やって来た魔法たち(五、亡き伯母 <前半>)
電車に乗り込んだとたん、佐倉は待ちきれなくなった。
「それで、何かあったの?璃久さんのことで?それとも……何か別のこと?」
あまりにも慌てた様子の佐倉に驚いて、ひとまずさくらはなだめるようにこう言った。
「余計なことを言うつもりじゃなかったんですけど、お母さんの方から佐倉さんのことを言ってきたんです。電話で、」
「私のことを?璃久さんが?なんて言ったの?」
佐倉は恐ろしく真剣な顔で身を乗り出してきた。
さくらは身を引いて笑いながら「佐倉さんたら、ちゃんと話すから怒らないで」と言って話し出した。
「この前会社に電話をしてきたでしょう?その時に佐倉さんの声を聞いて、優しそうで綺麗な声の方だって言っただけなんですよ。でも私嬉しくって!それに意地悪社長には見えないとも言ってました」
「意地悪社長ってのはどういうことだよ、君は私のことを余程ひどく言ってたんだな、全く恐ろしいよ。それで璃久さんは私の声が綺麗だって?他には何か言ってた?」とさくらの髪を引っ張った。
「はい、私が佐倉さんのことを『まあまあかっこいいでしょう』って訊いたら、背が高くておしゃれな感じだって。サングラスなんかかけちゃって、って言って笑ってました。でも、自分が泣いてたところを後ろから全部見られてたんじゃないかって気にしてたみたいで『恥ずかしくて死にそうだった』とも言ってました」
さくらは昨日の璃久の様子を明るい感じで、そして、なるべく細かく伝えようとした。
佐倉はそれでも少し怯えた様子で不安そうにしていたのだが、途中からだんだんと快活さを取り戻してきた。
「璃久さんは『サングラスなんかかけちゃって』って笑ってたの?それで、泣いてるところを見られたからって恥ずかしいって?そうか!ふうん、それでなんだって?」
「それで、お母さんは泣いてたことを佐倉さんがなにか言ってなかったか、って訊いてきて、あとは……のこのこ会社に行ったりしてやっぱり図々しかったかなって、気にしてたんですよ。私それで、」
「まさか!そんなこと気にするわけがないだろう?さくらはちゃんと言ってくれたの?」
佐倉の声は急に大きくなった。
さくらは電車の中で大声を出されて恥ずかしくなり、掌を下に向けて広げて見せた。
「佐倉さんたら少し声を落としてください。私はちゃんと言いましたから、佐倉さんはそんなこと気にしないって。それで、もう一度佐倉さんの声のことを言ったら、ああいう声の人は意地悪なはずがないとか、そんなことまで言ったんですよ」
佐倉は「璃久さんはそんなこと言ったの」と真っ赤になってニヤついた。
ご機嫌になった佐倉は、こうも言った。
「だいたい君は私のことをどんな風に話してたんだよ。私の話をよくしてるって、どんな悪口を言ってたっての?意地悪だとかなんだかんだ、ろくな話をしてないんじゃないか!全く、両思いだってのは勘違いってわけか?」
「それは採用されるまでの話なんですよ!お母さんはいつまでもそのことを言ってきて、勝ち誇ったみたいに色々言うんだから。もうほんとに悪口なんか言ってませんよ」
「ふうん、さくらは大嘘つきだったってことだね。それで?他に何か璃久さんは気にしてたりしなかったの?」
佐倉は何かを少し期待しているかのように楽し気に訊ねてきた。
「別に、もうお母さんの方からは何も訊いてはこなかったけど」
さくらは意地悪くこう言ってから、もったいつけるようにわざとゆっくりと続けた。
「でも私が、佐倉さんが『ラムダスの魔法』を知っていて、それはターバンを巻いた魔法使いで、ベッキーのこともセーラの手紙のことも覚えてたって話したの。それで、佐倉さんはこの話が好きで、伊藤整の訳で読んだってことを言ったんです」
佐倉はびくっと跳ねたように背筋を伸ばした。そして、探るようにこう訊ねた。
「璃久さんは、それで、何と言ってた?」
「それが、ずっとニコニコしながら私の話を聞いてたんだけど、しばらくしてこう言ったんです。あの本を大好きだった人を知ってるって。自分も伊藤整の訳で読んだって。それで『あの本にはとっても素敵な思い出があってなつかしい』ってお母さんは言ったんです。それで私、」
