銀の桜とセーラー服(三、スカーフ)
さくらは自分が色々と思い知らされただけでなく、うっかり涙を浮かべてみじめな姿をさらした今日の面接について璃久に報告するのがたまらなくいやだった。
自分があの会社にどれほど思い入れがあったかを璃久はよく知っているので、今回のことで心配させたりがっかりさせてしまうと思うと胸が痛んだ。
さくらはヘラヘラした感じで「あーあ、きっとまた落ちちゃったよ。面接は大失敗」と言った。
これを聞いた璃久が何かを言おうとすると、さくらは首を振ってそれを遮り、これ以上何かを言わせないよう「なんか感じの悪い会社だったよ」と素っ気なく言ったのだが、璃久は「でも、なんか私、今回は大丈夫な気がするんだけど?本人の思い込みできっとダメかも、っていうのは当たらないっていうじゃない?」などと言って、のんきに笑いかけてきた。
璃久のこの言葉に、さくらはすぐに興奮して言い返した。
「でもお母さん、デザイン画を見ながら顔をそむけられたらもうダメだってわかるよ。性格の悪そうなイヤ~な社長が薄笑い浮かべてセーラー服は好きじゃないとか言ってさ!全然関係ない話をしてきたんだよ」
「セーラー服の話で終わった訳じゃないんでしょう?あれはとても素敵だったと思うけど?もちろん制服に合わせるという部分では現実的じゃないのかもしれないけど……なんかすごく可愛いし、こう、花びらのバランスが良い素敵なペンダントよ、間違いなく」
璃久は別に慰めようと思ってこう言ったわけではなかったのだが、さくらは何も知らないくせに能天気なことを言ってくる母にイライラしてきて、もう何も言うなとばかりに刺々しい言葉を投げつけた。
「あのねお母さん、自分こそ素人なんだから間違いなくなんて言わないでよ!それに現実的じゃないって思ってた訳でしょ?やっぱり普通のデザイン画にすればよかったよ。多分、あいつは『インパクトつけて個性的にみせようとしてる』とかなんとか、そんなふうに思ったんだよきっと。そういうのって嫌がられるんだよ、ああいう人達にはさ!」
さくらはさっさと報告を終わらせるつもりだったことを完全に忘れてしまった。
そして、さらに興奮して面接での出来事をしつこいくらい詳しく話し出した。
その途中、さくらはふとさっきの璃久の発言を思い出し『素人は生意気に意見を述べてはならない』ということがよく伝わるよう、璃久が何かを言おうとする度に、うるさい生徒を注意する教師のように、人差し指を口に当ててみせたりもした。
さくらは自分が涙ぐんでしまったことや、ついうっかりごますりと間違えられるような感想を述べてしまったことは一切話さずに――『根っからの意地悪社長が年甲斐もなく、自社製品を次から次へと見せびらかすみっともない姿』――の部分に特に力を入れて話した。
そのうちに自分でも面白くなってきて、社長のことをマジでいやらしい目つきだったとか、わざとらしい不必要のお世辞で私のパールのデザイン画をほめてきた、とか悪意のある酷い脚色までして『こんなところに入らなくてすんだ自分はラッキーだった』という結びで今日の完敗報告を終えた。
こうして三十分位かけて怒鳴ったり笑ったりしながら全て話し切ったさくらは、深呼吸をして叫ぶようにこう言った。
「はっ!よくよく考えたら、全然悲惨じゃないんだよ!」
これを聞いて、璃久はたまらず吹き出してしまった。
「ごめんごめん笑ったりして。でもほんとね、全く悲壮感が伝わってこないわよ。あんなにこの会社に入りたがっていたのに……さくらちゃん、わざとちゃかしてる?」
さくらは「だって、もうそりゃそうするしかないじゃん!」と大声を出してきたので、璃久はもうたまらなくなって大きな口を開けて笑い出した。
それをみてさくらも吹き出してしまい、一緒になって笑っているうちにイライラした刺々しい気持ちはどこかへ消えていった。
璃久はさくらが落ち着いたのを見て取ると、優しくこう言った。
「お母さんはもちろん素人よ、さくらちゃんの言う通りにね。でも、あれは絶対素敵だったと思うわ。だからもしかしたら受かったんじゃないかしら?ね、最後まで言わせてちょうだい……あのセーラー服、実を言うと、そのいやらしい目つきの社長じゃないけど私も大嫌いだったの。お母さんが通ってたころはあの高校……『馬鹿ジョ』とか『うぐいすずめ』なんて言われてたのよ。さくらちゃんは知らないでしょう?」
「『うぐいすずめ』って何?聞いたこと無いんだけど」
「そうでしょうね、さくらちゃんが入学した頃は進学校みたいになっちゃってたもの。でもお母さんの時は全然違ったのよ。全くみじめな女子校で……それでね『うぐいすずめ』の話だけど、川向こうの西女の学園祭の名称が『うぐいす祭』っていうの知ってる?」
