42 私たちはここにいます!
だが考えてみれば、包丁で刺し殺そうとした代償が腹パンというのは些か軽すぎるだろう。娘同様、父親も相当のお人よしである。自分の妻を殺していることを除けばの話だが。
野放しにされた殺人犯と思えば、今、僕がこうして五体満足で不知森邸に上がり込み、ノワキ父から一切の興味を向けられていないことを幸運に思うことにしよう。
「三度目の正直よ、今度こそ食べてもらうわ」
「食べるよ」
「どれだけ不味くても最後まで食べるの」
「上達したんだろ?」
「何があってもよ、逃げたら泣いちゃうわよ」
「逃げないよ」
「……ならいいわ」
強く念押しして、ようやく安心できたらしいノワキが台所に立つ。ポニテに黒の着物に割烹着姿、いつもの家内バージョンである。
食材を水で洗う音、それが終わると包丁を手に取ったようで、トントントンという小気味良い音が聞こえてくるようになる。
さて、料理ができるのを待っているだけというのも退屈だ。今のうちにもう一つの大事な用事を済ませておこう。
「お父さんを殺そうとしたらダメよ」
「もうしないよ」
僕が立ち上がる気配を感じたか、ノワキが冗談半分に忠告してくる。
「おい、入るぞ」
襖の前に立ち、敵意がないことを示すためにあらかじめ声を掛ける。
「入ってくんな」
「お邪魔しまーす」
「死ね!」
襖を開けると、ノワキの父親が大層不機嫌そうだった。嫌いな奴が不幸だと気分が良い。
話が話だったので、きちんと襖を締めてから、ゴミで散らかった床になんとかスペースを作り、そこに腰を下ろす。
「ふう」
「いやなにくつろごうとしてやがんだ。ウゼェから出てけよ」
「あなたこそ臭いんで出てってくれませんか。せめて風呂に入れ」
「よし、殺すか」
「今日は話があってきたんですよ」
「……話だァ?」
僕の言葉を受けて、ノワキ父は眉間にしわを寄せた。
「――ノワキを『ノワキ』にしたい。知恵を貸せ」
「………………」
端的な僕の申し出に、沈思黙考する汚らしい不知森何某。
「ノワキが『ノカゼ』でもあることをお前が認識しているのは、先週確認済みだ。その上で、僕は本当のノワキと話がしたい。ノカゼの夫でノワキの父であるお前なら、僕より効果的な手を思いつくんじゃないか?」
「………………知るか」
「おい」
「精神病だろあれ。ならメンクリにでも連れてくんだな」
「あんた……それでいいのかよ。お前の娘、どう見たって異常だ。それを親として放っておくなんて……」
「――うっせぇんだよ! 俺がとっくにあいつの親じゃねえのは、てめぇも知ってやがんだろどうせ!」
感情のままに叫ぶ男を……僕は幾分か穏やかな気持ちで見ることができた。
――『うんうん、相手が言うこと聞かない時は、そうやって凄むんだよね。そうやって大声出せば、女の子は怖がって、大人しく言うこと聞いてくれるんだもんね?』
きっとそれは、僕が似たようなことをし慣れているからだろう。
「…………?」
……そんな心の余裕が僕に、ノワキ父の腕の震えを気づかせてくれた。
「あんた、なんで怯え――」
「それにあれは異常でもなんでもねえんだぜ?」
僕が質問しようとするも、ノワキの父親の言葉に遮られてしまった。それより……今、何と言った?
「あれが異常じゃない? お前、父親としてだけじゃなく人間としての正常な判断すらつかなくなってるのか?」
「つけあがるのもいい加減にしとけよ。そのひょろい土手っ腹に穴ァ開けられてぇか」
今度は凄んでいるとかではなく普通にマジの目だったので黙ることにする。
「ノワキが母親ぶってんのは異常なんかじゃねえ。それは……普通のことなんだよ、カネコリサマとしてはな」
カネコリサマ。八幡村で崇拝される妖の子孫、<白銀の巫女>――さざれの話でも何度か出てきたが、未だ代々の彼女たちがどういう存在であったのかはよく分からない。
「カネコリサマは――つらら女ってのはな。ほとんどの説話じゃ、春が来て暖かくなると、その氷でできた体は溶けて消えちまうんだよ」
突然よく分からない話を始めるノワキ父に困惑するも、奴は構わず続ける。
「だがカネコリサマは受け継がれてきた。寒い冬が過ぎ、春が訪れ、夏が来ようと、その体は溶けずに、また次の冬にまで残り続けてきた。どうしてだと思う?」
「どうして、って……」
「次の冬まで残るくらい、多くの氷を蓄えてるからだ。自身の体だけじゃ足りない分、余所から足してるんだ。それがカネコリサマと、他のつらら女の決定的な違いだ」
その理屈は分かるが、すぐに納得はできなかった。
「どうやってだよ」
「分からねえか? んなの一つしかないだろうがよ」
どこか他人事のように、感情のこもっていない声色で語るノワキ父に……どこか違和感を覚える。
どうしてだ? どうしてそんな……無理に無感情になろうとしている?
