第74章
地上には、静寂が戻っていた。
だがそれは、平穏とは似ても似つかぬ、死と破壊の後の、不気味な静寂だった。
その静寂を、最初に破ったのは、地鳴りだった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……。
それは、地震のように、大地そのものを揺るがす、重く、低く、そして無慈悲な振動。
施設の周囲を取り囲む山々の木々が、ざわめき、小鳥たちが一斉に空へと逃げていく。
木々の間から、それが姿を現した。
鋼鉄の、獣。
緑と茶の迷彩塗装を施された、角張った巨体。キャタピラが、大地に生える木々をなぎ倒し、土をえぐりながら、ゆっくりと、しかし確実に前進してくる。
陸上自衛隊が誇る、第三世代主力戦車、90式。
一両、二両ではない。
森の影から、次々と、その無骨な姿が現れる。
十両、二十両、三十両……。
最終的に、四十両もの鋼鉄の巨獣たちが、施設を半円状に取り囲むように、その威容を現した。
一両あたり五十トンを超える鉄の塊が、四十。
その光景は、もはや現実味を欠いていた。まるで、巨大な墓石が、大地から生えてきたかのようだ。
「――第1戦車連隊、全車、目標地点に到達!」
各戦車の車長用ハッチから、上半身を乗り出していた男が、マイクに向かって叫んだ。
第1戦車連隊長、木村一佐。
戦車戦のエキスパートとして、その名を陸自内に轟かせる、機甲科のエースだ。
日に焼けた顔には、戦車乗り特有の、油と土の匂いが染みついているかのよう。
がっしりとした体格を、戦闘服の上から装着した防弾チョッキが、さらに大きく見せている。
「航空部隊がやられたからといって、怯むな! 我々は陸の王者、戦車部隊だ! 鉄の壁と、この120mm滑腔砲の前では、いかなる防御も通用せん!」
木村は、部下たちを鼓舞するように叫んだ。
彼の瞳には、航空部隊が全滅したことへの恐怖よりも、陸上戦力こそが最強であるという、揺るぎない自負とプライドが燃え盛っていた。
空がダメなら、陸で圧し潰す。
単純明快、それこそが戦車戦の本質だった。
「全車、目標、正面の残存施設! 撃ち方、始め!」
木村の号令一下、四十両の戦車の砲塔が、まるで一つの生き物のように、滑らかに旋回し、施設へとその黒い砲口を向けた。
次の瞬間、四十の雷鳴が、同時に轟いた。
ドッガアアアアアアアアアアアンッ!
120mm滑腔砲が、一斉に火を噴く。
先ほどの榴弾砲とは比較にならない、凄まじい発射音と衝撃波。
音速の五倍を超える速度で射出された徹甲弾が、空気を切り裂き、施設の残存していた建物群に、次々と着弾する。
爆炎、というよりは、炸裂。
コンクリートの壁が、まるでビスケットのように砕け散り、鉄骨が飴のようにひしゃげる。
昨日まで、蒼真と美月が眠っていた居住棟も、穏やかな食事を楽しんだ食堂も、一瞬にして、ただの瓦礫の山へと変わっていった。
「目標、第一射、全弾命中!」
「次弾装填、急げ! 第二射、用意!」
戦車の内部で、戦車兵たちが、興奮した声で報告を上げ合う。
狭く、汗と油の匂いが充満する車内。
赤いランプの光が、彼らの緊張と高揚に満ちた顔を照らし出している。
『目標に接近中、主砲、いつでも撃てます!』
彼らの目には、もはや、敵の姿は見えていない。
あるのは、モニターに映し出された、破壊すべきターゲットの映像だけだ。
◇
「……美月」
蒼真は、降り注ぐ瓦礫から美月をかばいながら、静かに言った。
「少し、離れる。あそこの岩陰に隠れていろ。絶対に、出てくるな」
蒼真が指さしたのは、少し離れた場所にある、巨大な岩だった。
「で、でも……!」
「いいから、行け」
有無を言わさぬ、強い口調。
美月は、こくりと頷くと、蒼真の背中から離れ、必死に岩陰へと走った。
その小さな背中を見届けると、蒼真は、ゆっくりと、鋼鉄の獣たちの群れへと向き直った。
彼の両手に、ゆらり、と赤い炎が宿った。
最初は、ライターの火ほどの、小さな灯火。
だが、それは、瞬く間にその勢いを増していく。
周囲の温度が、異常な勢いで上昇し始めた。
空気が、陽炎のように揺らめき、蒼真の足元の地面が、じりじりと焦げていく。
彼の両手に宿った炎は、もはやただの炎ではなかった。