「知ってるよ、行ったこともあるし。でもうちの高校の学園祭の方が絶対にすごかったよ。ブラスバンドも演劇もはっきり言ってうちの高校が格上って感じだしね。自慢できるくらいうちのはすごかったもんね」
さくらはなつかしそうに話しだそうとしたが、今度は璃久がそれを遮って自分の話を続けた。
「ええ。その学園祭にしても確かに今は北女のほうがすごいのはわかるんだけど、あの頃は西女と比べられて、とにかくみじめな言われ方だったのよ。だって制服はそっくりだったし、学校名だって西と北の違いだけなのに、あっちは伝統校でしょ?」
「でもお母さん、今は西女なんてひどく荒れた高校じゃないの!うちの高校のほうが……」と、さくらは言いかけたのだが、璃久はそれには耳を貸さずにこう続けた。
「今のことはいいの。とにかく当時、西女との違いは歴然だったのよ。あの制服のことだけど、さくらちゃんが入試の年に西女は紺ブレザーとネクタイに変わったでしょ?それまではね、北女と同じに襟の部分までアイボリーの人気のセーラー服だったのよ。違いっていったらスカーフの色だけで、うぐいす色のスカーフが……」
そう言って璃久は、さくらが大好きなふっくらとした唇を一瞬引きつらせた。
そして、唇をキュッと結んだか思うと、厳しい、辛そうな表情をして、そのまま黙り込んでしまった。
普段から自分の若い頃の話をしたがらない璃久が、高校時代の話をしただけでもさくらには新鮮な驚きだったが、璃久が阿部や祖母に対してでもなく、何か他の――さくらも知らない『何か』に対して非常に厳しい感情を抱いていることが見て取れた。
そのことに、さくらはなぜかぞくぞくさせられるような、自分でも奇妙な興味を覚えた。
しかし、端正な優しい璃久の顔がいつまでも厳しい表情のまま固まっているので、さくらは心配になりすっかり動揺してしまった。
「お母さん、具合でも悪いの?疲れたんじゃないの?」さくらは璃久を驚かさないようにそっと、小さく声をかけた。
璃久はハッとして手をテーブルから離したかと思うと、無意識にしているようにさくらの手をぎゅっと掴んだ。
璃久の掴み方が素早く、とても強かったので、さくらは驚いてしまい「お母さん!何?びっくりするじゃない!」と、つい大声を出してしまったのだが、璃久はやっと我に返った様子で「ごめんごめん、ぼーっとしちゃって」と笑いながら言ってきた。
この時、さくらには璃久の声が震えているように思えたし、それにほんの少し涙ぐんでいるようにも見えた。
さくらはたまらなく心配になり、もうこれ以上璃久が『思い出したくない何か』を話さなくてすむように、わざとやけっぱちな感じでこう言った。
「はっ!ほんっと、今日はあいつの最悪な面接のせいで疲れちゃったからもう寝るよ」
すると璃久は驚き、まるで怒ったようにこう返してきた。
「どうして?まだ早いじゃないの。お母さんは疲れていないわよ、ずっと家に居たんだもの。さくらちゃんが疲れてるんなら仕方ないけど」
そして、璃久はまたすぐにさくらの体にさっと手を触れた。
まるで、さくらの体に触っていないと不安でたまらないというふうに。
さくらは一体どうしたのかと不思議に思ったが、ここで変に気を使って逆に璃久を傷つけてしまわないよう、さっきよりも更にやけっぱちな態度で、ベラベラと意地悪社長の面接話を再開した。
「つまりまあ、お母さんも私みたいに頭の中にイヤ~な記憶が甦っちゃった訳ね、ボケーっとしちゃう程に!私のほうはあの社長……ふん、思い出すと腹が立つわ。なんかじろじろじろじろ見ちゃってさ!
それにあいつ、私のデザイン画をわざと机の隅っこに置いたのよ。セーラー服が嫌いなんだってさ。
特に茶色いリボンのがイヤだとか言っちゃって!
そしたらね、もう一人の若い社員が『でもこれは、くすんだ若草色みたいなリボンですからね』って言ったの。
ふん!でもその後で二人で顔を見合わせて笑ったのよ!それであいつは『でも若草色のもあんまり好きになれないな』ですって!ペンダントのことなんか何にもきいてこないんだから」
ここまで言った時、さくらは璃久の顔がいつもの優しい表情に戻ったことに気付いたので、母を笑わせたいがためにますますのサービス精神を発揮して『意地悪社長』の髪型や話し方について滑稽に話して聞かせた。
「あいつはきっと私が気に入らなかったから意地悪したに違いないの。もしかしたら昔、セーラー服の女学生にフラれたことがあったりして!だから思い出して私に八つ当たりしたのかもよ、いい歳して情けない奴!」
さくらがこう言うと、璃久はその悪口には答えずに思い出したようにこう言った。
「ね、でももう採るつもりもない子に、わざわざいろんな作品を見せるかしら?
