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第23章

「役割って……何の話ですか?」


 俺は女神を見上げた。

 しかし女神の瞳には、最初に会った時の温かさがなかった。

 かつて俺を救ってくれた時の慈愛に満ちた表情は、跡形もなく消えている。


「彼らは任務を完了したのです」


 女神が淡々と答える。

 その声は美しいが、氷のように冷たかった。


「任務?」


 俺は困惑した。

 何の話をしているのか全く理解できない。


「あなたを勇者に育て上げること。魔王を倒させること。それが彼らの任務でした」


 女神の言葉が、俺の心に氷のような冷たさを与えた。


「何を言ってるんですか……みんなは俺の仲間で、家族で……」

「それも任務の一部でした」


 アリエルがきっぱりと言い切った。

 その表情には、一切の迷いがない。


「任務って……」


 俺の頭が混乱する。

 女神の言葉の意味が理解できない。

 アルフレッドやエリーナ、ルナが任務? 何のために?


「彼らの目的は、あなたに愛を教えること。絆を教えること。そして勇者として成長させることでした」

「そんな……」


 俺の声が震えた。


「その目的は達成されました。だから彼らは消えたのです」


 女神の声に感情がこもっていない。

 まるで機械のように冷たく、事実だけを述べている。


「嘘だ!」


 俺は叫んだ。


「みんなは本当に俺を愛してくれてた! 本当に俺のことを大切に思ってくれてた!」

「あなたがそう感じていただけです」


 女神の言葉が、俺の心を鋭い刃で切り裂いた。


「違う!」


 俺は拳を握りしめて叫ぶ。


「アルフレッドは俺を親友だって言った! エリーナは俺を大切に思ってくれた! ルナは俺をお兄ちゃんって呼んでくれた!」

「すべて設定された役割でした」


 女神の言葉が、俺の心を刺し貫いた。


「設定って……」


 俺の声が小さくなる。


「彼らはそのように作られていたのです」

「作られた?」


 俺の声が震える。


「詳しいことを知る必要はありません」


 女神が俺の言葉を遮る。


「重要なのは、あなたが成長したことです」

「成長?」


 俺は呆然と女神を見つめる。


「そうです。最初に会った時のあなたを覚えていますか?」


 俺は思い出した。

 自殺しようとしていた自分。

 絶望に支配されていた自分。

 誰からも愛されず、誰も愛さずにいた自分。


「あの時のあなたは、愛を知らず、絆を知らず、希望を知りませんでした」

「それは……」

「しかし今は違います」


 女神が一歩近づく。


「あなたは愛を知り、絆を知り、希望を知っています。人を愛することの素晴らしさを学びました」

「だったら……」

「それで十分です。あなたの成長は完了しました」


 女神の言葉が、俺の心を絶望の底に突き落とした。


「完了って……じゃあ俺はどうすればいいんだ? みんながいなくなった今、俺はどうやって生きていけばいいんだ?」

「元の世界に帰るのです」


 その言葉で、俺の血が凍った。


「元の世界……」


 あの地獄のような現実。

 父親の暴力。学校でのいじめ。

 誰からも愛されない孤独。

 絶望だけが支配する世界。


「嫌だ……あんな世界に帰りたくない」


 俺は必死に首を振る。


「あそこは俺の居場所じゃない。俺の居場所はここだ!」

「あなたの本来いるべき場所はここではありません」


 女神の声は変わらず冷たい。


「本来いるべき場所はあんな世界なんかじゃない!」


 俺は女神に向かって叫んだ。


「俺の居場所はここだ! みんなと一緒のこの世界なんだ!」


 俺は女神に詰め寄ろうとしたが、見えない壁に阻まれた。

 まるでガラスの壁があるかのように、それ以上近づくことができない。


「みんなを返してください! お願いします!」


 俺は必死に手を伸ばす。


「それはできません」


 女神は表情を変えない。

 まるで感情がないかのように。


「どうして?」

「彼らの役割は終わったからです」

「役割なんてどうでもいい!」


 俺は床を拳で叩いた。


「俺の気持ちはどうなるんですか? 俺はみんなを愛してるんです! 本当に愛してるんです!」

「あなたの感情は本物でしょう」


 女神が頷く。


「それが重要なのです」

「重要って……みんながいなくなったのに、何が重要なんですか?」


 俺の涙が止まらない。


「あなたは愛を学びました。それで十分です」


 女神の冷たい言葉が、俺の心を凍らせた。


「十分じゃない……俺は一人になりたくない」

「元の世界で、あなたは新しい人生を歩むのです」

「新しい人生なんていらない!」


 俺は声を枯らして叫んだ。


「みんなと一緒の人生がよかったんだ! みんなと一緒にいられればそれで十分だったんだ!」


 俺は床に膝をついた。

 もう立っていることもできない。


「お願いします……せめてもう一度だけでも、みんなに会わせてください」

「それはできません。もう時間です」


 女神が手を上げると、俺の身体が光に包まれ始めた。

 転移魔法の光だった。


「待って!」


 俺は必死に抵抗しようとしたが、光はどんどん強くなっていく。


「まだ話は終わってない!」

「もう話すことはありません」


 女神の声が遠くなっていく。


「俺は帰りたくない! みんなと一緒にいたいんだ!」


 しかし光はさらに強くなり、俺の視界を白く染めていく。


「あなたのこの世界での物語は、これで終わるのです」


 女神の最後の言葉が、俺の耳に響いた。


「終わりなんかじゃない……」


 俺の声は光に飲み込まれていく。


「まだ始まったばかりなんだ……」


 意識が遠のいていく中で、俺は最後に仲間たちの顔を思い浮かべた。

 

