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佐倉さんの世界(四、復讐)

 二人が会社に戻った時、時計は四時をとうに回っていた。

 途中にまた連絡を入れたので、残された者達に午前中のような気がかりが続いていた訳ではなかったが、若い四人はイライラと落ち着かないまま過ごしていた。


 残された四人は『あのまま二人だけで行かせてしまって、これ以上悪くなったりしないだろうか?』と心配でたまらなかった。


 後藤は、もともと自分がさくらに色の説明をするように言ったことが発端であるし、佐倉の事情を責任を持って伝えなかった自分を責めていた。

 そしてあの時、佐倉に投げつけた酷い言葉を一つ一つ思い出してますます辛くなり、いつものミキオに負けないくらいどんよりと黙り込んで仕事をしていた。


 ミキオもそれは同じで佐倉の苦しみを知っていたにも関わらず、だらだらとして対応しなかった自分が許せなかったし、自分はさくらの従兄である以上、今日まで何もしなかった事に関して他の皆より責任が重いのだと、そう思って今後の対応や何やらをミキオなりに考える事でいっぱいいっぱいだった。


 トロさんは兄のような気持で接していたさくらが怒鳴られて震え、泣いている後ろ姿を思ってせつなくなり、また、自分の尊敬し敬愛する佐倉の気持ちを思うと、また同じように苦しくてたまらなかった。


 咲子は咲子で言いだしっぺの自分が最も重い責任を負うべきだと感じていたし、何も出来なかったこととやろうとしなかったことの全てがいまいましかった。


 二人は戻るとすぐに作業室に入り、一緒になって謝った。

 特に佐倉が「自分が馬鹿な、恥知らずなことをしたんだ」と言って頭を下げてきたので、詫びられた四人はもういたたまれない気持ちだった。

 後藤は自分のカッとした発言を詫びるのに精一杯だったが、佐倉は「お互いさまだ。私のようなマネをやってくれたからかえって気が楽になった」と言い、それを聞いたミキオもトロさんも同じような事を言い、咲子は泣き出して佐倉の腕に抱きついた。

 咲子は、自分はわかっていたのに何もしなかった、悪いのは全部私なんだと言って二人の『さくら』に謝り続けた。


 二人は困ってしまったが、互いに黙り込んだり話しかけたりしているうちに全員が以前より確かに理解し合えたのだった。


 途中電話が鳴ったので後藤が出ると璃久からの電話だった。

 璃久は仕事帰りで『今日これから姉と一緒に母と会うことになり、事情によっては泊まる事になるかもしれない』と言ってきた。そのため、さくらがアパートに一人だけになってしまうので、出来ればミキオのところに泊めてもらうように、と言ってミキオにも電話をかわらせた。

 ミキオは「大丈夫だよ、心配いらないよ」と、嘘みたいに優しい声で言って、それを聞いていた全員を驚かせた。

 さくらもまた璃久に、心配しないようにゆっくりしてくるようにと言って電話を切った。


 この不意打ちのような電話は涙に濡れた彼らの気持ちをさっと、別の心配に向けさせた。

 彼らがまた自分を気遣っているのに気が付くと、さくらは自分から言った。

 「多分、おばさん達やおばあちゃんと話す気になったのよ。そろそろ手続きとかをちゃんとしなくちゃいけないし、生活のめども立ったんだから」


 「そうか、おばさんはやっとそんな気にまでなったんだ。まあどっちにしてもよかったよ、早くさっさとした方がいいんだから。そうだろうが!」


 ミキオはまた激しい顔つきをさくらに見せつけてきた。

 しかし、急に「あっ!」と叫んだかと思うと、いかにも困ったという様子で面倒くさそうにぼっそりとこう言った。

 「忘れてたんだけど、今日からあのガキがばあちゃんとこ行ってんだよ。だから璃久おばさんはこれからあのガキに会うんだけど……いくらなんでも、いとこの嬢ちゃんと二人じゃ困るからさ、誰でもいいから泊まりに来てくれよ」

