第82章
空間が、悲鳴を上げた。
何もないはずの空間が、まるで水面のように波紋を描き、次の瞬間、黒い裂け目が口を開いた。
そこは、『プロジェクト・ネメシス』の心臓部へと続く、巨大な地下ドック。
高さ五十メートルはあろうかというドーム状の空間に、無数の兵器が格納された、人類の罪の博物館。
その中心に、裂け目から吐き出されるようにして、一人の青年が音もなく降り立った。
橘蒼真。
復讐の化身。
彼の足が、冷たいコンクリートの床に触れた瞬間だった。
ウウウウウウウウウウウウウウッ!!!
施設全体を、鼓膜を突き破るようなけたたましい警報音が蹂躙した。
天井の赤い警告灯が狂ったように明滅し、静寂に満ちていた地下要塞は、一瞬にして蜂の巣をつついたような騒乱に叩き込まれる。
「緊急事態発生! セクター・ガンマに未確認生命体の侵入を検知!」
「総員、第一級戦闘態勢に移行せよ!」
「防衛シャッター閉鎖! 全ての隔壁をロックしろ!」
インターカムから、怒声と命令が嵐のように飛び交う。
その瞳に宿るのは、燃え盛る復讐の炎だけ。
「――始めようか。俺の平穏を奪った、報いを」
◇
中央司令室では、メインスクリーンに映し出された蒼真の姿に、誰もが息を飲んでいた。
「馬鹿な……! 外部からの侵入経路はゼロのはずだ! いったいどうやって……!?」
トンプソン中佐が、信じられないという表情で叫ぶ。
彼の計算では、この要塞に潜入することは不可能だった。
だが、司令官席に座るハリス大佐は、表情一つ変えずにスクリーンを見据えている。
「……来たか。予想より、早かったな」
その声は、まるで待ちわびていた客人を迎えるかのようだった。
「トンプソン」
「はっ!」
「第一防衛ラインを展開。奴を、我々の『科学』で歓迎してやれ」
「了解!」
トンプソンは、憎悪と好奇の入り混じった目でスクリーンの中の蒼真を睨みつけると、マイクに向かって怒鳴った。
「全隊に通達! 目標はセクター・ガンマに出現! 第一防衛ライン、直ちに展開せよ! 繰り返す、第一防衛ライン、展開!」
その命令は、即座に実行された。
蒼真が立つ巨大ドックの四方から、重々しい金属音と共に、巨大な防壁がスライドして現れる。
その上部には、おびただしい数の銃眼が並び、そこから、異形の兵器がぬっと姿を現した。
あるものは、複数のレンズが不気味に輝く、レーザー砲。
あるものは、内部で青白いエネルギーが渦を巻く、プラズマ砲。
そして、先端に巨大なパラボラアンテナを備えた、電磁パルス砲。
人類の科学が生み出した、近未来の殺戮兵器。
その砲門が、百五十門。
全てが、たった一人の青年に向けられていた。
防壁の上で、完全武装した兵士たちが、それらの兵器を操作している。
彼らの顔は、強化ヘルメットのバイザーに覆われ、個々の表情を窺い知ることはできない。
彼らは、感情を排した、巨大な殺戮システムの一部品だった。
「目標、ロックオン完了!」
「全砲門、エネルギー充填率120パーセント!」
「いつでも撃てます!」
司令室に、次々と報告が届く。
トンプソンは、勝利を確信していた。
いかなる生物であろうと、この飽和攻撃を受けて、立っていられるはずがない。
彼は、マイクに命令を下した。
「――攻撃開始!!」
号令と共に、地獄の蓋が開かれた。
百五十門の砲口から、一斉に、死の光線が放たれる。
数十条の真紅のレーザー光線が、空間を切り裂き、光速で蒼真に殺到する。
数十発の青白いプラズマ球が、超高温の熱を撒き散らしながら、隕石のように降り注ぐ。
そして、不可視の電磁パルス波が、あらゆる電子機器を沈黙させるべく、津波のように押し寄せた。
光と熱と電磁波の、完璧な殺戮のハーモニー。
その死の嵐の中心で、しかし、蒼真は微動だにしなかった。
ただ、静かに呟いただけだった。
「――無駄だ」
「【屈折の聖域】」
