19 ばか、ばか、ばか、ばかばかばかばか。
クラスメイトには僕とエルが恋仲だとバレてしまったので、もう開き直って授業終わりに一緒に期末テストの対策なんかをしていたら、教室の隅の方からなにやら騒ぎ声が聞こえてきた。
耳を澄ませてみれば……その騒ぎの渦中にいるのは、黒髪にピンクメッシュの地雷系美少女、十六夜躑躅なのだった。
「ツツジちゃんはガチのレイシストって噂、ホント?」「外見至上主義が行き過ぎて映画レビューの評価基準が俳優の顔だけになっちゃってるってマジなの?」「やっぱり更科くんとは付き合ってるの!?」「白住燃えちゃったんだよね」「AV視聴室でガチのAV見たバカがいるってホント?」
「よく分かんないけど全部そうだわ!」
どうやらツツジがクラスの女子たちに囲まれて、質問攻めにあっているらしい。あんな自我強いわりに、マスコット的に女子コミュニティに馴染むのは得意なんだよな、あいつ。
しばらくすると、遠巻きに見守っていたノワキがぽつりと言った。
「あんまりその子に近づかない方がいいわ。偏差値38の名門・白住の学力が感染るわよ」
「「「きゃ~~~!」」」
すると、女子どもは黄色い声を上げながらちりじりになっていった。
二人とも、クラスメイトどころか生徒でもないくせにクラスに馴染んでるみたいで、なによりだよ。
ツツジも女子たちのことはかなりどうでもよかったのか、けろっとした顔でこちらへやってくる。
「スグル! 学校抜け出して海に行くんだわ!」
「まだ梅雨明けてないし今日も土砂降りだからまた今度な」
「優くんはツツジに甘すぎるよ……」
「なにしてるの?」
ノワキが僕のノートを覗き込んでくる。
「数学だよ」
「ここはこの公式をあてはめて……」
「いうほど公式あてはめればいい問題ばっかりじゃないよな」
「優くん、こんなの相手しなくていいよ」
「無視すると後が怖いんだ」
「人を面倒な女みたいに言うのはやめて」
「私たちが迷惑かけてるのは事実だわ?」
「分かってるのに反省も後悔もしないから嫌いなんだよ……」
「僕はこの手の開き直りはけっこう好きだよ」
「だから優くんは甘やかしすぎ!」
「一人で騒いでバカみたいね」
「あなたは実際にバカですけどね」
「は?」
「美少女同士で喧嘩しちゃダメなんだわ!!」
「そんなにわたしが気に入らないなら一度白黒つける? ラブコメでヒロインが殴り合いの喧嘩すれば名作確定よ」
「あなたの底が浅いオタク観を押し付けないでよ!」
「1クール5本くらいしかアニメ見てなさそうなあなたに言われてもね」
「私が見るに値するアニメがそれぐらいしかないだけ!」
「それはそうよ」
「オタクはオタク同士仲良くするんだわ!」
「「は???」」
「わんわんわんっっっ……!」
いい感じに三人での話が盛り上がってきたところで、僕は一人教室を抜けて、お手洗いへ。
「あの三人になるとツツジが宥め役に回るんだなぁ」
奇妙な化学反応に感嘆していると、
「お前も大変だな」
「ヨウ」
隣にヨウがやってきた。
一時期は僕の行いによって多少気まずい雰囲気があったが、最近は徐々に元へ戻り始めている。僕はヨウに謝罪し、彼は前を向き始めているのだから、あとは時間の問題である。複雑に絡み合った人間関係を解きほぐしてくれるものは時間だ。よいことである。
「スグルお前、ちょい前まであいつらのこと嫌がってなかったか? どういう心境の変化だよ」
「長く一緒にいる存在にいつまでも無関心でいられるほど、人間は冷徹じゃないってことだよ」
「……相変わらずどこまで冗談だか分かんねえなぁお前は」
「至って真剣なんだけどね」
「そう言うってことは、マジで真剣なんだろうな」
洗面台の蛇口を絞めながら、ヨウが言う。
「なんつーか最近、どんどんお前が分かんなくなっていってる気がするぜ」
「なんだそれ」
よく分からなかったので訊ねる。
「意外と悪くねえ気分なんだぜ」
「そうなのか」
「ああ、少なくとも、“分かった気になる”よかマシだ」
「そうかもね」
その言葉が僕たちの関係にどのように結びつくものかは理解できなかったけれど、ヨウの発言自体は明快だったので、僕は頷いた。
要するに、ヨウは僕を理解してくれようとしているということだ。これはとても嬉しかった。
☽
昼休みになると、ノワキに屋上へ呼び出された。この学校は屋上が解放されて――いないので、普通に不法侵入であり、バレたら叱られる。そんなところに呼び出さないでほしい。
さらにノワキからは一人で来いと念を押されていたので、エルにバレたら二重で叱られる。
ちなみに、どうやってあの始終僕に粘着するツツジを巻いたのかと言うと……
『ツツジ、今日の昼はエルと二人で食べたらどうだ?』
『なんでだわ? みんなで食べた方が楽しいしおいしいんだわ!!』
『そうなんだけどさ……ツツジは、エルと親睦を深めたくないか?』
『深めたいんだわ!』
『エルは僕といたら僕としか話さないし、ツツジもノワキといたら無意識に彼女に頼っちゃうだろ? だから、今日の昼は二人だけで食事してみるんだ』
『――確かにそうだわ! スグル天才!』
という感じで、実はあいつは美少女を餌にすれば手懐けるのは容易いのだ。
「さて……」
そんなどうでもよすぎることを考えているうちに、屋上に着いた。梅雨なので微妙に霧雨が降っており、地面は湿っている。
故にノワキは、庇のある、暗い陰になっている、ジメッとした、出入口近くの壁に背を凭れさせながら女の子座り。わざわざレジャーシート敷いて靴まで脱いでるけど、中に入ったらどう?
