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第31章

 あれから一週間。


 蒼真は、ほとんど日課のように「ひだまりの家」へと足を運んでいた。

 学校が終わると、彼は誰に告げるでもなく教室を出て、まっすぐにあの温かい場所を目指す。

 美月や子供たちと過ごす穏やかな時間が、彼の空虚な心を静かに満たし始めていた。


 その日も、蒼真はいつものように孤児院へと続く道を歩いていた。

 角を曲がり、古びた洋風の建物が見えてきた、その時だった。

 

 彼の足が、ぴたりと止まる。


 孤児院の門前が、騒がしかった。

 黒塗りの高級車が、狭い路地に不釣り合いな威圧感を放って停まっている。

 

 そして、その車の前に、五人の男たちが立っていた。

 高田院長が、その男たちに囲まれるようにして、必死に何かを訴えている。


「ですから、この土地は売るわけにはいきません! ここは子供たちのたった一つの家なのです!」


 院長の悲痛な声が、蒼真の耳に届く。

 対する男たちは、まるで聞く耳を持たないといった様子で、嘲笑を浮かべていた。


 中心に立つリーダー格の男は、四十代半ばだろうか。

 派手な柄のシャツから、太い金のネックレスと刺青が覗いている。

 その目は、弱者をいたぶることを至上の喜びとする、 残虐な光を宿していた。

 周りを固める四人の男たちも、一目でカタギでないと分かる、粗暴な空気を纏っている。


「ババア、話が分かんねえのか?」


 リーダー格の男が、院長の肩を乱暴に小突く。


「この土地は、ウチの会社が買い取ることが決まってんだよ。とっとと荷物まとめて出て行けって言ってんだ」

「そんな一方的な……! 子供たちの行き場はどうなるのですか!」

「知るかよ、そんなもん。どこにでも行けや。それとも、俺たちが新しい『家』を紹介してやろうか? ああ?」


 下品な笑い声が、平和だった午後の空気を汚していく。

 その光景を、建物の陰から、美月と子供たちが怯えた表情で見ていた。

 美月は、年少の子供たちを庇うように、両腕を広げて彼らの前に立っている。


 そして、その美月の服の裾を、小さな手が固く握りしめていた。

 心愛だ。

 髪を震わせ、大きな瞳に涙をいっぱいに溜めて、目の前の暴力的な光景に耐えている。


 蒼真はその姿を見た瞬間。

 彼の内で、何かが、静かに、しかし決定的に変わった。


 復讐の対象に向ける、冷たく燃える憎悪の炎ではない。

 もっと熱く、もっと純粋な、守護者の怒り。

 

 ――俺の家族を、怖がらせたな。


「おい、何をしている」


 気づけば、蒼真は男たちの背後に立っていた。

 その声は静かだったが、路地の全ての音を支配するような、奇妙なほどの響きを持っていた。


「あ?」


 リーダー格の男が、面倒臭そうに振り返る。


「なんだ、このガキは。関係ねえ奴は引っ込んでろ」


 男は、蒼真の胸を突き飛ばそうと、乱暴に手を伸ばした。

 だが、その手が蒼真に触れた瞬間、男の顔が驚愕に歪んだ。


「なっ……!?」


 まるで、分厚い鉄の壁を押しているかのようだ。

 蒼真は、男の全力の突きを、一歩も動かずに受け止めていた。

 微動だにしていない。


「院長先生」


 蒼真は、目の前の男を意にも介さず、高田院長に静かに語りかけた。

 その声は、氷のように冷たく、しかし不思議なほどの安心感を伴っていた。


「子供たちを、中へ」


 院長は、一瞬、何が起こったのか分からずに呆然としていたが、蒼真の瞳に宿る、揺るぎない意志を見て、はっと我に返った。


「……はい。美月ちゃん、みんなを!」


 美月は、恐怖に震える子供たちを促し、急いで院内へと避難させる。

 心愛が、最後に一度だけ、不安そうに蒼真を振り返った。

 

 蒼真は、彼女にだけ分かるように、ほんのわずかに頷いてみせる。

 それを見た心愛は、何かを信じたように、美月の手に引かれて建物の中へ消えていった。


 門前に残されたのは、蒼真と、五人の地上げ屋だけ。

 リーダー格の男は、自分の力が全く通じなかったことに動揺しながらも、虚勢を張って怒鳴った。


「てめえ、このガキ……ただで済むと思ってんじゃねえぞ!」

「それは、こちらの台詞だ」


 蒼真は、男たちを一人一人、冷たい瞳で見据えた。


「最後に一度だけ言う。この場所から二度と現れないと誓って、立ち去れ」

「調子に乗ってんじゃねえぞ、コラァッ!」


 リーダーの怒声が合図だった。

 四人の部下が、一斉に蒼真に襲いかかる。

 だが、その動きは、蒼真の目にはあまりにも遅く、あまりにも稚拙に見えた。


 右から迫る男の拳を、左手で軽く受け流す。

 そのまま腕を掴み、関節を逆方向へ。

 ゴキッ、という鈍い音と共に、男が悲鳴を上げて崩れ落ちた。


 左から迫る男の蹴りを、最小限の動きでかわす。

 軸足ががら空きになったところに、容赦なくローキックを叩き込む。

 

 バキィッ! という、骨が砕けるおぞましい音。

 男は、断末魔の叫びすら上げられずに地面を転がった。


 背後から羽交い締めにしようとした男の腕を掴み、そのまま一本背負いの要領で、頭からアスファルトに叩きつける。

 正面から殴りかかってきた男の顔面に、カウンターの掌底を打ち込む。


 一瞬。

 ほんの十数秒の間に、四人の男たちは、地面に沈んでいた。


「ひ……」


 リーダー格の男は、その非現実的な光景を前に、完全に腰が引けていた。

 ガタガタと震え、後ずさろうとする。


「ま、待て……話せば分かる……金か? 金が欲しいのか?」

「金?」


 蒼真は、心底から軽蔑したような目で男を見下ろした。


「お前らが、この場所から奪おうとしたものは、金で買えるものじゃない」


 温かい食事。笑い声。安心して眠れるベッド。

 そして、家族の絆。

 それらは、この世界のどんな財宝よりも、蒼真にとっては価値のあるものだった。


「お前には、それを汚す権利はない」


 蒼真は、男の腕を掴んだ。


「や、やめろ……!」

「二度と、ここへは来るな」


 蒼真は、何の感情も込めずに、その腕を、折った。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 男の絶叫が、平和な住宅街に響き渡る。

 蒼真は、その場にうずくまる男を一瞥もせず、孤児院の扉に向き直った。


 ガチャリ、と扉が開き、心配そうに様子を窺っていた院長と美月が顔を出す。


「蒼真くん……!」


 美月が、彼の名前を呼んだ。

 その声には、恐怖よりも、安堵と、そして彼への絶対的な信頼が込められていた。


「もう、大丈夫だ」


 蒼真がそう言うと、彼の背後から、子供たちがわっと駆け寄ってきた。

 心愛が、蒼真の足にぎゅっと抱きついてくる。


 その、太陽のような笑顔と、純粋な賞賛の言葉。

 子供たちの温かい体温に包まれながら、蒼真は、胸の奥に、確かな決意が固まるのを感じていた。


 ――この場所を、この温かい光を、俺が、絶対に守り抜く。


 蒼真は、そう固く誓った。

 

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