第73章
蒼真は視線を、砲弾が飛んできた方角――特科連隊の陣地へと向けた。
「――次は、こっちの番だ」
その深紅の瞳が、冷たい殺意に、ギラリと光った。
彼は、再び右手を天に掲げる。
数十、数百の雷の槍が、彼の頭上の暗雲の中で、その切っ先を研ぎ澄ましていた。
蒼真は、その雷の槍をもって、特科連隊の陣地を沈黙させる。
そのときだった。
ゴオオオオオオオオオオオオオオッ!
天が裂けるかのような、鼓膜を突き破る轟音。
それは、先ほどの榴弾砲の比ではなかった。
空気を震わせ、大地を揺るがし、存在そのもので周囲を圧殺する、純粋な暴力の音塊。
澄み切った青空に、突如として白い航跡雲が、鋭利な刃物で切り裂いたかのように刻まれた。
航空自衛隊、第3航空群。
日本の空を守る、最強の翼。
F-15Jイーグル戦闘機、二十四機。
一機あたり百億円を超える、科学技術の結晶。
音速の二・五倍で飛行する、鋼鉄の猛禽。
その大編隊が、寸分の狂いもない完璧なフォーメーションを組みながら、教団施設の上空へと飛来した。
太陽の光を反射して鈍色に輝くデルタ翼、コックピットのキャノピー、そして翼下に吊るされた、無数のミサイルと爆弾。
その威容は、地上にいる者たちに、抗うことすら許さない絶対的な絶望感を与える。
これが、国家が保有する「空の支配力」。
近代戦争の勝敗を決する、最終的な切り札だった。
「全機、目標空域に到達。これより、オペレーション・ジャッジメントハンマー、フェーズ2に移行する」
百里基地の地下司令部。
第3航空群司令・吉田二佐は、巨大なスクリーンに映し出される、各戦闘機からの映像を冷静に見つめながら、マイクに命令を下した。
自身もF-15のパイロットとして数々のスクランブル発進を経験してきた、航空戦のプロフェッショナルだ。
引き締まった体躯をパイロットスーツに包み、その鋭い眼光は、モニターに表示される無数のデータを瞬時に解析していく。
「特科連隊からの報告通り、目標には何らかのエネルギー障壁が存在する可能性が高い。だが、案ずるな。我々の『空対地ミサイル』は、榴弾砲とは威力も速度も桁が違う。いかなる障壁であろうと、連続飽和攻撃で必ず突破できる」
吉田は、絶対の自信を持って断言した。
彼の戦術理論において、「魔法」などという不確定要素は存在しない。
あるのは、兵器の性能、パイロットの技量、そして緻密な計算に基づいた攻撃計画だけだ。
「ウルフ1より、全機へ。目標、地上施設。ロックオン完了次第、ミサイル発射。繰り返す、ロックオン完了次第、ミサイル発射!」
編隊長機からの号令が、全パイロットのヘッドセットに響き渡る。
各機のコックピット内で、パイロットたちが手際よく攻撃システムのスイッチを操作していく。
ターゲットスコープのディスプレイに、地上施設が緑色のマーカーでロックオンされた。
「――撃て!」
次の瞬間、二十四機のF-15の翼下から、一斉に、白い煙の尾を引きながら、数十発の空対地ミサイルが切り離された。
それは、天から降り注ぐ、死の雨だった。
一発一発が、家一軒を容易に吹き飛ばす破壊力を持つ、誘導兵器の群れ。
それらが、地上の一点――蒼真と彼が守ろうとする美月目掛けて、殺到していく。
◇
「……蒼真くん!」
美月の悲鳴のような声が、蒼真の耳に届く。
地上から見上げる空は、絶望的な光景だった。
空を埋め尽くす、鋼鉄の鳥の群れ。
そして、そこから放たれる、無数の光の筋。
一つ一つが、自分たちに向かってきている。
逃げ場など、どこにもない。
だが、蒼真は、驚くほど冷静だった。
彼の深紅の瞳は、迫りくるミサイルの雨を、まるでスローモーションのように捉えている。
怒り。
憎しみ。
そんな感情は、もはや彼の心にはなかった。
あるのは、ただ、邪魔なモノを排除するという、冷え切った、絶対的な意志だけ。
「美月。少しだけ、ここで待ってろ」
蒼真は、美月の肩をそっと抱き、自分の背後にある、かろうじて原形を留めている建物の壁際に彼女を誘導した。
そして、一言、短く告げる。
「――空の掃除をしてくる」
「え……?」
美月が何かを言う前に、蒼真の身体が、ふわりと宙に浮いた。
重力という、この世界の根源的な法則を、まるで無視するかのように。
彼は、何の予備動作もなく、ただ、空を見上げたまま、まっすぐに、天へと昇っていく。
蒼真の身体は、凄まじい速度で高度を上げていく。
地上で、その光景を見ていた前線指揮所の田代師団長は、双眼鏡を落としそうになった。
「ば、馬鹿な……! 人が、飛んでいる……だと……?」
その驚愕は、空のパイロットたちも同じだった。
「司令部、司令部! こちらイーグル3! 目標地点より、未確認飛行物体が急速接近!」
「なんだと!? 機影は!?」
「……き、機影、ありません! 熱源反応……ヒト、です! 人間が、飛んでいます!」
コックピット内で、パイロットが絶叫する。
彼のレーダーには、鳥程度の小さな反応しか表示されていない。
