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第59章

 蒼真は毒島を引きずりながら、破壊した取調室から、血の匂いが立ち込める廊下へと足を踏み出した。


 彼が一歩進むごとに、警察署そのものが悲鳴を上げる。

 パリン、と天井の照明が弾け飛び、壁の時計が逆回転を始めて停止する。

 床に置かれた消火器が、内側からの圧力に耐えきれず、甲高い音を立てて破裂した。

 彼の身体から漏れ出す、制御を放棄された魔力の奔流が、建物の隅々までを汚染し、物理法則を狂わせていく。


「た、橘蒼真……!」

「化け物が……出てきたぞ!」


 廊下の先にいた警官たちが、恐怖に顔を引きつらせながらも、蒼真に向けて拳銃を構えた。

 だが、その引き金を引く指は、小刻みに震えている。

 彼らの本能が、目の前の少年がもはや人間の尺度では測れない、抗うことすら許されない「災厄」そのものであることを告げていた。


 その集団の中から、一人の男が怒声と共に一歩前に出た。

 特別捜査本部長の鷹野だ。

 その傲慢な顔は、屈辱と怒りで醜く歪んでいる。


「貴様……! この警察署で、これ以上の狼藉は許さんぞ!」


 鷹野は、正義の執行者を気取って叫んだ。

 蒼真は、その言葉に、初めて足を止めた。

 彼は、ゴミのように毒島を床に転がすと、鷹野を、そしてその背後で怯える警官たちを、冷たい瞳で見据えた。


「……美月に何をした?」


 その声は、冬の夜空のように、どこまでも静かだった。


「な、何のことだ! 我々は、職務を遂行したまでだ! テロリストの協力者を保護し、事情を……」


 鷹野が、紋切り型の台詞を口にした瞬間。


 ゴウッ!


 蒼真が視線を向けた先、廊下の隅に置かれていたスチール製の机が、轟音と共に真っ赤な炎に包まれた。

 鋼鉄が、まるでバターのようにどろどろに融解し、床に燃え盛る鉄塊となって滴り落ちる。


「……職務、だと?」

 

 蒼真は、その口元に、微かな笑みを浮かべた。

 それは、見る者の背筋を凍らせる、悪魔の微笑みだった。

 

「非力な少女一人を、部屋に閉じ込め、心身ともに衰弱させ、その精神を踏みにじることが、お前たちの言う『職務』か?」

「そ、それは……国家の安寧を守るための、必要な措置だ!」

「必要な措置、ね」

 

 蒼真は、鷹野の言葉を鼻で笑うと、足元で呻く毒島を見下ろした。


 「ならば、俺も『必要な措置』を取らせてもらう。……まずは、お前からだ」


 彼は、毒島の右腕を無造作に踏みつけた。


 ゴキリ、と。

 肉と骨が砕ける、湿った音が響き渡る。


「ぎゃあああああああああっ!!」


 毒島の口から、人間離れした絶叫がほとばしった。

 蒼真は、表情一つ変えずに、次に左腕を踏み砕く。


「ぎ、ぎぃぃぃぃ……!!」


 彼は、立て続けに両足の骨も、複雑骨折では済まないレベルまで徹底的に破壊した。

 

「これは……お前が、美月を恐怖させたことへの、ほんのささやかなお礼だ」

「た、助けてくれ!」


 そのあまりにも惨たらしい光景に、周囲の警官たちがパニックに陥り、我先にと逃げ出そうとする。

 だが、蒼真はそれを許さない。


 彼の冷たい声が、逃げ惑う者たちの背中に突き刺さった。


「――待て」

「美月が、お前たちに『助けて』と求めた時、お前たちは何をした?」


 その問いに、答えられる者はいなかった。

 彼らは皆、共犯者だった。

 見て見ぬふりをし、上官の命令に従い、少女一人の人権を踏みにじった、卑劣な共犯者たちだ。


「……お前たちに、助けを乞う資格はない」


 蒼真が指を鳴らすと、廊下の両端から、黒い雷の槍が無数に出現した。

 それは、警官たち一人一人の四肢を正確に撃ち抜き、彼らの意識を刈り取っていく。

 断末魔の悲鳴が、次々と静寂に変わっていった。


 蒼真は、もはや動く者もいなくなった廊下を、ゆっくりと歩き始めた。

 彼の歩みは、まるで死を告げる鐘の音のように、警察署の破滅へのカウントダウンを刻んでいく。


 彼は、一階の正面玄関に出ると、ガラス張りの向こうに広がる駐車場を見据えた。

 そこには、白黒に塗り分けられたパトカーが、五十台以上、整然と並んでいる。

 警察という組織の、力の象徴だ。


「……鉄の玩具が」


 蒼真が右手をかざすと、その掌に、太陽と見紛うほどの灼熱の炎球が形成される。

 彼はそれを、まるでボールを投げるかのように、駐車場へと放った。

 炎球は、着弾と同時に巨大な火の津波と化し、駐車場全体を飲み込んだ。


 ゴオオオオオオオオオッ!


