目撃者ミキオ (一、カラーチャート)
この日、佐倉はさくらをせかしてきっちり定時で帰らせた。
そして今度は、ミキオに向かって真正面から鍵を投げた。
ミキオの扉はさくらのそれより頑丈だったが、ひとたびネジを揺さぶれば、観念して潔く内鍵を開けてくれる、そんな扉だった。
佐倉はミキオに「今日はお前に大事な話があるんだが、仕事の後で付き合ってくれ」と言い、ミキオはミキオで佐倉にお礼が言いたかったので、二人はお酒を飲みながら久しぶりに向き合うことになった。
佐倉は今日の昼食時に咲子から昨夕の話の内容を聞いたことを、ミキオに打ち明けた。
ミキオは「まああの子はおしゃべりだから、そんなことだろうと思ってました」と笑っていたが、佐倉は正直に白状した。
「そうだよ、私だって知ってたよ。彼女なら私に話してくるって分かってたんだ。弁護士の件ではまあよかったよ、お前もそう思ってくれてるならいいが」
「ええ!お礼をいいますよ、やっぱりそうすべきだったんです。昨日の夜も弁護士のことじゃさんざんみんなから言われたんですよ。まあ俺たちにゃ出来る事が限られてるし、あいつらをこのまんまのさばらせておきたくないですから」
「私はね、お前にききたい事があるんだよ。咲子くんも気にしていたが、お前は何を知ってるんだ?さくらくんの前では言えないような……何か辛い、酷い、そんな何かを知ってしまった為に、お前はどうしたらいいか分からないでいるんじゃないか?」
「ええ、その通りですよ。俺はイヤなものを見たんです。あのサクランボにゃ絶対に知られたくないんですよ。おばさんだって俺以外には決して……きっと誰にも言えないでいるはずなんですから」
ミキオはこの話になると、すぐに口調を激しくした。
「そうか、分かったよ。はっきり言うが、私はあの子がとても好きなんだ。彼女とは最初から色々あったが、そうなったのには私にも秘密があってね、どうしてもあんなふうにやってしまった事情……理由のようなものがあったんだ。このことは、あの朝の一件にも関係があって、彼女にはほんの少しだけ話したよ。もちろん私にも思い出すのも辛い事だってあるわけだから、全て正直に言った訳じゃないんだがね」
「俺には見当もつかないけど?何の話をしてんだか全くわかりませんよ。あの子に何か佐倉さんの秘密に関係したものがあって、そのために佐倉さんとあの子の間に起きた、今までの色々なトラブル……やりとりみたいなのに繋がった、ってこと言ってるんですか?」
「その通り!だが悪いが私もまだ癒せない傷を持っていて、今はお前に全てを言いたくはないんだよ。だから打ち明け話の交換会にゃならないんだ。だいたい自分が打ち明けたからってさ、相手にも打ち明けてもらえるってなもんじゃないし、そんなことは分かっているんだよ。ただ今日は、お前のほうがもし……私に話せるんだったら聞かせて欲しいってことで誘ったんだ。お前の秘密が今回の『手続き』であるとか、『復讐』なんかに役立つんだったらお前だけのものにして欲しくないんだよ。私に話すのが無理であれば、さくらくんに知られないように弁護士と相談してはっきりさせたほうがいいんだ。部外者にここまで言われて不快だろうが、私には言わずにいられない事情があるんだよ」
「そうですか。俺はどうしてあんなにまで言ってくれたのか不思議でしたけど……その理由を今は言いたくないってことですね?俺はそれを卑怯な事とは思いませんよ。佐倉さんは俺の秘密を知ろうとしてるのに、自分のを言わないってことを最初に言ってくれたんですから」
「そうか。とにかく私はほんのわずかな間に恐ろしい事を発見してさ、ついでにぞくっとするような幸せな瞬間も経験したんだよ。だから全て、慎重に行動して失敗しないようにしたいだけなんだ。卑怯かどうかは分からんが……許される事かどうかも私には分からないんだ。でもどうしようもないんだよ。とにかくさっき話した通り、私はさくらくんの力になりたいんだ。彼女は素晴らしい子だし、お前と同じように、きっと彼女を好きなんだから」
「まあ見てりゃそれはわかりますよ、あのサクランボもあなたを大好きなんだから。いつもあんなふうにカーッとなって、おばさんは手を焼いてたんですよ。おばさんは俺の家にあの子の笑い話をしに来てたようなもんなんですよ。ピアノの話は聞きましたか?」
「ああ聞いたよ。なんともまあ、いじらしい話だね。あんなに母親を思ってさ!」