蒼真の周囲の空間が、陽炎のように揺らめいた。
次の瞬間、彼の体を覆うようにして、目には見えない、光の屈折率が異なる多層の障壁が出現する。
殺到したレーザー光線は、その障壁に触れた瞬間、あらぬ方向へと屈折し、逸れていく。
まるで、水に差し込んだ光が折れ曲がるように。
何本かは、向きを変えて味方であるはずの防壁に着弾し、小規模な爆発を起こした。
「なっ!? 馬鹿な!?」
兵士の一人が驚愕の声を上げる。
「【炎帝の外套】」
続いて、蒼真の全身を、燃え盛る炎がオーラのように包み込んだ。
超高温のプラズマ球は、その炎の外套に触れた途端、まるで薪が燃え尽きるかのように、シュウウウッという音を立てて吸収され、消滅していく。
それどころか、吸収したエネルギーで、蒼真を包む炎はさらに勢いを増していた。
「プラズマ砲も無効化!? あの熱量をどうやって……!」
別の兵士が悲鳴を上げた。
「【雷神の反攻】」
そして、不可視の電磁パルス波が、蒼真の体に到達する。
だが、蒼真は、その膨大な電磁エネルギーを、自らの体に流れる魔力で、いともたやすく掴み取った。
そして、その流れを、まるで川の流れを堰き止めて逆流させるかのように、反転させた。
「――返してやる」
蒼真の体から、凄まじい量の青白い電光が迸る。
逆流させられた電磁パルスは、攻撃してきた兵器群の制御システムへと、雷となって殺到した。
バチチチッ!
施設中に、電子回路が焼き切れる耳障りな悲鳴が響き渡る。
レーザー砲も、プラズマ砲も、全ての兵器が火花を散らし、制御不能に陥って沈黙した。
兵士たちは、黒煙を上げる兵器を前に、なすすべもなく立ち尽くす。
司令室は、水を打ったように静まり返っていた。
トンプソン中佐は、目の前のモニターに映し出された光景が信じられず、ただ呆然と立ち尽くしている。
「……科学が……我々の、人類の叡智の結晶が……あんな、オカルトのような力に……」
彼の科学的常識が、音を立てて崩壊していく。
だが、蒼真の攻撃は、まだ終わってはいなかった。
「さて、今度は俺の番だ」
蒼真は、静かに右手を掲げた。
その指先に、小さな、しかし凝縮された魔力の光が灯る。
「【万物分解】」
それは、物質の構造式に直接干渉し、その結合を原子レベルで分解する、禁忌の魔法。
蒼真が指を振るうと、その指先から放たれた不可視の波動が、百五十門の兵器群すべてに、同時に到達した。
次の瞬間。
兵士たちの目の前で、鋼鉄でできていたはずの巨大な砲塔が、まるで砂の城のように、サラサラと金属の粒子となって崩れ落ち始めた。
レーザーのレンズも、プラズマの発生装置も、全ての部品が、その形を保てなくなり、ただの金属粉となって、静かに床に降り積もっていく。
一瞬だった。
ほんの数秒で、百五十門の近未来兵器は、全て、ただの鉄屑の山と化した。
兵士たちは、武器を失い、ただ震えながらその場にへたり込むことしかできない。
彼らの心は、人知を超えた現象への、根源的な恐怖によって、完全に折られていた。
ハリス大佐は、その一部始終を、司令官席で腕を組んだまま、静かに見ていた。
彼の表情に、焦りや驚きはない。
ただ、獲物を品定めするような、冷たい光が宿っているだけだった。
「……見事だ。実に、興味深い」
彼は、隣で呆然としているトンプソンに、静かに告げた。
「第一段階、突破された。トンプソン、直ちに第二段階へ移行しろ」
「し、しかし大佐! あれはもはや、人間の力では……!」
「だからこそ、人間ではないもので相手をするのだろう?」
ハリスは、初めて、その口元に歪んだ笑みを浮かべた。
「化け物には、化け物をぶつける」
その言葉に、トンプソンはハッと我に返り、震える手で、次の命令を下すべくコンソールに向かった。
彼の背後のモニターに、巨大な檻の中で、飢えた獣のように唸りを上げる、新たな「化け物」たちの姿が、大きく映し出されていた。