 当然のように「私が行く!」と咲子が手をあげると、ミキオは「じゃあ頼むよ」とだけ言ってすぐにまた仕事に戻ったが、しばらくしてトロさんや後藤までもが自分達も行くと言い出したのでミキオは「じゃあゆっくりピザでも取って食べてから帰るか」と言ってご機嫌になった。


 しかし、ほんの五分もたたないうちにまたハッとして急にどこかに電話を掛けだした。

 相手はミキオとさくらの祖母だった。

 部屋にいる皆はミキオがこう話すのを聞いた。

 『香月が今日そっちにいることを璃久おばさんはまだ知らないから、あとで会ってびっくりするだろう?いとこの嬢ちゃんが俺のところに泊まる事になったけど、会社の女の子やみんなも来てくれるから安心しろっておばさんに伝えて』


 これにはさくら以外の全員がびっくりして大げさに顔を見合った。

 そして、佐倉があきれたようにこう言った。

 「お前はどうしたんだ?そんなことを気遣えるとは全く信じられないね!」


 「別に気遣った訳じゃないですよ。そんなびっくりして、佐倉さんも変ですよ」

 とミキオは気にもしていない様子だった。


 咲子は佐倉の側にささっと寄っていった。

 「佐倉さん、ミキオはやっぱり変よ。この間から妙な感じだし、さくらのお母さんのことをすっごく気にしてるでしょ?一体どうしたってのか……だいたい『香月』ってちゃんと呼んでたよ。絶対おかしい。何か重大な秘密を知ってるのかも!」


 「へえ、わくわくするじゃないか。君にかかったらどんな秘密も暴き出されてしまうかもな」

 佐倉はさらっと、そしていかにもさりげない風でこう続けた。

 「何か心配なことがあるんじゃないか?ミキオがあんな様子だと私も気になるな。まあ、元気そうだから大丈夫だとは思うが……」

 こう言われた咲子は、じっと何かを考えこんでいる様子だった。

 佐倉はそれを見て口元を緩ませた。


 さくらは大部屋で昼間に出来なかった作業に取りかかった。

 途中から佐倉と後藤もやって来て、最初は気まずくやっていたが、それでも話したり笑ったりしているうちにだんだんといつもの調子に戻っていった。

 後藤は、佐倉とさくらの間がしっくりいっているのが不思議だった。

 時々顔を見合わせて楽しそうに笑ったり、昼間に二人で入ったレストランや公園の話までしているのを見ると、今日のことは一体何が何だったのか全く分からなくなった。

 さくらがからかわれて顔を赤らめたり、佐倉もまた同じように何かを言われて困っている姿が微笑ましくて、まるで家族や親しい身内を描いた心地よい絵を見ているような気持ちにさせられた。

 後藤は二人を眺めて思わずこう言ってしまった。

 「俺は不思議ですよ。何度もあんなふうになったのに、どうしてこうなるんだ?まるで親子みたいに見えますよ。喧嘩して、誤解だって気付いて、仲直りして……なかなか他人だとそうはいかないでしょう?喧嘩したらそれっきりだったり。でも二人とも、もう心配させないで下さいよ」