 凄まじい爆音と熱波。

 パトカーは、一台、また一台と誘爆を起こし、その車体は瞬く間に融解していく。

 鋼鉄が溶け、アスファルトが燃え、黒煙が天高く立ち昇る。

 数分後、そこには、鉄の残骸が醜く焼けただれた、地獄のような光景だけが広がっていた。


 次に、蒼真は建物の屋上を見上げた。

 そこには、外部との通信を司る、巨大なアンテナ群がそびえ立っている。


「お前たちの声は、もうどこにも届かない」


 彼の指先から、一条の黒い雷が、天へと向かって放たれた。

 それは、空を切り裂く龍のように、アンテナ塔の根元に直撃する。

 バリバリバリッ! という轟音と共に、アンテナ塔はへし折れ、火花を散らしながら地上へと落下し、砕け散った。


 この瞬間、警察署は、外部から完全に孤立した、巨大な棺桶と化した。


 蒼真は、再び署内へと戻る。

 彼の最後の目的は、この腐敗した組織のトップに、絶望を教えることだった。


 署長室の扉を蹴破ると、そこには、二人の男が蒼真を待ち構えていた。

 一人は、屈辱に顔を歪ませる鷹野管理官。

 そしてもう一人は、この国の警察組織の頂点に立つ男――峰岸警視総監。

 その冷酷な瞳が、初めて焦りと恐怖の色を浮かべていた。


「き、貴様……! ここがどこだか分かっているのか! 日本の警察の中枢だぞ!」


 鷹野が、最後の虚勢を張って叫ぶ。

 だが、蒼真は彼を一瞥だにしなかった。

 彼の目は、ただ峰岸だけを見据えている。


「警察の威信、だったか?」

 

 蒼真は、静かに問うた。

 

「お前たちが拠り所にしている、そのくだらない権威とやらは、俺の前では何の意味もなさない。お前たちが弄んだ少女一人の涙の方が、お前たちの存在価値よりも、よほど重い」

「だ、黙れ、化け物が……!」


 峰岸が、震える声で吐き捨てた。


「化け物? そうかもな」


 蒼真は、その言葉を肯定した。


「だが、覚えておけ。その化け物を生み出したのは――お前たちだ」


 次の瞬間、蒼真は二人の四肢を、音もなく、そして正確に破壊した。

 二人は、声にならない悲鳴を上げ、床に崩れ落ちる。


 蒼真は、床を這う峰岸の前に立つと、その顔を冷たく見下ろした。

 

「警察の威信、とやらは、今、お前と一緒に床を這っている。それが、お前たちの現実だ」


 そして、彼は、最後の仕上げに取り掛かった。

 蒼真は、建物の中心、署員たちが集うロビーの中央に立つと、静かに目を閉じた。

 彼の全身から、黒い魔力が奔流となって溢れ出し、巨大な渦を形成していく。


「――この穢れた場所は、塵に還れ」


 彼がそう呟くと、建物全体が、地鳴りのような咆哮を上げた。

 基礎が砕け、柱がひび割れ、壁が砂のように崩れていく。

 天井が、床が、彼の魔力によって原子レベルまで分解されていく。


 巨大な警察署の建物が、内側から崩壊していく。

 それは、爆発ではない。

 もっと静かで、そして根源的な「消滅」だった。


 数分後。

 そこには、巨大なクレーターのような更地が広がっているだけだった。


 かつて、そこに警察署があったという痕跡は、何一つ残っていない。

 ただ、意識を失った職員たちが、瓦礫の山の中に、まるでゴミのように転がっているだけ。

 その全員が、命は奪われていないものの、二度と社会復帰はできないほどの深刻なダメージを負わされていた。


 蒼真は、その廃墟の中心に、静かに佇んでいた。

 彼の復讐は、完遂された。


 彼の心を満たしたのは、しかし、爽快感ではなかった。

 ただ、どこまでも深い、虚無感だけ。


 蒼真は、廃墟と化した警察署の跡地を背に、音もなく姿を消した。

 後には、サイレンの音も届かない、完全な静寂だけが残されていた。

 

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