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トロさんの優しい写真 (二、アルバム)

 璃久は『そ(・)ん(・)な(・)も(・)ん(・)、のマンション』のことを軽く笑って「堀田さんに任せましょう」と言った。

 さくらもミキオもこれには驚いたが、実際そんなもんなどたいしたことではなかった。


 阿部は璃久がこれをあっさり受け入れたと聞いて、想定していなかったその反応に驚いただろうが、このことで阿部はほんの少しだって期待した満足感を得る事が出来なかった。

 堀田は「さっさと売り飛ばしましょうよ」と、後藤たちと同じような事を言って璃久とさくらを慰めたが『紙切れ一枚』の件が終わりに近づくにつれて二人とも晴れ晴れとした気持ちばかりになってきて、『そんなもん』はもうどうでもよくなっていた。


 しかし堀田は「最後の大詰めだよ」と言って璃久とさくらに少しばかり面倒な……気が重くなるようなことを言ってきた。


 堀田が言うには、『家にいる馬鹿女の荷物を阿部家に入れる為には、二人が残してきた荷物を運び出してくれないとそれが出来ないらしいので、なるべく早く荷物を運び出して、あの家からすっかり元嫁と娘の痕跡をなくして欲しい。そうしたら、そんなもんの部屋がすっかり手に入り、とうとうこの件が終わるんだよ』と、こんなことらしかった。


 璃久は苦笑いをし、さくらは「勝手に捨てればいい!」と怒っていたが、やはりきちんと片付けに行くべきだということになり、さくらが責任を持ってそれをする事になった。

 ミキオは妙に張り切って「俺も一緒に行くから」と言っていたが、佐倉がそれを止めさせた。


 佐倉は「日曜日に会社の皆で行ってこい」と言い、さくらもまたそうしてくれるならありがたかったし、もちろん皆も喜んで最後の決着に力を貸すと言ってくれた。


 咲子は「ビシッと決めた格好で行くんだよ!」と全員に命令を下し、その日彼らはまるで結婚式に行くような恐ろしい姿で阿部の家に入った。

 阿部は久しぶりに会ったさくらに対して一言も声をかけられずにいた。それは阿部の祖母も同じだった。お腹の大きい女はその日、家にいなかったが、夕方には帰るということだった。


 彼らは午前中でさっさと終わらせてアパートの方も片付けたかったので、とにかく急いで荷物を運び出した。

 荷物はせいぜい洋服と、さくらの子供の頃の思い出の品が中心だった。

 その他の物は、もう二人には必要のないものばかりだった。


 さくらは自分の部屋の壁に掛かっているミキオの描いた『白と黒の蝉』の絵を取り外して「これはミキオちゃんが六年生の時に描いてくれたんだ。お母さんがすごく気に入っていて、なにかしらのコンテストに応募してみようかしら、なんて言ってたの。私もこれがとても好きで」と懐かしそうにそうっと額縁を撫でた。

 後藤やトロさん達はこれを見て何かを思い出した様子で顔を見合わせていたが、さくらには何も言わなかった。

 片付けの途中でさくらは古いアルバムを押し入れから出してそれを開くと、祖母や父が写っている写真を乱暴に引き剥がした。そして何度も何度も、璃(・)久(・)と(・)自(・)分(・)だ(・)け(・)になったか、を確認して祖母と父の写真をゴミ箱に投げ捨てた。

 途中、後藤がそっと「さくら」と声をかけたのだが、さくらが何も答えないので皆もそのままにしておくしかなかった。


 少ない荷物を後藤の車に積み終えると、さくらは父に言った。

 「残ったものはもう必要のないものだから悪いけど処分して下さい。パソコンも机も、もういらないから……私もう行きます」

 阿部は「そうか」とだけ言って、じっとさくらを見つめていた。

 その他に何が言えるというのだろう。


 阿部の祖母は「さくら、体に気をつけるんですよ」と声をかけてきたがその表情は冷たかった。

 「はい、あなたのほうも」こう返すさくらのほうも同じようににこりともしない。


 祖母はこれを聞いて確かに辛そうであった。

 しかし、すぐに「ではさようならですね、さくら」と言って玄関から送り出した。


 さくらと他の皆が車に乗り込んだ時、トロさんが「ああっ!」と大声を出しいきなり車のドアをバンと開け、許可も得ずに玄関口に駆け込んだ。


 「さくらちゃん、ごめんよ!財布を君の部屋に忘れたんだ。取ってきてもいいかな?」


 さくらの祖母が「それなら私が取ってきますよ」と言ってくれたというのに、トロさんは恐ろしい早さで図々しく中に上がり込み「それだけ取ってきますから!僕も馬鹿だな」と言い残し、ドタバタと階段を駆け上がった。