 これを聞いて佐倉はあのぞくぞくっとした瞬間を思い出した。そして、さくらもまたあの時の気持ちがよみがえった。

 「そうだったらほんとに良かったわ。こちらの男性がもしお父さんなら、もっといい子になったかも」とさくらは微笑んだ。

 「それなら襲われるのを待つような娘にはしないからな、私はかなり厳しいんだぞ」

 それを聞いてさくらはけらけらと笑ったし、佐倉もまた吹き出して一緒になって笑い出したので、後藤はますますわからないよ、と言ってため息をついたりした。


 七時半を過ぎた頃、佐倉は「ピザを取るんならこれを使ってくれ」と言いテーブルにお金を置いた。   

 今日は色々すまなかったねと微笑むとそのまま部屋を出て行った。


 若い五人はテーブルを囲み仕事以外の色々な話をした。特に咲子はミキオの豹変ぶりが気になり、それこそあらゆる角度から責め立てた。

 「あんたはさくらのお母さんとピアノの連弾する程仲が良かったんでしょ?そんな時からお母さんは様子が変だったり、辛そうだったりしてたの?」


 「おばさんは余計なことは一切言わない人なんだ。でも俺は、おばさんが幸せなはずがないって知ってたんだ。つまり……カンみたいなもんでね。ただ君の事だけを思って暮らしてたはずだよ。それだけはいくら俺が馬鹿っタレでもよくわかったよ。さくらちゃん、さくらちゃん、って言ってさ、笑える話をたくさん聞いたよ。だからすごく楽しそうにしてたけど、でも俺はそれだけじゃないって事を、助けて欲しいってことをさ、知ってても何もしなかったんだよ!出来るはずもなかったけど……それでももう少し賢かったら何かやってやれたはずなんだよ。今さら言っても遅いけど、とにかくもう、これで良かったんだ」


 ミキオのこの言葉をさくらはただ黙って聞いていた。

 咲子の睨んだ通り、確かにミキオは何かを知っている様子だった。

 しかしきっと、さくらのことを思って、そのために何も言わないことを決心しているようだった。

 咲子はそれでも容赦なく訊いた。


 「そう言えばさ、さくらはピアノのことでミキオにいろいろ言ってたけど、何であんなに気にしてたの?しつこくきいて悪いけど、長いこと練習もしないでいたって、どうしてそんな事をしたの?」


 「咲子はほんとにちょっと聞きたがりだぞ。別にいいじゃないか、さくらにだってお転婆な時期があったんだよ。まあ今もそうかもしれないけどな」


 後藤がかばうようにこう言ったが咲子はまだ続けた。


 「そうよ、聞きたいの。だって気になるよ、あんな心配そうな顔を見せられたらさ。お母さんとミキオがあんたのピアノが下手だって話してただけならただの笑い話でしょ?そんなことじゃなくって何かあんたとお母さんの間で心配事でもあったのかと思って。さくら、話したくないならいいの、ただ私は喜んで聞くよ、だってずっと気になってしょうがなかったんだから」


 さくらは咲子が自分を心から気に掛けてくれているということもわかっていたし、さっきの佐倉を気遣う様子を見て、咲子の優しい気持ちも充分に理解していた。

 今ここで情けないピアノの話をするのもどうかと思ったのだが、あまりに深刻な顔で問われ、じっと見つめてくるのでついに観念した。


 「わかったわ。咲ちゃんにもみんなにもきっと呆れられるでしょうけど……」

 さくらはこう言ってから、自分がピアノを無理矢理習わされた頃から、それが璃久のおかげで楽しくなってきた事、そして自分の愚かな行為のせいで、璃久からピアノを弾く時間を奪ってしまった事を淡々と説明し打ち明けた。

 「お母さんからもうピアノの予習は出来ないって言われて、私もう嫌われたんじゃないかって、私のことはもう呆れて諦めたんじゃないかって、そう思ったのよ。私、あいつらに言ってやりたかっただけなの。ただ見せつけてやりたかったのよ。でも何にもならなくって、結局は私とお母さんの大切な時間までなくなっちゃったのよ」

 さくらは泣きたくても泣けなかったが、そのままこう続けた。

 「だからミキオちゃんのところで弾いてたって聞いて、私、救われたわ。きっと大事にしてたのね、その時間を。お母さんは昔っからミキオちゃんがお気に入りだったもの。咲ちゃんは笑うんでしょうけど、でもいつも気に掛けてたわ、気に入った本とかをミキオちゃんにってよく送ってたのよ」