「璃久さんがそう言ったんだね?あの本のことを素敵な思い出だって?それから、その本をどうしたって言ってた?」佐倉は嬉しい、というより慌てた様子だった。
「本を? 本のことはそれだけだけど、お母さんは『きっと社長さんは優しい人ね』って言ったんですよ。それでずっと黙り込んでいて……私、ほんとはもっと色々聞きたかったんですよ、でも佐倉さんとの約束があるからこれ以上は訊きませんでした」
「別に訊いたってよかったのにさ!璃久さんは忘れてた訳じゃなかったんだね。そりゃそうさ!だって、あの時二人で話してたことを、さくらと一緒にやってたわけだろう?つまり、ラムダスの魔法を……部屋を変えたり髪型を変えたりして、色々考え出して私とやってたみたいにしてたんじゃないか!どうしてもっと訊いてみなかったの?」
佐倉はまた呆れたようにさくらに詰め寄った。
さくらは自分も電車の中にいることを忘れてしまい、佐倉に負けないくらいの大声を出した。
「だって佐倉さんが言わないでくれって言ったんでしょう?私だって、色々聞きたかったのに。もう少し頑張れば話してくれたかも知れなかったのに!私はちゃんと約束を守ったのにそんな言い方して」
「ほら、静かにしなさい。だいたいそれだけじゃ何にもならないじゃないか。ちゃんと訊いた方がいいと思ったら、場合に応じて訊いてみればよかったじゃないか。さくらは璃久さんにビクついちゃったの?私みたいに」
佐倉は浮かれた気分が冷めたようになって意地悪く笑った。
さくらは、さっきまで真っ赤になって浮かれていたくせに急に勝手なことを言ってくる佐倉に呆れてしまい、むっとして言い返した。
「ちょっと!佐倉さんはあんまり自分勝手じゃないの?私がもし勝手に色々やったら、絶対に怒ったくせに!そんなに言うんなら自分で訊いたらいいじゃない。もう私だって佐倉さんのことをほめたり、いい人だって思わせようとしませんから!それでやればいいんだわ、きっとその方がうまくいくんだったら、そうすればいいのよ」
佐倉は笑いながら「怒りんぼうの錯乱坊」と言い、さくらはの方は「ふん」と言ってこれを無視し、ドアの小窓へ顔をそむけた。
佐倉は面白がってさくらの髪を引っ張ったり顔を覗き込んだりして笑っていたが、三鷹に着くと、まるで正解を見つけた、と言いたそうな顔つきでニヤリと笑った。
「完全な計画を立てようよ。璃久さんの気持ちをさくらが理解出来るように……それを聞いて私も、璃久さんの真実を知ることが出来るように」
「それはずるいと思うわ!」
さくらはハッとして佐倉を睨んだ。
「だって、お母さんは何も知らないんだもの。それなのに私達が勝手にそんなことをするのは、あんまりだと思うわ」
「ずるい?そりゃ、そうかもしれないけどさ、じゃあどうやれっての?いきなり璃久さんのところに行って『僕は知ってたけど、うまく君の娘をだまして味方にしようとコソコソやってたんだ』って正直に言えっての?そんなことしたら、あの人は許してくれないよ!だから慎重にやってきたんだから。君は知らないかもしれないけど、璃久さんが怒ったらすごいんだよ。きっと私を卑怯者だって言って、君に会社をやめろとか言ったりさ、二度と会わないとか、もしそんなふうに言ってきたらどうするのさ!別にあの人を傷つけようとしたり、ずる賢くだまそうとするわけじゃないだろう?ただ、どうしてこんなふうに……そうなんだよ、私達がどうしてこんなことになったかを知りたいだけなんだ。さくらは私と一緒に銀の箱を探して中に大切なものを詰めるって言ってくれたじゃないか!それをそんな、ずるいとか、今さら言うの?」
佐倉は興奮して詰め寄って来た。
「でもそれって、つまり私がお母さんに色々訊いて、それを佐倉さんに伝えるってことでしょう?それで、佐倉さんは何がどうしてこうなったか、とかを自分だけで考えるんじゃない!それって、佐倉さんだけの真実でしかないでしょう?私はそれがイヤだって言ってるだけよ。私は、二人が木の上でもう一度話してほしいって、本当にそう思っているんだから。絶対にそうなるって信じているんだから!私はいつだって佐倉さんの味方だったでしょう?佐倉さんこそ私のことをそんな、裏切り者みたいに言って、おかしいわ」