「そりゃおばさんは素敵だから……なぁんて、身内をこんなふうに言うのはみっともないですけど、俺は大好きなんですよ。年の離れた姉弟みたいな感じなのかな、何かと気にかけてくれて。俺が大学を受験しないでぷらぷらしてた時も、母親や姉に何を言われてもやる気が起きなかったのが、璃久おばさんの話を聞いてすっかりその気になったんだから。おばさんをがっかりさせたくなくて受験したようなもんなんですよ。世話になったのに俺の方は何にもしてやれなかったし、それはいつも気持ちの中にありましたよ。もう少し自分に何か出来てたら、って……もっと俺が早くに行動してたら、ってことを考えると自己嫌悪ですよ。結局は目をそらして見殺しにしたのと同じじゃないですか?今さら何したって変わる訳じゃないけど、サクランボと一緒にもうすっかり幸せになって欲しいだけなんですよ」
「お前はさ、どうしたらその人を……おばさんを幸せにしてあげられると思うの?大の仲良しだったんだろう?おばさんはどんな夢や憧れを持っていたかをお前には話さなかった?好きな事とか将来の夢とか、仕事とかもそうだろう?」
「ええ、おばさんは夢みたいな事をいつも言ってました。子供みたいなところがあって、妖精の話なんかしたりしてね。サクランボが言ったそうなんですよ。――『自分はまだ青い妖精だけど、大きくなったら水色にかわるんだ』って」
「青から水色に?姿を変えるの?」
「そう。妖精の国では子供はまだ、濃い、いやらしい青い色をしているそうなんですよ。サクランボによると、いいことをしたり素敵な経験をしてやっとこさっとこ頑張った真の妖精だけが、美しい水色に変われるらしいんですよ。笑っちゃうでしょ?」
「へえ!あの子がそんな事を言ってたの?明日は根掘り葉掘り聞き出して困らせてやろうかな」
佐倉はクスクス笑ってこう言った。
「ちょっとやめて下さいよ!これは秘密なんですよ、おばさんと俺のね。サクランボをあんまりからかうとすごいですよ。恐ろしくカーッとして泣いたりわめいたりすごいらしいから。会社でそんなふうにやられたら俺だって恥ずかしいですからね」
ミキオは本気だった。
「わかったよ、まあ何となくその姿は想像がつくよ。で、その妖精の話をミキオだけがおばさんから聞いたって訳だ」
佐倉は興味津々という感じで訊ねた。
「まあ下らない話だって言っちゃあそれまでだけど、おばさんと話してると本当の事のような気がしてくるんですよ。だからね、自分は今どのくらいの色なんだろうって考えたりしましたよ。カラーチャートの青を見て、サクランボの言ってた濃くていやらしい青からどのくらい進んで来たんだろうってね。素敵な楽しい経験を、って考えるとちょっと切なくなりますね。男なんてそんな事言ったら、そうそう『素敵な』なんてないでしょうが!いつまでも水色になれなくて、いやらしい色のままなんだって思ったら、適当にやってたって同じでしょ?そんな風に思えたりしてさ!」
ミキオはいまいましそうな表情をして急に強い口調でこう言った。
「ふうん、お前はまだ途中な訳か。それで?じゃあそのおばさんは、自分は何色まで来てたって言ってたの?」
佐倉はズバリとこれを訊いた。
ミキオにはきっとこの無礼を許し、耳を傾け、真正面から受け止められるだけの度量があった。
佐倉もそれを知っていた。
「あなたははっきり言いますね。でも俺がイヤな秘密を持ってるのを知ってるくせに、口に出来る言葉じゃないですよ、普通は!まあそんなことを言えるのは佐倉さんの他にはあまりいませんよ。
はっきり言って、俺くらい厚かましくないとね!聞きたいですか?いいですよ、おばさんはこう言ってましたよ――『追放された』って。国から出されたそうですよ。王様に軽蔑されて、女王は見向きもしてくれなかったって!それで悲しくなって諦めたそうですよ、いろんな事を。
もう出掛けて行って探してみる事もやめたんだって!
サクランボの側にいたいが為に何とか頑張って、近くに小さな小屋を建てて、そこに必死にしがみついて!他の綺麗な色に変わっていった昔の知り合いの妖精が、側を通り過ぎるたびに小屋の中に隠れてさ!
でも、時々そいつらに見つかって笑われたそうなんですよ。
『汚らわしい、人間の女め!』って!そう言って、俺の前で声もたてずに泣くんです。俺だけが知ってる秘密なんです。
だから俺はおばさんが追放されたんだったら、一緒にそんなところから出たんですよ。だってさ、えらそうに、何をやった訳でもないくせに!苦しんだり傷ついたりしないで、ただ楽しく勝手にやってきただけのくせに、調子良く色を変えて羽をつけたやつらなんてさ!何の魅力もないし光だって何も感じないんだ!
