6 ぎんいろを抱きしめて
「ざざーっ…………ざざあーっ……」
「ノワキはそういうところあるよね」
「す……スグル……」
ビーチパラソルの下で体育座りのノワキが恥ずかしがりながらもスペースを空けてくれたので、僕も隣に座る。
そのまま銀髪美少女は、それが自然の摂理かのように僕に寄りかかってきた。海水で湿った銀髪からは、ほのかに磯の香りと、ノワキ自身のキンモクセイみたいな爽やかな匂いがしてきて鼻孔をくすぐった。
「……あなたからツツジの匂いがするわ」
「あいつすごく甘い匂いするよね。メロウブロッサムでも頭からぶっかけてんのかな」
「へんたい」
罵られると分かっていても言わなければならないことがある。こういうのを必要経費と言う。
「ノワキはもう泳がないのか?」
「ずっと寒い地域にいたから知らなかったけど、わたし、暑いのダメみたい。溶けちゃいそう」
「えっと、どれくらい本気で?」
「大マジよ」
難儀な体質だ。
「なら新婚旅行は定番のハワイやドバイを避けて、ヨーロッパかな」
「あなたこそどれくらい本気なのよ」
僕も大マジなんだけど、プロポーズはもう少し先に取っておきたいから黙っておく。
「さて、流れ的に次は水着を褒めるターンだから、ちょっと立ってくれる?」
「ありえないでしょ」
ノワキが機嫌を悪くして僕にますますくっついてくる。この分だとしばらく離れてくれなそうだ。
「その水着、市民プールのときとは別のだよね」
「ええ。いろいろ成長したから」
「そっか」
「ツッコミ待ちなんだけど?」
「僕は貧乳も好きだからネタにはしないんだよ」
「知ってるわ」
知られてた。
「ユキの隣にあのタイプのビキニで立つほど愚かじゃないの」
「なんでもいいけど、すごくかわいいよ」
「惚れなおした?」
「したした、バカンス中の雪女かと思った!」
「もう、こんなところで発情しちゃだめよ」
「バカンスのイメージそんな感じ?」
今のノワキはひらひらフリルがセクシーな、黒を基調としたオフショルダービキニ。たしかに胸の大きさに注目するタイプのビキニではない、が……
「フリルが無性に気になる。その下ってどうなってるの?(ぴらっ)」
「言いながらめくらないの」
そのわりに抵抗は一切してこない。
「どうにもなってないわよ。たんに果てのない虚無が広がっているわ」
「いいかげん自分の胸に自信を持ってほしいな」
「わたしがお母さんから受け継いだものは三つ。銀髪と、カネコリサマの力と、まな板」
不知森の悲しい宿命だ。
「もう第二次性徴には期待できないわ。……ねえスグル、赤ちゃん欲しくない?」
「とんでもない理由で身籠ろうとしてるね」
「女の子なら巨乳に、男の子なら巨根に産んであげたいわ……」
「ノワキから不純な母性が溢れて止まらない」
「あら、おっきな赤ちゃん」
その矛先はするりと僕へ向かう。
「いい子、いい子」
「うぐ……や、やめろ……っ。偉い偉いってするなぁっ……!」
「迷える思春期の子羊ね、かわいいわ」
「は、母親面するなっ……ノカゼ状態のノワキを思い出して、トラウマが……っ!」
「今のわたしがノワキだなんて誰が証明できるのかしら」
「そんなホラー展開望んでないから!」
「もう、おかしいわね。『ノワキ』の証明なんて簡単よ」
わりと本気で心臓バクバクの僕を見て、ノワキはいたずら好きの笑みを浮かべる。
「……ちゅっ」
そんな愛らしい表情のまま、彼女は僕の唇に、そっと熱い感触を置いていった。
「覚えておいて。あなたにこんなことするのはわたしだけ」
「エルもしてくれるよ」
「ばか」
「いてっ」
かなり強めのでこぴんをされてしまった。
「水泳勝負で順当に負けた今のわたしは、過去イチあいつが嫌いなの。名前出さないで」
こっちを向いてくれなくなってしまった。
「ご機嫌ナナメか?」
「……ふんっ」
めんどくさくてかわいい。
「こっち向いてほしいな」
「……ちら」
「愛する彼女の顔がもっと見たいな」
「……あなたはわたしが大好きだものね」
「ホントそう!」
「ならしかたないわね」
「今の君はノワキ?」
「……っ、……ちゅ」
「ノワキだ!」
「……もう、おかしいわね。しかたないわね」
傍から見たらバカみたいだろうけど、僕らは幸せだった。
「しかたないついでに、飲み物買いに行きたいな。一緒に立てる?」
「……ぎゅー」
さては日が暮れるまでここから出ないつもりか?