彼女は僕に気づくと、首をこちらに向けて、見上げながら言う。
「尾行けられてない?」
「僕は元ストーカーだぞ? そんなヘマはしない」
どうやら屋内に避難する様子もないので、渋々ノワキに横並びになるように胡坐で座り込む。
すると彼女は女の子座りのまま、よいしょよいしょと僕に対面する位置に移動してから言った。
「ねえスグル、お弁当作ってきたの」
「自分の分あるんだけど」
「ならそれはわたしがもらう」
「この流れ前にもやったよ」
「同じ流れを二回やるって流れも前やったわ」
無限後退的ななにかが起こっている。
「その流れで行くと、この弁当はツツジが作ったんだろ」
「いいえ、今日のは本当にわたしの」
「ノワキは家事が苦手だって」
「頑張ったわ」
頑張ったらしい。
「手作り弁当はラブコメの定番だもの」
「すぐメタ視点を入れたがるのはノワキの悪い癖だ」
「照れ隠しよ」
こんなところもかわいいと思えるように、最近はなってきている。
「ありがとう。嬉しいよ」
「そういうのは食べてからでいいの」
食べた後だと言えるかどうか心配だから今なんだ。
「大丈夫よ、メシマズ属性なんてゼロ年代の亡霊だもの」
「口に入れたら吐いて気絶するレベルの料理、逆にどうやったら作れるんだろうな」
どうでもいいことを話しつつ、ノワキから受け取った水色の弁当箱の蓋を開ける。
「……おお」
見た目は普通だ。白米唐揚げ卵焼きブロッコリートマト。定番である。
「箸は?」
「わたしが持ってるわ」
問答無用らしい。
「じゃあ……いただきます」
「なにから食べたい?」
「卵焼きかな」
「あーん」
「……もぐ……んぐ……」
…………。
「おいしい?」
「お弁当つくってくれてありがとう」
「お弁当おいしい?」
「色彩豊かで栄養バランスも考えられてるし、嬉しいよ」
「よかったわ」
「いや、おいしかったよ。うん」
別にまずかったわけじゃない。そもそも弁当のおかずなんて基本濃いめの味付けなんだから多少は実力を誤魔化せるものだ。
そのうえで言わせてもらえば……おいしかった。
添加物で魔改造されたスーパーの安い弁当くらい……おいしかった。
「……明日はもう少し上手く作るわ」
そう言って、ノワキは俯いてしまった。銀の簾が彼女の目元に翳をつくる。珍しく落ち込んでいるようだ。
「明日も作ってくれるのか」
「もちろんよ」
「もちろんではないよ。ありがとう」
「……迷惑じゃない?」
「明日は弁当持たずに来るよ」
「……たしかにあなた、ちょっと素直になったのね」
「こっちが素なんだ」
「そう」
素っ気ない返事のわりに、ノワキは微笑んでいた。
「ねえ、好きなおかずはある? 明日の参考にするわ」
「うーん……カニコロかな」
「分かったわ」
僕は明日のお昼が少し楽しみになるのだった。
「次、唐揚げお願い」
「え?」
「だから、唐揚げ。食べさせてよ」
「……自分の食べた方がおいしいわよ?」
「分からないか? ノワキがつくってくれたのを食べたいんだよ」
「……はい。あーん」
「むぐ……」
ようやく唐揚げが口に運ばれる。その箸は少し震えていて、そのまま喉に突き刺さらないかひやりとした。
☽
放課後になり、部活へ向かったエルをツツジが追いかけていった関係で、僕はノワキと二人で帰ることとなった。
下駄箱で靴を履き替えていると……先に昇降口に降りたらしく既に土足のノワキが、一人佇んでいることに気づく。
彼女は黙って外の風景を眺めている。6月下旬の天候は絶不調、篠突く雨がグラウンドを泥沼に様変わりさせており、時折吹く強風は犬走りの横に並ぶ木々を大きく揺さぶっている。
「ザーザーザーザー……ビュウウウウウ……」
「上機嫌だな、ノワキ」
「……聞いてたの?」
ノワキは小さな声で非難するように言うと、肩を竦めてしまった。
どうやら僕には気づいていなかったらしい。
「雨がね、どちらかといえば好きなの」
「へえ」
「違う。理由を訊いて」
「なんで雨が好きなんだ?」
「教えない」
たしかに少しだけ浮かれているようだ。
「……ふふっ」
かなり浮かれているみたいだ。
「酒でも入ってるのか」
「とてもかわいい自分に酔ってるの」