だが、肉眼では、確かに、一人の少年が、ジェット機に匹敵する速度で、こちらに向かってきているのだ。
ありえない。
常識が、音を立てて崩れていく。
「ふざけるな! 見間違いだ! 撃ち落とせ!」
吉田司令の怒号が飛ぶ。
だが、その命令は、あまりにも遅すぎた。
蒼真は、ミサイル群の眼前に到達すると、静かに、右手を掲げた。
その手の中に、先ほど特科連隊を沈黙させた、紫色の雷光が、再び宿る。
「――千の雷槍」
彼が呟くと同時、掲げた右手から、無数の紫電の槍が、放射状に放たれた。
それは、まるで巨大なハリネズミが、その針を一斉に逆立てたかのようだった。
一本一本が、意思を持っているかのように、正確に、飛来するミサイルを追尾し、貫いていく。
空中で、数十の爆発が、連鎖的に巻き起こった。
それは、まるで悪趣味な花火大会。
爆炎と黒煙が、青空を醜く汚していく。
一発のミサイルも、地上には届かなかった。
「ミサイル、全弾迎撃されました!」
「馬鹿な! 対空兵装もないのに、どうやって!?」
パイロットたちの間に、動揺が走る。
だが、彼らの悪夢は、まだ始まったばかりだった。
ミサイルを全て撃ち落とした蒼真は、今度は、F-15の編隊そのものに、その冷たい視線を向けた。
二十四機の、鋼鉄の猛禽。
そのパイロットたちの、驚愕と恐怖に歪んだ顔が、蒼真には、手に取るように見えていた。
「――まずは、一機」
蒼真が、指を鳴らす。
パチン、と軽い音が響いた、その刹那。
編隊の先頭を飛んでいた、イーグル1の機体に、天から、巨大な雷の槍が突き刺さった。
ドッガアアアアアアアンッ!
一瞬の閃光と、轟音。
最新鋭戦闘機が、まるでオモチャのように、一撃で木っ端微塵に砕け散った。
爆炎が、黒い残骸を撒き散らしながら、空に醜い花を咲かせる。
「イーグル1、撃墜!?」
「何が起きた!?」
無線が、パニックに陥ったパイロットたちの絶叫で満たされる。
「全機、回避行動! あの目標を撃墜しろ!」
残った二十三機が、一斉に散開する。
ある機体は、アフターバーナーを焚いて急加速し、蒼真の背後を取ろうとする。
ある機体は、空対空ミサイルを発射し、迎撃を試みる。
ある機体は、20mmバルカン砲を掃射し、弾幕を張る。
だが、その全てが、無意味だった。
「遅い」
蒼真は、ただ、呟くだけ。
彼の身体は、戦闘機が到底追随できない、物理法則を無視した三次元的な機動で、弾丸とミサイルの雨を、紙一重でかわしていく。
そして、その指先から、次々と、無慈悲な雷の槍が放たれる。
イーグル5、撃墜。
イーグル9、撃墜。
イーグル12、15、21、三機同時に、雷に貫かれ、火球と化す。
それは、もはや戦闘ではなかった。
一方的な、虐殺。
空を飛ぶハエを、ハエたたきで叩き落とすような、あまりにも圧倒的な、力の差。
パイロットたちは、なすすべもなく、次々と、断末魔の悲鳴と共に、黒い煙へと変わっていく。
「だめだ! 逃げろ! こいつは化け物だ!」
「うわあああ! メーデー、メーデー!」
◇
「……全機、撃墜……? そんな、馬鹿な……」
百里基地の司令部で、吉田司令は、スクリーンに次々と表示される『LOST』の文字を、ただ、呆然と見つめていた。
たった数分。
いや、数分も経っていない。
日本の空の精鋭、二十四機が、たった一人の少年によって、全滅させられた。
制空権の、完全な喪失。
彼の、数十年にわたる軍人としての誇り、経験、そして常識のすべてが、粉々に砕け散った瞬間だった。
地上の前線指揮所でも、田代師団長が、同じ光景を目の当たりにしていた。
「……航空攻撃も、無効、か」
その声は、乾ききっていた。
「我々が信じてきた、近代軍事力とは、一体、何だったのだ……」
彼の脳裏に、初めて「敗北」という二文字が、重く、現実のものとしてのしかかってきた。
◇
全ての戦闘機を撃ち落とし、静けさを取り戻した空で、蒼真は、ゆっくりと地上へと降下していく。
彼の表情は、能面のように、何の感情も浮かんでいない。
ただ、その深紅の瞳だけが、まるで何もかもを見透かすかのように、地上の一点を見つめていた。
施設の前に、蒼真の身体が、音もなく着地する。
彼の元に、美月が、震える足で駆け寄ってきた。
「……蒼真くん」
美月の顔には、安堵と、そして、それと同じくらいの、恐怖と戸惑いの色が浮かんでいた。
彼女は、今、目の前で起きた、あまりにも非現実的な、そしてあまりにも残酷な光景を、全て見ていたのだ。
自分の愛する人が、人間を、最新鋭の兵器を、虫けらのように殺戮していく姿を。
蒼真は、何も言わなかった。
ただ、黙って、美月の震える身体を、そっと抱きしめる。
その腕の中は、温かかった。
だが、美月には、分かってしまった。
この温もりと引き換えに、彼は、人間としての何かを、少しずつ、失っていっているのかもしれない、と。
そして、この国には、もはや、二人が平穏に暮らせる場所など、どこにもないのだという、絶望的な事実を。