暑いの苦手ってどの程度なんだろうか。日傘とかいるレベルなのかな。
「……頭なでなでしてくれないと、動きたくないわ」
甘えてるだけだった。
「こうして僕が撫でるのは初めてだな? 逆はたくさんあった気がするけど」
「あれは全部お母さんの仕業よ」
都合の悪いことはなんでもノカゼに押し付けようとしている節がある。
「…………ん。なんだか、ふわふわするわ」
「こんなんでよかったのかな」
「もっとなでて?」
「たしかにふわふわしてる!」
(ノワキ……僕に頭を触られるの、平気になったんだな……)
しおらしく愛らしい彼女を、そのまましばらく撫で続けた。
☽
「今日のあなた、いつもよりはしゃいでるわ」
「海は人を開放的にするんだよ」
「そんなこと普段は言わないもの」
ついでのついででトイレにも寄って、自販機からペットボトルを入手した後、僕とノワキはゆったりと浜辺を歩いていく。
「あっちの海の家でツツジたちがバイトしてるんだ」
「ならあそこは通らないようにしましょう」
「全方位警戒中だね」
「なるべく、あなたと二人でいたいの」
好意を伝えるのに惜しみないところは、母親譲りなのだろう。
「水泳対決で負けたから夜はスグル取られちゃうし……」
なにか別の思惑もありそうだが。
「あとナンパ除けにもなるわ」
「なんだろう、この美少女たちは全然心配にならない」
「節穴ね。ユキなんかもうひどいから、気にかけてあげて」
「さざれが? ナンパとか一番嫌いそうじゃん」
「あの子は押せばヤれる子なの」
「うーん」
ノワキと同じで仲間には優しいだけで、赤の他人相手だと門前払いなイメージしかないけどな。
「ソコのニーチャンネーチャン、ケバブあるよ、スイートチリソースあるよ」
「ごめんなさい、この人が口にしていいのはわたしが作ったものだけなの」
「国産しか食べないタイプの亜種か……?」
「わたしもあなた以外のおち〇ちんを口にしたりしないでしょ」
「そこって等価なの!?」
「店員さん、あなたにも恋人ができたらこの気持ちが分かるわ」
「あのノワキが他人の幸せを願えるようになったなんて。かわいい彼女の成長に涙が止まらない……!」
「ナンダおまえら」
ちょっとケバブ食べたかったんだけどな。
「よし、この調子でわたしたちの幸せをみんなにおすそ分けして回りましょう」
「絶対そんなキャラじゃないし、自慢したいだけだよね」
「あなたとの間に温度差を感じるわ。破局の危機?」
「多くない? もう三度目かな」
「大きな壁を乗り越えていっそう愛が強まるの」
もう気づいてると思うけど、脳みそを使って喋っていない。
「乗り越えられればいいけど、いつか跳ね返されないか心配だよ」
「平気よ」
ずいぶんな自信だと思っていると、恋人繋ぎの右手がクイクイと引かれた。
ノワキが立ち止まっていたのだ。
「跳ね返された先でも、一緒だもの。あなたが遠くに飛ばされちゃっても、わたしが追いかけていくもの」
「付き合い始めたばかりの彼女の愛が重すぎて、逆に軽く感じるまである」
「軽かったらダメなの? あなたに愛が伝わっていればよくないかしら」
脳味噌を使って喋っていないかもしれないけれど、ノワキはきっとずっと本気で。
浮かれ気分のただなかで、僕だけ少し冷めていて、彼女はとっても暑かった。
「わたしはスグルが大好きよ」
「僕もだよ」
「そうでしょうとも」
「いつになく強気だ」
ノワキはいかにも冷静に燃えている。夏の暑さで溶けるなんて冗談だと思った。彼女が溶けてしまうとしたら、その身に宿す想いに焼かれたときなのだ。それを僕はあの一件で、学んでいたはずなのに。否、学ぶだの成長だの変化だの、そんなのとは関係なく僕は、目の前の彼女を好きなのだった。
「まだまだ愛の伝え方、お母さんより下手っぴだけど、ごめんなさい。どうしても、バラバラで断片的になっちゃうわ」
ノワキは僕の正面に立って、優しく僕の両手を取った。
直に伝わる彼女の仮借ない熱が、僕の頭の冷めている部分を激しく呵責するかに思えた。その全部がきっと僕たちを未来へと進ませる。
「わたしはね、あなたが好きよ。あなたの声が好きよ、迷いながら、手探りで、本音を探してるあなたの言葉が好きよ。あなたの手が好きよ、手のぬくもりが好きよ。抱きしめてもらった時のぬくもりが好き。たまに見せてくれるほんとの笑顔が好きよ。あと……もう並べるのが面倒だけど、全部好きよ」
そういうのって省略しないから意味を持つ表現なんじゃ?