 咲子は珍しく黙ったままで辛抱強く聞いていたが、ついにイライラとして口を出した。

 「あんたのことをお母さんが呆れたり嫌ったりするわけないでしょうが!ミキオのいとこだけあって馬鹿ね。お母さんはみじめな気持ちになったり、もう自分を不要の人間と感じて予習をしなくなったんじゃないよ。きっと一人で頑張って欲しかったんだよ。だってさ、中学生になってまで母親の世話になんてならないよ普通は。それにあんたはもう、そんな駄々をこねるみたいにして練習しないなんて、そっちのほうが問題だよ。とにかくあんたはもう馬鹿な事を考えないの。きっとお母さんはね、あんたの気持ちが嬉しかったはずだから」


 「ずっと気にしてたのか?大丈夫、ちゃんと分かってるのさ。きっとからかうみたいな気持ちで見てたんだよ。可愛いと思ってさ、そうだろう?」後藤はミキオにこう訊いた。


 「全く驚きだね!おばさんに言ってやりたいよ。あんたは相変わらず甘えんぼちゃんなんだよな。おばさんはそんなことで挫かれたり卑屈になったりしないから。あんたのことばかり楽しそうに話してさ、俺と連弾してても笑ってばかりで弾き間違えるんだ。『あの子はここでいつも間違えて怒り出すの』とか言って」


 「ほら、わかったろ?自立して欲しかったんだよ、可愛いさくらちゃんにさ。きっとお母さんは、さくらとのいい思い出にしてるんだよ」


 「なんか馬鹿をさらして……私どうすればいいの?佐倉さんじゃないけど『全く冗談じゃない、信じられない』って感じよ。でも私にとっては深刻な大問題だったの。お母さんに楽しい時間を少しでも持って欲しかったから」


 これを聞くとミキオはイライラと舌打ちをして「ああ、もうあいつらには何もさせない。今度こそ本当のおばさんが始まるんだよ」と冷たく言い放った。

 咲子はこの後もミキオをせっついて色々聞き出そうとしたが、ミキオはまるで璃久のように『余計なこと』は決して言わなかった。

 ただ、さくらに向かって何度も「あんただけが救いだったんだ」と話して聞かせた。

 

 会社を出てミキオの家に着くと、彼らの話題は『佐倉とさくら』の話に集中した。

 さくらは『今日一体どこで、何を話して、どうしていたのか』について、しつこく咲子に責められて逃げ出したくなったが、佐倉がみんなをどんなに好きか、信頼しているか、ということを話していたとだけ言ってやり過ごした。これは本当のことだし誇張でもなんでもなかった。

 しかし、佐倉が聞かせてくれた秘密の女性の話については口が裂けても言わなかった。


     ◇◇◇◇◇


 次の朝、五人一緒に出勤した彼らは『昨日の続き』をやっているようで、わいわい盛り上がって仕事中も集中を欠いたため、佐倉は何度も怒ったり注意したりで、かなりイライラしている様子だった。

 昼近くなると「こんなうるさい連中から逃げ出したい」と言って一人で昼食に出掛けようとした時に、咲子が「ご機嫌とりに一緒に行く」と言って無理矢理について行った。


 佐倉はまんざらでもない様子で咲子を連れて行き、かなりゆっくりしてから戻った。

 その後、佐倉はしばらく部屋に閉じこもって書類仕事をしていたが、三時前になるとテーブルの方へやって来てコーヒーを飲みながら考え事をしているようだった。長い間、口も聞かずむっつりしたままなので近くの席のさくらは心配になった。


 「佐倉さん、頭が痛いとか、どこか具合でも悪いんですか?」

 「いや、平気なんだ。ちょっと疲れたんだよ」と言って、そろそろ休むようにとさくらの分のコーヒーを淹れてくれた。

 さくらは様子が気になったが考え事の邪魔をするのもどうかと思い、チョコレートや飴をすすめるにとどめ自分からは話しかけななった。

 しかし、他の皆が作業部屋から出て来ると、佐倉は急に明るくなりにこにこしながら「昨日は夜遅くまでしゃべりまくったって?咲子くんから聞いたよ」と言って、眠くても仕事は集中しろよと釘を刺したり、くだらないどうでもいい話ばかりを持ち出して楽し気にしているので、さくらは訳が分からなくなっていた。