脳裏に嫌な予感が掠める。
なんだ……
「不知森は代々、女しか産まない。<白銀の巫女>カネコリサマは、次代のカネコリサマを自ら産みだすんだぜ」
なんだ……何を言おうとしている?
「そもそもおかしいと思わなかったのかよ、なんで俺らは『三人』だったんだ? ノカゼにも母と父がいたはずだろ、妹だっていたかもしれねえ。ならそいつらはどうした? 村に置いてきたわけじゃねえぜ」
「……ノカゼが幼いうちに、両親とも亡くなったとか……」
「ん……まあ、そうとも言えるか。だがてめぇ、忘れてねえよな。カネコリサマは――村の禁忌なんだぜ?」
ノワキの父親は至って真顔のまま、その真実を告げる。
「喰うんだよ」
――人食。
「次代のカネコリサマはな――先代のカネコリサマを喰らうことで、夏を克服するんだ」
「…………」
「数えで15の冬。同じカネコリサマである母親の血肉を取り込むことで、娘はカネコリサマとして完成し、その役目を引き継ぐことになる。このタイミングで村から婿を迎え、娘は母となる。それがカネコリサマの最初のお役目だ。そして子を産んでから自分が死ぬまでの15年間、カネコリサマは自らに宿る力、母から受け継ぐ力、その両方を操り、巫女として村を鎮守する。妻を失った男は、文字通りお役御免、不知森との関係を完全に絶たれ、平凡な村人に元通りってわけだ。その後数年で不審死を遂げることが多いがな」
「…………」
「でまあ、産まれた赤子が様々な原因により成長する前に死んだりして、このサイクルが崩れないよう……村は俺みてえな男を選ぶんだろうな。妖怪の血が混じってるだけあって、そう簡単に死ぬことはねえらしいが」
思わぬ角度からの、衝撃の真実に……僕は困惑に固まる頭を必死に動かして、聞くべきことを絞り出す。
「でも……でもそれは、先代カネコリサマ……ノカゼまでの話だろ? ノワキには関係が……」
「ならこんな話しねえだろ」
分かっている。分かっているが、一応聞いてみただけだ。
「俺が殺したノカゼの死体――放っておいたら、ノワキが喰いやがった」
「…………」
「目の色を変えて、口の周り赤くして、無言で……話には聞いてたが、実際に見るとまあ違ったな。正直ビビったぜ、あん時だけは、人が変わったみてえだったからな」
人が変わった……なんて。つまらない冗談を言う。
「だがそれで分かったろ? ノワキはとっくの昔にノカゼの血肉を喰らい、カネコリサマとして完全な力を得ている。自身の力、母親の力……それらを混同しちまうくらい完璧に、カネコリサマとして出来上がってるんだよ、あいつは」
その手の話は……うっすらと、聞いたことがある。対象の血肉を取り込むことで、その霊的な力を、体内に収めるという……その昔、特定の民族などが行っていた、いわば魂の継承の儀式。犯すべからざる、人類の禁忌。
だというのなら……あの状態が正常だという奴の言葉も頷ける。
もうずっとノワキは、ノカゼは、産まれた時からの……数百年間の鎖に……雁字搦めにされていたのだと、そういうことなのだから。
異常を正常とするカネコリサマの稗史……その膨大なページの最後が、ノワキであっただけなのだから。
「けどよ、それでもこれまで、ノワキがこんな露骨に力を顕現させることはなかったんだぜ。てめぇが下手に刺激したせいだ」
「ああ……やっぱりこの大雪は、ノワキの……カネコリサマの力なのか……」
異常気象などであるはずがない。それはどこまでも正常だ。すべてがなるべくしてなっている。僕のあの錯乱が、ノワキのなかで眠っていたカネコリサマとしての霊的な力を……目覚めさせてしまったのだ。
「…………」
「…………」
僕も、ノワキの父親も……次に発するべき言葉が見つからず、沈黙が続いてしまう。
会話が途切れる。
――家のなかが、しんと静まり返った。
「――……え?」
心がざわつくような感覚で、そのおかしさに気が付く。自分の耳を疑ってしまう。
だってそうだ。この家のなかが、全くの静寂……などということは、ありえないはずだ。
だって……ノワキは料理をしているはずなのに。
――先程まで聞こえていた、居間で包丁を叩く音が……止んでいる。