「でも、疑り深いあなたはまだ少し信じられないでしょ? 付き合ったばっかり、好きになったばっかりなのにって」
そんなことないと言うのは簡単だけど、それこそ迷いながら手探りの僕の言葉が、ツツジのような意味を持つことができるか不安だった。
「もちろんね、あなたの顔も好きよ」
「…………」
「そんな顔も好き」
今の僕はどんな顔をしているのだろうか。
「でも――あなたの顔だってあなたよ、それ含めてあなたの魅力なの……なんて言ったら、納得するかしら?」
「別に僕は、それでもかまわないよ」
「わたしはね、その顔を個性だと思って向き合え、なんて思わないわ。ただわたしが好きなだけ。あなたのことなんか知らない」
彼女らしい割り切り方だ。
「でもね、それはまったく悲しいことではないのよ。あなたが考えるみたいな、悲劇じゃないの。……だからスグル、そんな顔しないで?」
どうやら僕は、ノワキに心配をかけてしまうような顔をしていたらしい。努めて真顔を作ろうと思ったけれど、意識して真顔になろうとするのはむしろ難しかった。
「わたしは、スグルだから好きなの。わたしとお母さんとお父さんの間に乱入してきて、全部めちゃくちゃにしていったあなただから好きなの」
「どう読み替えても誉め言葉にはならなくない?」
「でも事実よ。しかも、わたしはそれでよかったと思ってるの。ならなにか問題ある?」
彼女は僕の手を持って、自分の胸にぴとりと添わせる。
とくんとくんと、安心する音が刻まれているのがよく分かる。どこかの誰かが遠いと言ったそれは、僕にはとてもそんな風には思えない。
でもそれは多分、僕とノワキだからなのだ。僕はノワキに対してならば、彼女がとっても近いと思える。遠いからこそ、近いと感じる。
「ねえスグル……わたしは、わたしをわたしにしてくれたあなたに、こんなにも感謝しているわ。あなたをいとおしいと思っているわ。あなたにいてほしいと思っているわ」
僕はあまりに愚鈍で無神経だから、ノワキが勇気を出して僕に手を差し伸べてくれているのだということにも、今になってようやく気づいたぐらいである。
「たくさん考えていいわ。たくさん迷っていいわ。でも……そんなあなたを必要としている人がいるんだって、それだけは忘れないで」
このまま、銀色の光に呑まれてしまいと強く思った。尊くて気高い美少女たちは、僕の悩みなんかそっちのけで自分たちの持つただ一つの答えを押し付けてくる。それは痛いほどに容赦がなくて、だからこそこんなにもあたたかい。
「えっと、だからね。つまりわたしは、何を言いたかったのかしら」
「僕に愛を伝えようとしてくれていたんだろ?」
「……そうだったわね」
目をかわいらしく丸くしてから、彼女は莞爾として笑う。
「大好きよ」
はじまったばかりの僕たちは、たったそれだけを伝えるのに、これだけの遠回りが必要なのだ。
「僕も大好きだよ、ノワキ」
そのあと僕たちは、先程冷やかしたケバブ屋に寄ったりしながら、まったりとした幸せな時間を過ごすのだった。




