼真たちと同じように、壁に閉じ込められる。
「アルフレッド! エリーナ! ルナ!」
蒼真の必死な叫びが聞こえる。
「蒼真! 聞こえるか!?」
俺は、壁の向こう側から、心配する仲間の声を張り上げる。
この演技も、手慣れたものだ。
「無駄だよ」
レイヴェンの声が、テレパシーとなって、蒼真の頭の中に直接響くように設定した。
「絆など所詮は幻想。人は最後には一人になる。信頼も愛情も、すべては自分を慰めるための嘘に過ぎない」
俺は魔法で15歳蒼真の心の中を覗き込む。
レイヴンの幻術が、蒼真の最も脆い部分を的確に突き始めた。
――『正直、蒼真は足手まといだな』
俺の幻影が、蒼真の心を抉る。
――『彼は、弱すぎるわ』
エリーナの幻影が、彼の自尊心を打ち砕く。
――『あんなの、本当のお兄ちゃんじゃない……』
そして、ルナの幻影が、彼の最後の拠り所を奪い去ろうとする。
15歳蒼真の心が、大きく揺らいでいるのがわかる。
ゴルザークとの戦いで得た自信が、疑念という名の酸によって、溶かされていく。
そう、人間とは、そういうものだ。どれだけ温かい言葉をかけられても、たった一つの悪意ある囁きで、すべてを疑ってしまう、弱い生き物。
俺自身が、そうだったのだから。
だが、この物語は、俺の過去の再現ではない。
俺が創りたかった、理想の物語だ。
俺は、仲間たちに、次の台詞を命じる。
「蒼真! 聞こえるか! そいつの言葉に、耳を貸すな!」
俺自身の声が、氷の壁を越えて、蒼真へと届く。
「私たちは、あなたを信じているわ! あなたの力は、そんな幻なんかに負けない!」
エリーナの、プログラムされた、完璧な信頼。
「お兄ちゃん! 負けちゃダメだよ! ルナが信じてるお兄ちゃんは、そんなに弱くないもん!」
ルナの、計算され尽くした、純粋な叫び。
さあ、どうする、蒼真。
お前の心に巣食う疑念と、お前が手に入れたばかりの絆。
どちらを、選ぶ?
「……俺の仲間は、そんなこと、絶対に言わない」
聞こえた。
彼の、震えながらも、確かな意志を宿した声が。
その瞬間、俺の胸の奥深くで、何かが、軋むような音を立てた。
「確かに、俺は弱いかもしれない。でも、それでも、あいつらは、俺を見捨てたりしない! 俺が、俺の仲間を、一番信じてるんだ!」
彼の身体から、魔力が溢れ出す。
それは、ただの力ではない。
「信じる」という、意志の力だ。
轟音と共に、俺たちを隔てていた氷の壁が、木っ端微塵に砕け散る。
そして、俺たちの前に、仲間たちの姿が現れた。
俺は、役者として、安堵の表情を浮かべる。
「やったな、蒼真!」
そう言って、彼の肩を叩く。
だが、その心は、別の感情で満たされていた。
美しい。
ああ、なんという、美しい光景だろうか。
孤独を、不信を、絆の力で打ち破る。
これこそ、俺が夢見た、理想の物語の一場面。
俺たちは、脚本通り、一斉にレイヴェンへと襲いかかる。
俺が盾となり、エリーナが足を止め、ルナが撹乱し、そして、蒼真の光の槍が、レイヴェンの胸を貫いた。
完璧な、連携。
「馬鹿な……絆が孤独に勝つなど……」
レイヴェンは、最後の台詞を呟く。
「……だが、覚えておけ、最も深い孤独は、愛する者を失った時に訪れる……」
これもまた、俺自身の、心の叫びだ。
愛する美月を失った、あの時の、永遠に癒えることのない、俺の傷。
レイヴェンが消滅し、俺たちは、勝利を分かち合う。
「お兄ちゃん、すごかった!」
「あなたなら大丈夫だと思ってたわ」
エリーナとルナが、蒼真を称賛する。
俺も、最高の笑顔で、彼の頭をわしわしと撫でた。
「さすがだ、俺の相棒!」
だが。
俺の魂は、静かに、血を流していた。
ゴルザークを倒した時の、あの奇妙な解放感は、もうない。
代わりに、胸を締め付けているのは、重く、苦しい、鉛のような感情。
『俺が、俺の仲間を、一番信じてるんだ!』
15歳蒼真の、あの叫び。
その曇りのない、絶対的な信頼。
それは、この俺、「アルフレッド」にも、まっすぐに向けられている。
この、すべてを欺き、すべてを操っている、嘘と裏切りの塊である、この俺に。
こんな信頼を、向けられて。
俺は、一体、何をしているんだ……?
この物語は、俺の救済の物語のはずだった。
俺の負の感情を浄化し、俺の心を癒すための、壮大な治療のはずだった。
だが、現実はどうだ。
彼らの絆が深まれば深まるほど、彼らが俺を信じれば信じるほど、俺の罪悪感は、雪だるま式に膨れ上がっていく。
これは、救済などではない。
これは、俺という罪人が、自らに課した、最も残酷で、最も甘美な、無限の拷問だ。