他のことをしているのかと耳をそばだててみるが、それらしい音は一切聞こえて来ない。
――まさか。
「…………」
過った予感は、僕の正面に座っていながら、僕の後ろに目を向けたまま固まっているノワキの父親の姿によって、確信へと変わる。
僕は――パンドラの箱を開けるような面持ち、禁忌に触れるような気持ちで、振り返った。
「…………そう…………だったの…………」
嫌な予感とは外れないものだ。
恐らく何の気なしに様子を見に来ただけなのだろう。しかしその拍子に、聞いてしまったのだ。
「わたし……全く覚えてなかったわ……あの時は、悲しくて、苦しくて……ただ、それだけだったから……」
僅かな襖の隙間の向こうで、茫然と佇むノワキの包丁を握る手から力が抜け、鈍色が煌めきながら畳へと落ちていく。
「でも、そう……そうだったのね……」
「なあノワキ、落ち着けよ……? 俺が言ったことは……」
「そ、そうだよノワキ……とりあえず、今日は……」
僕と父親が、なんとか最悪の事態を避けるべく声を掛けるも……
「ふふ……ありがとう。心配してくれてるのね。でも大丈夫よ」
美しい笑みを覗かせる少女の姿から、僕らはすべてが手遅れであることを悟る。
「ねえあなた、スグル……わたしね、悲しくなんてないわ……むしろ嬉しいのよ……だってそうでしょ……――?」
瞬間。
ノワキの周囲を、銀色の煌きが廻り出す。
ピキッ――と大気ごと凍ったような音がしたのも束の間。
室内の気温がぐっと低下し、辺りに小さな氷の粒……ダイヤモンドダストが、きらきら……きらきら……と光り出す。
初めは微弱だったその煌きは、瞬く間に勢いを増して凍てつく冷気となり、この部屋のなかを霜で覆い始める。
「最近ずっと不安だった気持ちが、ようやく晴れたわ……! ありがとう、あなた、スグル――!」
霜は霙へ。霙は霰へ。霰は雹へ。雹は雪へと――一瞬のうちに不思議な変化を繰り返していく。
「――わたしはノワキ、わたしはノカゼ――」
そうして最後に、雪が、氷柱へ。
「――……わたしはたしかに、ここにいたんだもの……――!」
ビュウウウウウゥゥゥゥゥ――と激しいブリザードが吹き荒れ、視界は霞み、その寒さに体がかじかんでしまう。
ゆえに最後、僕らが彼女に手を伸ばせなかったのは必定。冬の女王たる彼女の意志であった。
仰ぐように、祈るように、カネコリサマが、天へと手を伸ばす――
「――――――《氷瀑》――――――」
……どこからともなく発生した途轍もない衝撃によって、僕らは呆気なく吹き飛ばされてしまうのだった。
☽
時を同じくして、不知森邸に向けて、十人を超える数の男が近づいてきていた。
白住学院が誇る札付きの不良である、大月涼介率いるならず者集団であった。
「ビンゴおぉ! 表札にはバッチリ不知森ィ!」
「『更科優』を尾行けてきて正解だったな」
「にしてもデカい家だなぁ、あいつって地主の娘とかなんかねえ」
季節にそぐわぬコートやマフラーにてしっかり防寒した彼らは、一度の尾行で不知森野分の住処を突き止めることに成功したことを喜んでいた。
「こうなりゃいくらでもやりようはあるが……ひとまず今日は解散か。楽しみにしとけよノワキぃ……!」
極上の獲物を前にして、涼介が下品に舌なめずりをしてみせる。
「てか、なんなんだろうなこの雪」
「でもオレ雨より雪のが好きだわ」
「マジ? 寒さがダンチだろ」
「理屈じゃねえんだよな」
「まあ分からんでもないけど……、……ん?」
ふと、ヘラヘラと笑い合っていた不良たちの一人が笑みを止めた。
「竜生? どうしたよ」
「顔面蒼白だぞタツ」
仲間たちから心配された宮沢竜生は、微妙な表情で呟く。
「なんか……変な音しねえか?」
「ん?」
「……音……?」
竜生に言われた不良たちは口を閉じ、皆一様に耳を澄ました。
――――。
「あ……」
「たしかに……なんか、ゴゴゴゴゴ……って」
「地響きっぽい重い音が……?」
早川春人に丸山蒼空、さらに森泉士などが、続々と竜生の言った異音を感知する。
――ゴゴ……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………!