さくらも同じように興奮して佐倉に負けないくらい激しく言い返した。
佐倉は腕を組んで顎をひき、さくらをじっと見つめてきた。
さくらの方も同じようにして佐倉を見つめた。
しばらくの間、二人は改札の横で互いを睨みつけるようにして見つめ合っていたが、ついにさくらの方がたまらなくなった。
「そんなふうにして……全然怖くないわ!お母さんは昨日ちゃんと私に言ったんだから!きっと私がびっくりするだろうけど、お母さんにとって何より大切な、大事な秘密を必ず話すから、って。私ならそれを聞いてもイヤになったりしないはずだって言ったのよ!最近そのことをよく思い出すようになって、誰かに聞いて欲しくなったって、私にはっきり言ったんだから。それで、やっぱりもうちょっとだけ待って欲しい、ちゃんと考えられるまで待って、って……だからそんなふうに、佐倉さんが言ったみたいにお母さんから訊き出そうとしたり、それを佐倉さんに伝えて色々やったりしたら私だってイヤなのよ!睨みつけたって知らないわ。いくらでも睨んで構わないわ!」
佐倉はまだ腕を組んでさくらを見ていたが、しまいに口元が緩んできて、いつものように笑い出した。
「わかったよ。そんな、全然怖くないって?こっちの方が怖いよ、悪かった!ちょっと嬉しくなって言ってしまっただけなんだよ、きっとね。璃久さんはあの頃も私の声が好きだって言ってくれてたから、すごく嬉しかったんだよ。わかったから、もう君がスパイみたいな気分になるような、そんなやり方で璃久さんを探ったりしないから。私はさくらに嫌われたくないし、璃久さんにこの前みたいに冷たくされたくないからさ。とにかく悪かったから、もう怒らないで」
さくらはホッとしたのか少しため息をついた。
「もう、別にいいですけど」
こう言って少しだけ笑顔を見せると、佐倉はまた笑い出した。
「いくらでも睨んで構わないって?そんなこと言うなよ、睨んでたのは君の方じゃないか!」
「また始まったわ、そうやって馬鹿にしてればいいわ!」
からかわれて笑われたさくらはまた佐倉を睨みつけたが、それでも『二人のさくら』はいつの間にか笑い合って、まるで恋人同士のようにぴたっと隣り合って歩いて行った。
三鷹の店には何の用もなかったのだが、佐倉は新人の挨拶だと言って、店長にさくらを紹介した。
店長はさくらを見て「あなた、あの箱を見にきてくれましたね?」と言った。
さくらは店長が自分を覚えていてくれたことに驚いた。
「はい。でも二回目に来た時にもう売れてしまったんです。
店長は「ええそうなのよ。あなた、あんなに気に入っていたのにね……でもすごくいい感じの方が買っていったの。そう考えるとあきらめがつくかしら?佐倉さんのとこの社員さんだったとはね。びっくりしましたよ」とにっこりして言ってきた。
「そう。私の箱入りの……娘みたいな社員なんですよ」佐倉はそう言った。
佐倉がひとりで店内をぐるっとまわっている間、店長はさくらに色々話しかけてきて、最近入ったばかりの商品の説明をしてくれたり、似合いそうなものを、と言って首に掛けてくれたりした。
さくらは佐倉にその姿を見せたり、自分でも鏡を見たり、店の一角に置かれた初めて見るデザイナーの作品に感心したりしていたのだが、佐倉はそんなさくらの様子を見てやっとホッとしたのか、そろそろ帰ろうかと言い、二人は店長に丁寧にお礼を言ってから店を出た。
一つ下の階に降りると、エレベータホールの前に二人掛けの木の椅子が置いてあった。
佐倉はそれを指差しながら「少しだけ」と言って微笑んで、椅子に腰掛けた。
「ありがとう。君が璃久さんの話を聞かせてくれて、すごく嬉しかったよ」
佐倉は目を細め、口元を緩ませてこう言った。
さくらがにっこりと頷くと、佐倉は打ち明け話をするように少しだけさくらに身を寄せた。