 心配そうに自分を見つめるさくらに気が付くと、佐倉はいかにも急に思い出したように「そういえば」と言ってから「さくらくん、昨日の夕方お母さんから電話があったようだが……そのことは大丈夫なのか?もし気になるなら今日は定時で帰りなさい。君だって心配なんじゃないの?」と、言ってきた。


 不意を突かれて訊ねられるとつい口から本音が出てしまうことがある。

 さくらはうっかり、ここで面倒を呼びそうなワードを口にしてしまった。

 「いえ、もう大丈夫なんです。ただはっきりとけじめをつけられればそれでいいんです」


 佐倉は早口で「けじめ?」ときき返した。


 「はい。もう私達はどうこうするつもりもないし、あの家に戻るつもりもないんです。だから……完全にさよならしたいだけなんですよ。手続き上でそれをすれば落ち着くっていうだけなんです。母はそれを話しに行っただけたと思います」


 「そうさ!もうかかわり合いになるこたないんだよ。今さら関係ないんだ」

 ミキオもやけっぱちな様子だった。


 それを聞いて後藤はしばらく心配そうに首をかしげていたが、ついに遠慮がちにこう切り出した。

 「さくらの家のことに口出しするようでなんだけど……その、昨日も話したけど、弁護士とかそういう人に相談する気は本当にないの?だいたい吉祥寺に出て来てから少しは連絡をとったり、まあなんていうか、金銭的に援助してきたりとか、そういうことはなかったのか?」


 「援助なんて!私欲しくないもの。あっちだってそんな気はさらさら無いでしょうよ。くれるったっていらないわ!私達がやってこれたのは役所のみんなの親切と、ちょっとばかりの貯金のおかげなの。助けてもらうつもりなんて、こっちだってさらさら無かったし、これからだって同じなの。だから弁護士なんていらないんです」

 さくらは、さくららしく興奮してこう言ってしまった。


 それでも後藤はずっと気になっていたらしく、辛抱強くこう続けた。

 「気持ちはわかるけど……俺は詳しい事情を知らないから、何ともはっきり言えないけど、手続き上の関係でもお母さんの気持ちを考えた上でもさ、公正な第三者を挟んで話し合ったほうがいいと思うよ。だいたいおかしいじゃないか、さくらがいくら拒絶したって気にしてくるのが普通じゃないか。そういう相手ならなおさら、ちゃんとした人をいれた方がいい。あんまり意地になっちゃダメだ」


 「いいえ、別にもういいの。完全に楽しくやってるのに、またイヤな事を思い出したりしたくないんだもの」さくらは面倒くさそうに言い返す。


 こうなると、待っていましたとばかりに口の達者な咲子がしゃしゃり出てきた。

 「後藤さんの言う通りだと思うよ。きっとあんたもお母さんも全く悪くないと思うから私達は言ってるのよ。さくらが損をすることはないでしょう?」


 「会って顔を見るのもイヤなのに、どうしろっていうの?紙切れ一枚で済ませたいのよ、一日でも早く!」

 さくらはもうこれ以上、この話を続けたくなかった。

 しかし、ミキオ以外の全員が容赦なくさくらを責め立てた。


 「さくらちゃん、けじめって言ったってね、それは話し合ってからの話なんだよ。まだ荷物だってなんだって家に置いて来たままなんだろう?荷物だけじゃなくて、気持ちとか思い出とかさ、そういうことをきちんと整理して始める為にも一度、家のみんなで話さなくちゃだめだと思うよ。関係のない僕たちにあれこれ言われたくないのもわかってる。でも絶対にそのほうがいいんだよ。お母さんと一緒に……ミキオを連れてったっていいさ。頑張って一度家に帰ってちゃんとするべきだよ」

 優しいトロさんまでもが、こんなことを言った。


 「トロさんが私なら、もうあそこには絶対に行きたくないって思うはずなのよ!イヤなものは見たくないの、イヤな人達しかいないんだもの!関係のない人だって、きっともういるんだから!」