「いややっぱ聞こえるって!」
「てかどんどんデカくなってね!?」
「地震の前兆か――?」
加速度的に音量を増していくそれに、ようやくその場の全員が気づいた頃。
「や……待てよ、なんか暗く……」
「おい見ろ! 上、上!」
地上に、暗く濃い影が落ちたのである。
彼らは一瞬、夜の訪れを信じたほどであった。しかし現在は午前10時、いくら分厚い雲が空を覆おうと、そのようなことはありえない。
ならば一体、この頭上に落ちる影の正体は何なのか。涼介たちがいくら頭を捻ったところで、その答えにたどり着けるはずもない、それは――
「――――――《氷瀑》――――――」
どこからか、響き渡るような声が聞こえたかと思うと。
…………――ッドゴオオオオオオオォォォォォォォォン…………ッ!!
「「「「ぎゃあああああああああああああああっ!?」」」」
――曇天が、真っ二つに割られ。
――巨きな隕石のごとき氷塊が、果野市に降り注ぐ。
彼らはその衝撃で、散り散りに吹っ飛ばされてしまった。
「なになになんだよこれぇ!!」
「あれ直撃してたら死んでたって!」
春人と士が怯懦に震えた顔で喚きたてるも、事態がそれで終わるはずもない。
…………――ッドゴオオオオオオオォォォォォォォォン…………ッ!!
…………――ッドゴオオオオオオオォォォォォォォォン…………ッ!!
…………――ッドゴオオオオオオオォォォォォォォォン…………ッ!!
冷たい氷の隕石は、容赦なく、次々と果野の町に落下していく。
しかし不思議なことに、街はそれほど壊滅的な被害を被っているわけではなかった。
空から飛来した隕石は、落下と同時に凄まじい銀色の輝きを放ちながら霧となって立ち消え、代わりにこの果野全域を、凍えるような冷気で満たしていく。
現在カネコリサマが護りたるは果野。その力を目覚めさせた彼女の魔力が街全体へと行き渡り、梅雨が続いているはずだった7月の街並みを、見事な冬景色へと変化させていく。
――これなるは<銀色世界>。有為転変の時を凍てつかせ、悠久の冬景を実現させるカネコリサマの御業である。
……しかしこの場にいる不良たちには不幸な事実であるが、当代のカネコリサマである不知森野分が力を顕現させるのは此度が初のことである。
八幡村では根雪神事と呼ばれる食人の儀式を図らずも終えているノワキとはいえ、未だその力の制御は、代々の彼女らに比べて今一歩及ばない。
故に――魔力の暴発という事態は起きてしまうものである。
「あがああああああああぁぁぁぁぁっ!!!!??」
突如として地表から突き出てきた無数の針に、春人は四肢を貫かれてしまった。
「あああ痛いいいいいいいい! 痛いよおおおおおおおおおおおおお!!!!! 助けてえええええええええええええええ!!!!!!」
春人の全身から飛び散る鮮血が、その絶叫が決して大げさなものではないことを残酷なまでに示していた。
「ハル!」
「ダメだ! 士も逃げろ! やべえぞ!」
針地獄の現象は、不知森家を中心として同心円状に広がっていることが確認できる。激情に駆られてカネコリサマの力を振るうノワキの魔力が、暴走状態にあるのである。
一早く《氷瀑》の前兆を察知していた竜生や、仲間の向山勇樹までもが、針山の魔の手から逃れられずに磔にされていた。
この氷で作られた針のごときものは、数mにも及ぶ巨大な氷柱群――カネコリサマの《銀竹》である。ノワキの魔力によってアイスピックのような殺傷力を持った逆さの氷柱、氷筍が空めがけて突き出しているのであった。
「な、なんだよこれ……こないだといい、なんなんだよ……!」
その場に尻もちをつき、仲間が無惨にも血を流していく光景を、涼介は光の灯らない目でただただ見ることしかできなかった。頬についた霜を拭う気力もないようだ。
カネコリサマの暴走は止まらない。本人の気が済まないことには、果野市に夏が来ることはない。永遠の冬のなかで、静かに凍え死ぬのを待つばかりである。
そして――
そのような惨劇を阻止するために、八年前、一人の小さな魔術師が中央からこの地へと遣わされていた。
さざれ「二度あることは三度ありますの」