「ツツジの真似事かな。お前いうほどナルシストでもないだろ」
「お前じゃなくてノワキ」
「前から思ってたけど、ツツジの『ノワ』呼びはいいんだね」
「2/3はわたしだもの」
わりとガバガバ判定だった。
「帰りましょ」
「ノワキ、傘は持ってきてるのか?」
「あなたが持ってるでしょ」
「一人用ならね」
「ブラ透け狙い? わたしの薄い胸のなんて見ても目が腐るだけよ」
雨模様は人の心を悲観的にさせる。
「……入れてくれないの?」
どこかこわごわとした上目遣いで、ノワキは訊ねてくる。
普段にも増して彼女が小さい。
「そのあざとい感じは狙ってやってるのか?」
「え? ……うん」
「そうか」
随分と素直なノワキを置いて、僕は曇天の下に傘を差す。
「…………あ」
後ろから聞こえた寂しそうな声音は、すぐに雨風に掻き消された。
手元や首筋に冷えた大気がまとわりつき、この分ではまだまだ夏など遠い未来のことなのではないかと感じてしまう。
雨粒が傘に当たる小うるさい音が、傘の内側で反響するように鳴っては僕の耳朶を打つ。
視界の半分ほどが傘地で遮られた暗い世界は、なんだかひどく狭くて冷たいもののように錯覚する。このような感傷はもちろん、背後の少女から伝播したものだ。本格的に彼女はどうしたのだろう。
「…………」
「…………」
そこからしばらく動かないでいると、ようやくノワキは黙って僕の傘に入ってきた。
ここでもまた、ノワキは僕を下から覗くようにして、その眼差しで「いいの?」と確認してくる。
「ノワキ、本当に大丈夫か? 変だぞ」
「失礼よ」
ノワキがその場で地団駄を踏むと、土砂の混じった水がピシャンと跳ね返り、僕のズボンの裾を濡らした。
「あ」
やってしまった、とばかりにか細い声を漏らした彼女の顔が、さっと青ざめていく。
「……ごめんなさい」
「は? 熱でもあるのか?」
「あ、ちょっとっ」
いくらなんでも殊勝すぎるノワキが心配になったので、彼女の前髪を掻き上げ、額にぴたりと手を当ててみる。
「…………っ」
すると、ノワキは緊張したみたいに表情を硬くして、おっかなびっくり僕を見上げてきた。
「ど、どう……?」
そんな彼女は珍しくどもりながら、測定結果を催促してくるのだが……
「うん、全く分からないな」
むしろひんやりしてて少し気持ちいいくらいだった。
「この方法で判断できるなら体温計なんていらないものね」
「すごい熱じゃないか! 何で言わなかったんだ!」
「みたいなのってホントにあるのかしら」
「また一つ“嘘”を見つけちゃったな」
「作品を純粋に楽しめないひねくれオタクに近づいちゃったわね」
とても自然に、ノワキは花が咲くような笑顔を見せてくれた。
僕たちはゆっくりと歩き始める。たしかノワキも自転車登校だったし、家まで送るとなってもそれほど時間はかからないだろう。
「スグル、歩道側歩いて」
「逆じゃなくてか?」
「車とか自転車が通った時、わたしに水たまりの水がかかりそうになったところをスグルが庇うの」
「やっぱりここ最近、ノワキはイベントを無理やり発生させようとしてるよな」
「あるいは水を避けようとして転びそうになったわたしを、あなたが抱きとめるわ」
「ラブコメのヒロインは体幹が弱すぎて心配になるよ」
「わたしが転びそうになったら、ちゃんと支えてくれる?」
「ノワキが最後に転びそうになったのいつだよ」
人は……特に大人なんて、そうそう転ばないものだ。
「……ツツジに抱きつかれた三日前?」
思ったより最近のことだった。
「身長差のせいで、足元で転ばれても気づけないかもな」
「いじわる言わないで」
眉根を寄せたノワキは立ち止まり、僕の前に回ると……
「ん……しょ」
スクールバッグを掛けていない方の腕を、まっすぐ上に伸ばした。
「おお」
すると、ちょうど僕の頭上の辺りにノワキの細い指先が到達している。
まあ、右足はつま先立ちだし、左足に至っては浮いちゃってるけど。
「お……おんなじくらいよ」
ノワキは澄まし顔だ。だいぶぐらついてるけど。
「そうだな」
返事がてら、僕は目の前のノワキの手を握った。
「あっ!? ……ちょ、それ、辛いっ……」