 さくらは完全に興奮して、ついに本当に余計なことを口にしてしまった。


 「関係のない人?」

 佐倉のひと押しがやっと入った。


 さくらはぎくっとした。そして目をそらした。


 ミキオは何もわかっていなかったが急にみんなの肩をもつように、そして佐倉を助けるように、一緒になって責め立てた。

 「そりゃ誰のことだ?」

 さくらが何も答えないでいると、ミキオはもう一度訊いた。

 「おい、何の事を言ってるの?誰がいるんだって?」


 さくらはまた馬鹿をやってしまった。

 自分でもどうしようもなくなり、そのまま血の気が引いていった。

 もう隠しようもなく、何もかもがさらされたような気がした。


 さくらの様子から『関係のない人』が誰であるかは、そこにいる誰もが気が付いてしまった。


 そして、誰もが次のひと押しには関わりたくなかったのだが。

 今まで他人に任せがちで、ずるく、上手い具合に秘密を探っていた佐倉が、ついに潔くこの役目を引き受けた。


 「大丈夫だ!君が恥じたりがっかりすることは全くないよ、こんなに味方がいるんだから。君には何の傷もついてないさ、そんなことは私がわかってるんだ!それで?『関係のない』ってのは完全に厚かましい、馬鹿で、みっともない、最低の女なんだね?君の卑劣な親父がその女を家に引っ張り込んだって訳か!それで君たちは出て来たって訳か!」


 佐倉は恐ろしくはっきりと、言いにくい事を怒鳴るように言い、そして他の誰もがぞっとするような声で「そういうことか?」と叫んだ。


 佐倉は、さくらの返事を待たずにさらにこう続ける。


 「ああよくわかったよ!もう完全に大丈夫だ。早く決着をつけよう、君の願い通りにね。君が何と言ってもみんなで助けてやるぞ!明日……明後日でもいいさ。弁護士に相談するんだ、君がお母さんを説得してね。知り合いにいないんだったら私が紹介する。友人にいいやつがやってるんだ。もうそんな顔はしないんだよ、しっかりするんだ。いいね、もう少し頑張ったら君が言ってた『けじめ』がつくんだよ」


 佐倉がこう言うと、さくらはやっと顔を上げた。

 しかし、ミキオや後藤達は佐倉の剣幕にぞっとさせられたまま、硬直したように動けなくなっていた。


 そして、もう一度佐倉が「わかったね、決着をつけるんだ」と言った時、さくらはすがるような目をしてこう訊いた。

 「佐倉さんはそうしたほうがいいと思うんですね?」

 「ああもちろんさ!復讐するんだ、そいつらに!恐ろしい程の復讐をするのさ、徹底的に痛めつけてやるんだよ。君の手は全く汚さなくていいよ、もちろんお母さんの手だってね。君たちが出て行くのは最後の最後でいいんだよ。後は弁護士に任せるんだ。それでその出て行く時だって、何も二人だけで行くこたないんだよ。弁護士だって誰だって連れてきゃいいんだ!とにかくもう、すっかり安心してしゃんとするんだ!」


 猛り狂うように佐倉は言った。

 そして誰もが目をそらしたくなるような、ぞっとする表情でさくらをじっと見つめてきた。

 しかし驚いたことに、さくらはだけはこれを聞いて微笑んだ。


 「私、決着をつけます。佐倉さんの言う通りに」


 佐倉は「今日は必ず定時に帰ってお母さんを説得するように」と指示した後で、すぐに「いや、」と言い「さくらくん、やっぱり面と向かっては言いにくいと思うよ。今ここでお母さんに電話で話した方がいい。弁護士のことと……それから、我々会社の人間が、あまりに立ち入った事まで知っているのは、きっと不愉快に感じるだろうからね、そこのところは嘘をつくことになっても適当に言っておいた方がいいよ。まあそうだな、前にも似たようなことがあって、上手い具合にすっきりと解決出来たって話を聞いたので、とかさ。あと、弁護士に助けてもらった方が精神的に楽だってことを聞いたから、とか言ってみるとか」


