sect.1 擬態
-ハーデルマークの南西に位置する森-
薄暗い森の中で二匹の仔熊がじゃれあっている。
その仔熊たちが生後何か月なのかは分からなかったが、人間が抱えるには少々重すぎるほどに成長しており、仔熊と呼べる限界を迎えつつあるのは見てわかる。
好奇心旺盛で育ち盛りの二匹は、有り余る体力を外に向けて吐き出そうとしているのか、お互いが相手に噛みつき、はたまた押し倒してケンカをしているようにも見える。
その背後では、巨大な母熊がその様子を眺めながら、地面でうたた寝をしていた。
しかし有り余る体力にも限界がある。やがて疲れた二匹は水を飲もうと、目の前に見えている小川へ向かって歩き出した。
そして小川で水を飲み始める仔熊。
山から湧き出る水によってできた小川は冷たく、その澄んだ喉ごしは仔熊の渇きを十分すぎるほどに癒してくれた。しかし水を飲んでいるのは一匹だけで、その仔熊が満たされて水を飲み終わった頃になっても、もう一匹はなかなか現れない。
不審に思った仔熊が後ろを振り返ると、その姿は忽然と視界から消えていた。
仔熊は小さく鳴き声を上げると、辺りを散策し始める。
母熊はそのときになって異変に気が付いた。
つい先ほどまで二匹が目の前でじゃれあっていたのに、一匹姿が見当たらない。
母熊はゆっくりと体を起こす。
仔熊たちがその好奇心から自由気ままに動き回り、その姿を見失ってしまうことは時々あった。だがある程度成長した仔熊の命を脅かすほどの生き物は、この森の中にはもうそれほどいないということに油断があった。
だがその油断が命取りだった。
今度は残った一匹の仔熊が、自分の見ている目の前で突然消えたのだ。
落ちた!
母熊は瞬時にそう判断した。
重い体を勢いよく起こして立ち上がると、勢いをそのままに今まで仔熊がいた場所へ駆け寄る。
しかし母熊の予想に反して、そこには何もなかった。まばらに草の生える普通の地面が広がり、成長した仔熊が落ちるほど大きい穴など、どこにも見当たらない。
だが母熊は気付いた。
かすかに香る我が子の匂い、それに血の匂いが混じっていることに。
母熊はウゴォォと大きく雄叫びを上げると、両手を広げて立ち上がる。
バサバサバサ・・・
森の鳥たちが羽ばたいていく。
母熊は両手を広げて立ち上がったままピクリとも動かない。
やがて地面にポタポタと血だまりが広がっていき、その体には地面から無数に伸びる針のような金属が突き刺さっていた。
"擬態"母熊は消えゆく意識の中で悟った。
ここでは常に捕食者であった自分たちが、カムフラージュした敵の罠にかかり、捕食されてしまうのだと。
我が子たちも、もう生きてはいまい。
その諦めがトドメだった。
母熊はズズンと大きな音を立てて、その場に崩れ落ちた。
母熊が倒れて次第に息がか細くなるにつれて、体に刺さった針が形状を変化させて体全体をなめていく。やがて液体状になった金属が母熊を包み込んでいき、すっぽりと全体を覆ってしまう。
その塊は時間と共に小さくなって消えていく。
すると液体状の金属はグニャリと形状を変化させていき、その姿は今しがた倒れた母熊そのものになった。
母熊は何事もなかったように起き上がり、ゆっくりと人里のある西へと向かって歩き始めた・・・。
-キトトブ寺院ハザサ院-
質素な院長室に体格のいい大男と小柄な老人の姿。
キトトブの法衣を着たラガンナがその大男を来客用の部屋ではなく自室に招き入れているのは、彼が客ではなく友にも近しい間柄であることを示していた。
二人はテーブルに腰かけて話しているが、大男の前にはその椅子もこの部屋も狭そうに感じさせてしまう。
「そうか、それがアイツの出した結論か・・・」
「不満があるのかね?」
「いや、それが長の出した結論ならば是非もない。第一俺たちに口をはさむ権利なんかねえよ」
「そうか」
「ああ」
そう答えたゴドウの表情は穏やかで、どこか悲しみを秘めているようにも見えた。
それを感じたラガンナは何かを言いかけたが、思いとどまり違う言葉を選んだ。
「会っていってはどうだ?もうすぐシャンネラやあの少年たちと、ここへ戻ってくるが」
「いや、やめとくよ・・・。会ったところで話すことはねえし、戦前にアイツの心を乱すようなことはしたくないしな」
そう言ってゴドウは椅子から立ち上がる。
「もう行くのかね?」
「ああ」
ラガンナは大男の背中を見つめながら問いかけた。
「これからどうするつもりだね?」
「そうだな・・・、俺たちは流浪の身。まあ自由気ままに生きていくさ」
「・・・ここに残らないかね?」
「いや、ここの規律は性分に合わねえや」
「それが私からの頼みでも?」
しばしの沈黙。
やがてゴドウは立ち止まって背中を向けたまま答える。
「すまねえな、少なくとも今はまだダメだ」
「そうか・・・」
ラガンナは流浪の身と言いながら、この男のなかには何か考えがあるのであろうなと思い、これ以上の詮索はやめることにした。
そしてゴドウは"じゃあな"と残して部屋を後にする。
「同じ志を持つ者同士が、心無い人間のために袂を分かたねばならんとは。悲しいことじゃ・・・」
ラガンナは男の去った扉を見つめながら、虚しさを口にせずにはいられなかった。