 咲子は「馬鹿!あんなことやったら、ババアに何を言われるかわかんないだろうが!」と怒っていたがトロさんはすぐに戻ってきた。

 そして「あはは、ドジだから、ほんとにすみませんでした」と言って車に乗り込んだ。

 トロさんは汗だくだった。


 そうしてまっすぐに前を向き、さくらはこの家に別れを告げた。

 さくらは決して振り返らなかった。

 皆もしばらくじっと黙ったままで、それぞれ違う方向を見つめながらエンジンの音を聞いていた。

 やがて、川に架かった大きな橋を渡っている時に、やっとさくらの声が聞けたのだった。

 「またいつもみたいにどんよりさせたのは誰かって?私じゃん!吉祥寺についたらお詫びになんでもごちそうするね。お母さんもそうさせてほしいって言ってたんだ。みんな、ほんとうにありがとう」


 吉祥寺のアパートに着くと璃久がすぐに外に出てきた。

 璃久は何度もお礼を言って「日曜日だっていうのにこんなにお時間をいただいて、それに力を貸していただいて本当に申し訳ありません」と深々と頭を下げ、狭いですがとお茶だけすすめた後で食事に出掛ける事になった。

 後藤は、ある興味から璃久に会うのを楽しみにしていたが、咲子と顔を見合わせてうなずき合った。

 「さくらは、お母さんにそっくりなんですね」と後藤は言った。


 璃久は「そうですか?それは嬉しいわ、自分ではよくわからないでしょう?ミキオちゃんは『赤の他人』なんて言うんだもの。そこまで似てないとは思えないけど……」と言ってから、ふと思い出したようにこう付け加えた。

 「私は香月ちゃんにも似ているって言われるんですよ。みなさんには、あの子も本当に良くしていただいて、ありがとうございます」


 後藤はこれにはびくっとさせられた。

 「ええ、香月ちゃんにも本当に似てますよ。違うのはミキオだけ、って感じですね」

 後藤は、璃久が何か話すたびに佐倉を思い出し、ドキドキさせられてしまった。

 それに、ついじろじろと璃久を見てしまい、何度も咲子に背中をつねられた。


 咲子のおかげで璃久が何かに気付くようなことにはならなかったが、後藤と咲子は自分達の突き止めた真実の重さにぞっとして、何度も目を合わせてはため息をついた。


 食事の後、璃久は「もう片付けの方は大丈夫ですから、みなさんは気になさらないで」と言ったのだが、咲子がうるさくせっついて全員を片付けに参加させ、あっという間にそれを終わらせてしまった。


 璃久は咲子を見て『書類隠し事件』を思い出し、くすっと笑った。


 後藤は「まるでさくらのように笑いましたね。一体何を思い出したんです?」と聞いてみた。

 璃久は「実は……」と言って一人でけらけら笑い出した。

 本当に楽しそうに笑ったのを見て皆は驚いてしまった。


 後藤はミキオの言う通りに璃久がとても綺麗なのでうっとりそれを見ていたし、トロさんもそれは同じだった。

 しかし、咲子だけは不安そうにおずおずとこんな事をたずねた。

 「もしかして……私のことで、さくらから何か聞いたとか?弁当を買いに行かせたり、ちょろちょろするんじゃないよ、って怒鳴ったことをあんたが言いつけたんでしょ?」


 それを聞いて、璃久はまたけらけらと笑ってこう言った。

 「違うのよ、社長さんの書類を隠したり万年筆も隠したって……実に爽快だわ!私もそういうのやってみたいわ!」

 さくらは「お母さん何を言い出すのよ恥ずかしいじゃない」と怒ったが、他の皆は一緒になって笑い出した。

 トロさんが「万年筆だけじゃないんですよ、時計も計算機もやったんです」と言って吹き出すと、璃久は「なんて素敵なの!」と言って手を叩いた。

 咲子は少しホッとして「まあちょっと、お灸をすえただけなんですよ。佐倉さんはわけがわからないんだから」と言ったが、それを聞くと、また璃久は笑い出した。

 「まあ、どんなふうに?さくらちゃんは大好きでしょう?いつも社長さんの話ばっかりして、まるで恋してるみたいに」


 後藤や咲子はこれを聞いて飛び上がりそうになった。

 しかし、二人とも佐倉の為にそれをこらえ、必死になってこの場では笑顔を絶やさなかった。


 さくらは「もう変なことを言わないでよ!」と怒って璃久をつっついたので、後藤がまた「錯乱坊の怒りん坊やが出たか」と言ってさくらをからかった。

 璃久はそういう彼らの姿を見て「あなたは幸せね。本当に会社に入れてよかったわね。あんなに入りたがっていたんだし、こんなにしていただいて、私嬉しいわ」と言って、皆にもう一度心からのお礼の気持ちを伝えたのだった。

 夕方になって後藤たちは帰っていったが、何もなかったかのようにすっきり片付いた部屋の中を見て、璃久は「ありがたかったわ。優しい子ね、咲子さんは。もちろんみなさんもそうよ。私達は今日、もう何もしなくていいんだもの……二人でやるのは確かに辛かったかもしれないわね」と言い、さくらに微笑んだ。

 そして璃久にはさくらの小さな、とても静かな声が聞こえた。

 「お母さん、もう終わったんだね」


 お読みくださりありがとうございます。

 なんとか出来上がったので木曜日ではないですが投稿いたしました。

 これと一緒に(三、家族の写真)も投稿しますので。もしよろしかったらそちらもどうぞ。

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