 すると、後藤もこれを支持してこう言ってきた。

 「俺もそう思うよ。お母さんはきっとあれこれ俺たちが知ってるなんてなったら、すごくイヤな気持ちになるだろう?俺だったらそう思うよ、だから適当に言うんだ。それでなんとかお母さんの気持ちを落ち着かせて、しっかりした弁護士さんに頼むように話を持っていくんだよ。もちろん知り合いでいりゃ頼めばいいし、あんまり近しい人だとやりにくいんだったら佐倉さんの友達の方がいいかもしれないよ。ここにはミキオもいるんだし、お母さんが二の足をふんだらミキオに電話に出させてごらん。その方がかえっていいかも知れないよ」


 「俺は、おばさんの復讐をするんならなんだってやるさ!そういうことなら徹底的にやってやる。あんたが手に負えなかったら俺が言うよ」


 ミキオは佐倉があんなふうに言ってくれた事をありがたく思った。

 復讐という言葉は、さくらだけでなくミキオの胸も揺さぶった。


 「わかった。もう帰ってるだろうから電話してみるわ」

 さくらはもう何も隠す必要がなくなったことをせいせいしながら、堂々と大部屋で受話器を取リ上げた。

 璃久には言い出しにくい内容だったので、さくらは相当な覚悟で電話にのぞんだのだが、みんなに言われた通りの『適当』な嘘を話すまでもなく、璃久のほうから弁護士の話が飛び出して来たので、さくらはぎょっとした。

 事の次第はこうだった。

――昨夜、親戚中から電話があり、これはとんでもない事だということになった。璃久とさくらの二人だけではあまりにも荷が重すぎるだろうから、専門家に間に入ってもらい、出来るだけ心を乱さずに済むように専門家に任せてすっきりと片をつけたらどうか――


 と、このような事になったということを璃久は淡々と伝えてきた。


 さらに弁護士などという知り合いはいないし、かといってどんな相手に頼んだらいいのか分からないので探すのに困っていた、ということだった。

 さくらはすかさず佐倉や後藤の真似をして、弁護士の件ではうまく璃久を丸め込んだ。

 といっても、これは自分達のためになることであるし、それは最良の方法だった。


 途中ミキオが電話に出て「俺たちも今日二人で話して、そうした方がいいと思ったから佐倉さんに知り合いで弁護士がいないかきいてみたんだよ。友達でいい人がいるらしいから、おばさんに話そうと思ってたんだ。全くの赤の他人に頼むより安心だよ」と優しい声で言って璃久を落ち着かせた。


 この件については、きっとさくらより、またミキオより、他の誰よりも佐倉の思い通りに事が運んだ。


 佐倉はすぐに友人に電話をかけ土曜日に時間を作らせた。

 そして、ついさっきの激昂などまるでなかったかのような優しい声を出した。

 「弁護士との細かいやりとりまでわざわざ私達に言う必要はないからね。君が人に知られたくない個人的な事情が、今日こんな形で明るみに出てしまって気の毒に思うよ。でももう今からは君たちを法的に助けてくれる専門家が新しい味方になったんだ。彼もまた『秘密』を守ってくれるから大丈夫だよ。私達に義理立てして、なんだかんだと全て話さなくていいから安心してついて行くんだよ。私達は『君が助けて欲しい時に』いつでも出て行く味方なんだ。絶対にどんな時でもすぐに行くからね」


 さくらはこう言われてまた泣き出しそうになってしまった。しかし、佐倉が笑ってハンカチを振ったのでなんとか持ちこたえた。

 

 誰のための復讐なのかわからない。それでも今日、彼らは小さく踏み出した。



 ここまでお読みくださりありがとうございます。

 結構長くなってしまいました。

 次回は『目撃者ミキオ(一、カラーチャート)』に入ります。

 木曜投稿の予定でしたが早く出来上がったので本日投稿しました。

 明日も続けて一話投稿しますので、続きが気になりましたら、ぜひよろしくお願いいたします。

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