そこにいるからってすごい事でもなんでもないんだよ!追放されて人間になったって、おばさんに曇りなんてないんだよ、あの人は綺麗なままなんだ」
こう言ってミキオは声もたてず、ただ頬に涙だけを流した。
佐倉は声を出して泣いた訳ではなかったが、自分でもどうしようもなくなって、肩を震わせて顔を両手で覆い隠した。
佐倉はしばらく何も言わなかったし、ミキオも横を向いて煙草をふかしているだけだった。
佐倉とミキオの関係には、日頃から時間の概念が存在していなかったので、それぞれが好き勝手にやって恐ろしく長い間、重い沈黙が続いていた。
二人ともそれを苦痛と感じてはいなかったが、とうとうミキオがもうこの話は終わりだとばかりに幕引きを図った。
「もうこうやってみんな言っちゃったようなもんですよ。佐倉さんが知りたがってる俺の秘密なんて、表面的なことを言葉にするんなら……まあなんて言うか、不気味ないやらしい、暴力的で最低な、胸が悪くなる、そんなものなんですよ。
今まで俺は、おばさんとそれを繋げて考える事が耐えられなかったんです。
でも今、サクランボの青色妖精の話をしてたら、それはおばさんにとっても同じで、もしかしたらおばさんにとっても『不気味』な方は表面的なものにすぎなくて……もし『真の苦しみ』が他にあるとしたらですけど、つまりもっとおばさんらしい美しい苦しみや悲しみがあったのかな、って思いましたよ。
おばさんはね、あの家にズタズタに傷つけられる前は……これを言っちゃあそれこそ本当の馬鹿かもしれないけど、きっと王女さまみたいな気持ちでいたに違いないんだ。
俺はあのネックレスをおばさんの為に作ったんです。入賞したら最高のパールを最高の職人に作らせてプレゼントしようと思ってたんですよ。そう出来たら何かが始まるような気がしたんです。おばさんにも俺にも!でもダメでした。だからあれについてあれこれ言われるのは耐えられなかったんですよ」
佐倉はこれを聞いてゴクリと息を呑みミキオをじっと見つめた。
「そうか、私は恐ろしくなったよ。きっと何かが姿を変えて我々に伝えようとしているんだ。どうしてなのかわからんがね!それなら私は汚らわしい人間を生きてきて、歳をとるごとにまあ行動力はついてきたんだから、君の素敵なおばさんのかわりに『出掛けて行って探す』ってことを堂々とやってみるよ。
だってこれは私自身のことなんだから別にやったっていいだろう?
いいか、そのことで今後お前にどうこう言って欲しくないから今ここで言っておくよ。私はそれをするよ。別に了承して欲しくなんかないね、ただ言っておくだけさ!」
佐倉はそのままミキオを睨みつけるように顔をしかめた。
「全く……佐倉さんの真似ですよ?『全く信じられない』ほどに訳が分かりませんよ。別に勝手にすりゃいいでしょうが!
ただサクランボに何かを思い出して八つ当たりするのだけはやめて下さいよ。関係ない子をいじめないでくれれば俺はなんにも言いませんよ。
一体なんなんですか?歳をとるごとに訳が分からなくなって、佐倉さんも大変ですね」
ミキオは佐倉のようにせせら笑ってこう言った。
「ふん、そりゃありがとうよ。君たちのサクランボをいじめたりするもんか!約束するよ、そのことはね。さあこれからどうするか?今日は香月ちゃんはどこにいるの?」
「あいつは週末はそのままばあちゃんとこに行ってんですよ。だから今日は何時でも平気ですよ。寂しい中年の佐倉さんにどこまでもつき合ってあげますよ」
「そう、それはどうも。じゃあ私の家でやり直すことにしよう。そうと決まったらさっさと行こう」
佐倉は絶対そうするんだとばかりにせっかちにこう言い、さっと立ち上がった。
ミキオは「あのなんにも無いがらんとした部屋で飲むのはキツい」と言って笑ったが、佐倉は「いやな事やいやなものはうちに置いていっていいぞ。一人には広いから」とミキオに言った。
これは佐倉の、最後の、最高の『ひと押し』であった。
ミキオはそれを理解し受け入れようと思っていた。ミキオはごちゃごちゃ何も言わなかったが一言だけ言った。
「佐倉さん、胸が悪くなっても俺は知りませんから」
お読みくださりありがとうございます。
次回は『目撃者ミキオ (二、白と黒の蝉)』という話です。
こちらを明日、同じ時間に投稿いたしますので、続きが気になりましたら読んでいただけたら嬉しいです。
通常は週半ば(基本木曜日)に投稿予定ですが、早く仕上がれば早めに投稿しますのでよろしくお願いいたします。