「日曜の夜は辛くて……璃久さんがあんなふうに挨拶してきたもんで、ひどく落ち込んでいたからね。あの人はきっと、本当に気が付かなかっただけなんだね。私はそんなに変わってしまったのかな?あの頃はね、長髪ってわけじゃないけど、そうだな、女の子のショートカットぐらいな感じでさ、今みたいに短くなかったんだよ。璃久さんはその髪型を気に入ってくれてたから、伯母がいくら切れって言っても絶対に切らなかったんだ。あと、私の声が好きだって言って、よく本を読まされたよ。私は璃久さんに読んでほしかったのに、あの人はすぐに『喉が痛い』とかなんとか言い出して私に読めって言うんだよ。小公女もほとんど私が読んだ。トムソーヤーもジェーン・エアもね。だいたいずるいんだから、最初ちょっとだけ自分で読んで聞かせてさ、さあ交代よって本を渡してきて、そのままずっと聞いてるだけなんだ。私だって喉が痛くなったんだよ。家に帰ったら、あの伯母が新聞を読めって言うってのに!」
「ジェーン・エアもトムソーヤーの冒険も私には読んでくれましたよ。佐倉さんより優しくされてたってわけね。佐倉さんは髪が長かったの?堀田さんじゃあるまいし」
「そうだよ。璃久さんが、その髪が素敵、って言ったんだ。別に本気かどうかわからなかったけど、すぐその気になってさ、よく鏡を見てかっこつけてたから、伯母が軽蔑したみたいに色々言ってきたよ。『色気づいていやらしい』なんてさ!それで『璃久ちゃんが来るから上に行け』って私を追っ払うんだ」
佐倉は本当にいまいましそうにこう言った。
「その伯母さんは、お母さんを知ってたの?」
「ああ、璃久さんをすごく気に入っていて、まるで私が手を出したら大変だから、って感じで、とにかく会わせないようにしていたんだよ。私は大学に入ってすぐに、あの伯母の家で暮らすはめになったんだけど、もう最悪さ!五月の初めに父が亡くなったもんで、あの家でビクビクしながらやってたんだ。璃久さんに会うまでほんとに悲惨だったよ。私の母は璃久さんの……つまり君のお祖母さんと昔からの親友で、こっちに出てきてからはお互いに色々と助け合ったりしてたらしいよ。伯母の方はあんな人だったから、友達なんてほとんどいなかったけど、君のお祖母さんをとても尊敬していて、璃久さんの一家とだけ付き合いがあったんだよ」
佐倉はここまで言って立ち上がり「歩きながら話そう」と優しく言った。
しかしすぐに「やっぱりどこかに入ってきちんと話そうか」と言い出して、駅の裏道にある静かな喫茶店に入った。
二人はすぐに時間を忘れてしまいそうになるので『あと三十分だけ』と決めて話し込んだ。
佐倉は勝手に注文を済ませると、いきなりさっきの続きを話してきた。
「それで、伯母は近所でも嫌われていてさ、君のお祖母さんの他に友達なんていなかったんだよ。璃久さんのところは、伯母や私の母が、祖父母と一緒にこっちに出てきた頃に建てた古い家を借りてくれて、そこにずっといたんだよ。ミキオのお母さんや、もう一人お姉さんもいたらしいけど、もう結婚されてたから璃久さんとお祖母さんだけがあそこに住んでたんだ。お兄さんは一人暮らしで東北の方に行ってたらしいよ。私もあんまり詳しく知ってるわけじゃないからはっきりしないがね。それで……」
その時、佐倉はきっと懐かしい何かを思い出したのだろうか、まるで昨日の璃久のように、口元をきゅっと上げて、にっこりと微笑んだ。
さくらはその佐倉の表情にどきっとして、うっとりと見つめてしまった。
「それでね、璃久さんに会ったんだよ!君のお祖母さんはよく伯母のとこに……ほら、あのお団子みたいなのとかさ、おかずになりそうなものとか果物とか、色々と璃久さんに言いつけて持ってきてくれたんだ。私は一階の奥でピアノを弾いててさ、レースのカーテンのこっち側からあの人を見つけたんだ!いいにおいのする揚げ物のお団子を持ってきて『おばさん!今日もこれなんだけど』って言ったんだ。伯母は璃久さんにちょっと待って、って言って、私を上に行けって追っ払って、自分だけ璃久さんと玄関に座り込んでおしゃべりしてるんだ。一度、お茶を出そうと思って、持って行こうとしたら『いやらしい子だ』とか言ってお盆ごと取り上げて、出てくるなって怒鳴ったんだよ。そんなことがあったから、私は伯母に絶対に秘密にしようと思ったのさ」
◇◇◇◇◇
(後半につづく)
お読みくださりありがとうございます。
長くなってしまったので前後半に分けました。