ノワキからしたら、身体をピンと限界まで伸ばした状態で固定されたようなものだ。
「は、離してっ……ねえ、手ぇ離して……!」
足から腕にかけての筋肉が痺れるような感覚……想像するだけでも、死ぬほどキツいと思う。
彼女は若干涙目になっていた。
「聞いてるのっ……スグル、ねえお願いっ、もう腕が――」
「はい」
「――きゃっ!?」
お望み通り、手を離してやれば……片足立ち・つま先立ちだったノワキは悲鳴を上げながら、バランスが取れずにそのまま前方へと倒れ込んでしまう……
「……っと」
……のを、僕がしっかりと抱きすくめた。
ふわりと彼女の銀色ツインテールが舞って、どこかキンモクセイのような、けれど香水のそれよりはしつこくない、落ち着いた匂いが漂ってくる。
というかノワキのやつ、ほとんど重さを感じない。低身長で貧乳って、もしかして普通に栄養不足なんじゃない?
「…………??」
僕の懐に埋まっていた顔を上げたノワキは、一瞬のうちの出来事を理解するのにタイムラグがあったらしく……
「これでご要望通りか?」
「……、……えっ……」
僕と目を合わせてからたっぷり数秒ほどかけて、徐々にその顔を羞恥の赤に染めていった。
さらには自重を支えるものを探していた自分の両腕が、反射的に僕の体にしがみついていたことにも気が付いたようで……
「……~~っ」
ノワキは目を真ん丸に見開きながら、素早い動きで僕から離れると――とはいえ、あくまで傘の範囲内なのでわりと近くで――ぷい、と顔を背けてしまった。
「…………」
「…………」
そんな状態でも、なんとなく、僕らは歩みを再開した。
雨が降っているので、街路は普段よりも人通りが少なく、ひっそりと静謐な空気が雨水に混じって沈殿している。
「…………」
「…………」
だからこの通り、ひとたび僕らが押し黙ると世界はまるで静止したように色を失い、死んでしまう。
当たり前に鳴り続ける雨音は、その永遠によって自らを縛り、本質を喪失する。
当たり前にあり続けるものは、無と表裏一体である。
つまり、この雨風の騒音は、いつの間にか僕らにとり、無音へと反転していた。
感覚的な話で言えば……耳が慣れた、のだ。
この、うるさい静かさのなかで考えることは、一つ。
――やっちゃったな……。
梅雨の高い湿度が、僕に内側へ籠ることを促した結果か……
先程、僕が「僕」であることを忘れて……迂闊な行動をしてしまったことに、今更になって気づかされる。
彼女に不用意に近づいた。これまでは怖くて控えていたはずの、彼女らへの直接の接触を……僕は大した躊躇もなしに行ってしまった。
どうしてだろう、などと自問するのもバカらしい。
少なくとも、あの瞬間において……不知森野分という一人の少女が、そこに「いた」気がしたのだ。
更科優に隣り合っている、それが僕の前に立ちはだかってきている。
目の前に、動かしようのない少女が、いた……だから、僕は「更科優」も忘れて……それに接近してみたくなってしまった、のだ。
僕の世界では、本来的に、他者など問題にならない。
だからこそ母さんが、エルが、ヨウが、魔術師が特別なのである。
……だというのに、あるいは、だというのなら、今しがた現前した存在は、いったいどういう理屈で説明できるだろう?
他者が世界に存在することが意味を持つ……その道程は僕にとっての未知で舗装されている。
この、足元のおぼつかない恐怖へ、僕はどのように挑めばよいのだろう?
「この辺でいいわ」
「家まで送るよ」
「いいの。すぐ近くだから」
「濡れるだろ」
「そのために傘を持ってきてるわ」
「言うのが20分くらい遅い」
くすぐったそうに微笑みながら、自前の傘を差したノワキ。
僕に背を向けた彼女は顔だけこちらに向けて、ひらひらと手を振りながら言う。一緒になって揺れる銀色のツインテールに視線を吸い寄せられた。
「じゃあね、スグル。また明日」
「ああ。帰ったらまず体温計れよ」
「分かってるわ」
そうして、無音のうちに、ノワキと別れた。
心を満たすのはくだらない寂寥感だ。
「…………」
――ギィギィと、僕の世界の単純な回路が、鈍い音を立てて軋みはじめたように感じた。