それは、まるで小さな太陽そのもの。
凝縮された、灼熱のエネルギーの塊。
「――さあ、始めようか。鉄クズども」
蒼真の口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
その深紅の瞳が、先頭を突き進んでくる一両の90式戦車を、的確に捉えた。
「全車、突撃! 目標、あの小僧一人だ!」
木村の号令を受け、四十両の戦車が、一斉にエンジンを唸らせ、キャタピラで大地を削りながら、蒼真目掛けて突進を開始した。
地響きが、嵐のように迫ってくる。
五十トンの鉄の塊が、四十。
その突進は、津波にも等しい、圧倒的な物理的暴力。
常人ならば、その威圧感だけで、心臓が停止するだろう。
だが、蒼真は、動かなかった。
ただ、静かに、両腕を前に突き出す。
そして、呟いた。
「――『煉獄の抱擁』」
次の瞬間、世界が、赤に染まった。
蒼真の両腕から放たれたのは、炎の奔流。
それは、もはや「炎」という言葉では生ぬるい、純粋な熱エネルギーの津波だった。
幅数十メートルにも及ぶ灼熱の波が、大地を舐めるように、突進してくる戦車部隊へと殺到する。
「なっ……!?」
先頭を走っていた戦車の車長が、ペリスコープ越しに、その異常な光景を捉えた。
赤い、壁。
いや、波だ。
熱で、景色がぐにゃぐにゃに歪んでいる。
「何だ、あれは!? 全車、止ま――」
彼の言葉は、最後まで続かなかった。
炎の津波が、先頭の戦車に到達した。
ジュウウウウウウウウウッ!
耳を覆いたくなるような、嫌な音。
それは、分厚いステーキを、熱した鉄板に叩きつけた時のような音だった。
最新の複合装甲で覆われているはずの、90式戦車の正面装甲が、まるでバターのように、いともたやすく、溶け始めたのだ。
「う、うわあああああっ! 装甲が! 装甲が溶けてる!?」
車内で、操縦士が絶叫する。
モニターに表示される車外温度は、とっくに計測限界を振り切っている。
車内にも、灼熱の空気が流れ込み、計器類が火花を散らしてショートし始めた。
「だ、脱出しろ! 全員、脱出――」
ドッガアアアアアアアアアアンッ!
車長の叫びは、内部で弾薬が誘爆した轟音によって、かき消された。
砲塔が、巨大な力で真上に吹き飛ばされ、回転しながら落下する。
五十トンの鉄の塊が、一瞬にして、燃え盛る、真っ赤な鉄屑へと変わった。
だが、それは、悪夢の始まりに過ぎなかった。
炎の津波は、勢いを衰えさせることなく、後続の戦車部隊を、次々と飲み込んでいく。
「退避! 退避だ! 後退しろ!」
「ダメだ、キャタピラが溶けて動けない!」
「助けてくれえええ!」
無線からは、戦車兵たちの断末魔の悲鳴が、ひっきりなしに聞こえてくる。
次々と、戦車が炎に包まれ、内部で弾薬が誘爆し、巨大な火球となって爆ぜていく。
ドガン! ドガン! ドガン!
まるで、巨大なポップコーンが、次々と弾けるかのようだ。
ほんの数分前まで、陸の王者として威容を誇っていた鋼鉄の獣たちが、なすすべもなく、ただの燃える鉄の塊へと変わっていく。
「こ、こんなことが……。こんなことが、あってたまるか……!」
最後の戦車の中で、木村一佐は、目の前で繰り広げられる地獄絵図を、ただ、呆然と見つめていた。
彼の常識が、プライドが、今、目の前で、音を立てて崩壊していく。
国家の最高戦力である戦車部隊が、こうも容易く……。
その時、彼の戦車の車体も、ギシリ、と嫌な音を立てた。
炎が、すぐそこまで迫っている。
「……っ、脱出!」
木村は、我に返ると、最後の力を振り絞って車長用ハッチを蹴り開け、燃え盛る車体から転がり落ちた。
熱風が、肌を焼く。
彼は、地面を転がりながら、振り返った。
そして、見た。
自分の乗っていた最後の戦車もまた、真っ赤な炎に包まれ、やがて、轟音と共に爆散するのを。
四十両。
彼が、我が子のように慈しみ、鍛え上げてきた第1戦車連隊が、完全に、消滅した。
燃え盛る鉄屑の山。
立ち上る黒煙。
鼻を突く、肉と鉄が焼ける、むせ返るような匂い。
その地獄絵図の中心に、一人の少年が、静かに立っていた。
その姿は、まるで、全てを焼き尽くす、破壊神そのものだった。