 アルフレッドの屈託のない笑顔。

 エリーナの知的で優しい瞳。

 ルナの無邪気な笑い声。


「みんな……」


 俺の意識は、完全に闇に落ちた。

 愛する仲間たちとの記憶だけを胸に抱いて。

 

 俺の絶叫も虚しく、光はどんどん強くなっていく。


「待ってくれ! 俺はまだ——」


 しかし女神の姿がぼやけていく中、異変が起きていた。

 彼女の身体も光の粒子となって消え始めていたのだ。


「女神様?」


 俺は困惑した。

 女神まで消えるなんて、一体何が起きているのだろう。


「私の役割も……終わりました」


 女神の声が遠くなっていく。

 まるで遠い谷底から響いてくるような、かすかな響きだった。


「さようなら……蒼真」


 女神は振り返らない。

 彼女の身体も仲間たちと同じように、完全に光となって消失した。


 俺を残して、すべてが消えていく。


 光が俺を完全に包み込んだ瞬間、意識が途切れた。

 

 ◇◇◇


 気がつくと、俺は見慣れた自分の部屋にいた。


 薄暗い六畳の部屋。

 床に散らかった教科書。

 壁に貼られた破れたポスター。

 そして机の上には——途中まで書かれた遺書。


「戻って……きたのか」


 俺は呆然と立ち上がった。

 身体を動かしてみる。

 異世界で得た力がみなぎっているのを感じる。

 魔力も、体力も、すべてが以前とは違う。

 筋肉は引き締まり、感覚は研ぎ澄まされている。


 しかし心は空っぽだった。


「夢だったのかな……」


 一瞬、そんな考えが頭をよぎった。

 あまりにも現実離れした体験だった。

 魔法、異世界、魔王——すべてが夢のようだ。


 しかし手を見ると、異世界で身につけた力が確かに宿っている。

 魔力の流れを感じることができる。

 手のひらに青白い光を灯すことも可能だった。


「本当だったんだ……全部」


 俺は自分の手を見つめた。

 仲間たちと一緒に魔王を倒した力。

 みんなで築き上げた絆の力。

 それは確かに俺の中に残っている。


 けれど彼らはもういない。


「アルフレッド……エリーナ……ルナ……」


 名前を呼んでも、もう答えてくれる者はいない。

 この薄暗い部屋に響くのは、俺の声だけだった。


 時計を見ると、午前三時。

 異世界に召喚される直前の時間に戻されていた。

 まるで何事もなかったかのように。


 窓の外を見ると、あの憎い現実世界が広がっている。

 変わらない街並み。

 変わらない夜景。

 何も変わっていない。

 自分だけが変わった。


 俺は洗面台の鏡を見た。


 顔つきが変わっていた。

 幼さが抜け、意思の強さが宿っている。

 目力も以前とは比較にならない。

 しかしその瞳には、深い悲しみと——怒りが宿っていた。


「俺はどうすればいいんだ……」


 異世界での記憶が鮮明に蘇る。

 初めて仲間に出会った時の喜び。

 

 一緒に戦った日々。

 家族のような温かさ。

 毎朝の笑顔。

 共に過ごした食事の時間。


 そして最後の別れ。


 拳を握りしめる。

 爪が手のひらに食い込むが、痛みを感じない。

 心の痛みの方がはるかに大きかった。


 魔力が身体を駆け巡る。

 制御できないほどの力が、感情に呼応して暴れている。


 部屋の空気が震えた。

 俺の感情に呼応して、魔力が空間を歪ませている。


 遺書が目に入った。


 死のうとしていた自分。

 あの時女神が現れなければ、今頃は——。

 怒りが込み上げてきた。


「俺の仲間を返せ……」


 窓ガラスが微かにヒビ割れた。

 俺の魔力が制御を失いかけている。


 俺は窓から外を見た。


 この世界。俺を苦しめた世界。

 俺をいじめた奴ら。俺を殴った父親。

 俺を見捨てた教師。俺を無視した同級生。


 みんなここにいる。

 拳を握りしめる。


「すべて……すべてが憎い」


 俺の瞳に、赤い光が宿った。

 涙が一筋、頬を伝った。

 しかしその涙は悲しみだけではなかった。

 憎悪と怒りが混じった、黒い涙だった。


 俺は自分の手に魔力を集中させた。

 淡い光が手のひらに宿る。

 この力があれば、俺はなんだってできる。


 俺は遺書を手に取った。


『迷惑をかけてすみませんでした』


 死のうとしていた弱い自分の言葉。

 もうそんな自分ではない。


 遺書を破り捨てる。

 紙片が宙に舞った。


「もう謝らない」


 俺の声は低く、冷たかった。

 窓ガラスが、俺の魔力で完全に砕け散った。


 ガシャン!


 大きな音が夜の静寂を破る。

 冷たい夜風が部屋に吹き込んできた。


 俺は破れた窓から外を見下ろした。

 眼下に広がる街。

 俺を苦しめた人間たちが眠っている街。


 外では風が吹いている。

 まるで新しい時代の到来を告げるように。


 俺は目を閉じた。仲間たちの顔を思い浮かべる。

 アルフレッド、エリーナ、ルナ。

 愛する人たちの笑顔。

 だが、彼らは消えてしまった。


 机の上に置かれた破り捨てられた遺書の破片が、風で舞い上がった。

 白い紙片が夜空に舞い踊り、やがて闇に消えていく。


 死を選ぼうとした少年は、もういない。

 代わりにそこにいるのは、圧倒的な力を手に入れ、生まれ変わった自分だ。


 俺は拳を握りしめ、夜空を見上げた。


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