『デザインや作り方で質問は?』って言ってくれたのよね。いやらしい目つきのその社長だって、余計な時間を使いたくないはずよ。桜の花のペンダントは気に入らなかったかもしれないけど、他の作品は評価してもらえたのかもよ。だってさくらちゃんのパールのデザインは専門学校の先生にほめられたって言ってたじゃないの。もしかしたら、さくらちゃんの作品に対する感覚とかそういったものを知りたくて色々見せてきたって考えられないかしら?」
さくらはそんなことはありえないよ、と笑ったが璃久はこんなふうに続けた。
「私だったらいい子を採りたいわ。ちょっと怒りっぽくて意地っ張りでも人の気持ちに敏感な優しい子がいいわ。そういう子って、作品に対しても素直で誠実な見方が出来るでしょ?
きっとたくさんの作品を見せて、さくらちゃんの反応を見たのよ。社長が見せてくれた作品に対してきちんとした態度で感想を言った?」
こう言われて、さくらはしんからビクッとしてしまった。
すぐにあの時の自分の、いいかげんな受け答えが鮮明に甦ってきた。
自分が何をきかれても「綺麗ですね」とか「素敵ですね」とか適当に答えたことを、社長であるあの人はどう思ったんだろう?
わざわざたくさんの自社商品を見せながら、それぞれの説明までしてくれている人に対して、あんまりな態度で応えてしまったのではないか?
もしかしたら、辛抱強く相手の態度に我慢をしていたのは、このうぬぼれやの自分ではなくて、あの社長のほうではなかったのか?――
さくらはあの時の自分を思い出しながら、ただ自分のデザイン画が評価されなかったということだけでがっかりし、相手の態度に腹を立て、あの社長の真面目な質問に応えることも出来ず、大変な失礼を犯してしまったことに気づいた。
母はいつもこうやって大切なことを教えてくれていた。
いつも、さくらが見落としがちな隠れた視点から物事の本質を伝えてきた。
母の優しい物腰や話し方をいつも見てきたのに、なぜ自分はこんなにも短気で、考え無しで無礼な人間なのだろう?――まるであの父親のように短気な自分。
さくらは心の底から恥ずかしく思い、ただ悲しくなった。
璃久はにっこり笑いながら、さくらの沈黙からすべてを見透かしたようにこう言った。
「さくらちゃん、イヤな社長に頭にきていたからって、ちゃんと答えなかったのね。そうでしょう?」
「そうなの。思い出すのもイヤな態度をしてきちゃったわ」さくらは正直に言った。
「わかるわ、きっと辛かったのよね。でも大丈夫よ。さくらちゃんのいいところはどんな時でも絶対に相手に伝わるから。お母さんはよく知ってるもの、さくらちゃんの本当の姿をね。
だから私、今回は大丈夫だと本当に思うの。
そうそう、あのセーラー服のことね、私さっき大嫌いだったって言ったけど……さくらちゃんが北女に入りたいって言った時はもう本当にたまらなくイヤだったのよ。
でもあの時、さくらちゃんは絶対にここに入るんだって言い張ったのよ。それってきっと、私のためにそうしたんでしょう?そうだってわかってたわ。
お義母さんが――あの人が、いつも学歴のことで私を馬鹿にするのを見ていたから、そのために私と同じ高校に決めたのよね?そうでなくちゃあんなに家から遠い北女を選ぶはずないもの」
璃久はこう言ってそっと微笑んだ。
「お母さん違うよ!私はお母さんと違ってあの制服が着たかったの。それに、進学校だったからあそこにしたんだよ」
「まあいいわ、どちらでもね。でもセーラー服は、どうしたって好きになれなかったのよ。
いくらさくらちゃんが着ていてもね。イヤな……イヤな思い出があるのでね。
別にいつか話してもいいんだけど。まあ今日はそんなことはどうでもいいわ。
とにかく見るのも嫌だった制服を使ってさくらちゃんたら!あんなに素敵なデザイン画を描くんだから。私もう本当にたまらなかったわ。
でもね、あのペンダント、本当に素敵に見えたのよ。大嫌いな制服なのにすごく綺麗に見えたの。
こんなことって不思議だと思わない?だって、ただ制服にペンダントをかけただけなのよ?
それなのに、私ったらあんなにイヤだった高校の頃のことが急に頭に浮かんだの。
なぜか急に甦ってきたのよ――ちょっと素敵に思えたあの頃のことも」
璃久はこう言って、ほんのかすか、優しい唇を開いてそっと笑った。
そして、さくらの腕をぎゅっと掴んでこう言った。
「あのペンダントには力があったの。だからきっと大丈夫、社長の目が節穴でない限り絶対社員に採るわ。だから落ち込まないで、もういやらしい社長の悪口はやめましょう」
璃久の力強い言葉にさくらは笑顔を返したが、自分がみっともない姿をさらした最後の瞬間のことを璃久は知らないのだ。
不採用の通知に璃久ががっかりする姿を思いながら、さくらは今日の自分の愚かさをかみしめた。




