名前の呼べないいとこ(十二、連弾)
さくらの家の事情についてミキオが余計な事を言ってから、どうも気まずい会話が続いていた。
さくらは自分のせいでこうなったことを充分に自覚していたから、なんとか話題を作ったり、会社の事を色々訊ねてみたり一生懸命やってみた。
しかし、よそよそしく黙り込んだままの五人の顔を見ているうちに、さくらは潔く途中であきらめ、そして、さくららしい言い方でこう切り出した。
「佐倉さん!昨日みたいに私はまた馬鹿な事をしたんですよ。せっかくみんなが歓迎会をしてくれたのに、もともと偏屈じいさんの話からこうなったんですからね。どうです?場の雰囲気をぶちこわす私を早々とクビにしますか?それとも今すっかり謝ったらもう一度チャンスをもらえますか?」
さくらはにこにこしながらこれを言った。
「もちろんチャンスをあげるとしよう!これから店を変えて二次会に行くか?二次会は若い君達だけでと思ってたんだが、社長として君をとった責任からついてくよ。さあ行くのかどうするのか?」
すると、咲子ははっとしていつもの調子で佐倉の話に乗ってきた。
「そうね、いつものあの店で仕切りなおそうか。もうさくらの歓迎会と励ます会ってことでいいよね。なんでも言いたい事は言えばいいんだよ。それと同じで言いたくない事は言わなくてもいいんだから!」
しかし、さくらが時間を気にしているのに気が付くと、佐倉は自分の携帯を渡しながら自宅へ電話するよう促してきた。
「お母さんに電話しておいたら?帰りはちゃんとするから平気だよ」
さくらはそれでも入り口の電話でかけようとしたのだが、佐倉に押し切られ、その場で璃久に電話をすることになってしまった。
遅くなる事を伝えると、帰りは駅まで迎えに行くからと璃久は言ってきた。
さくらは走って帰るから平気だと何度も言ったが、璃久は『お願いだから連絡をしてほしい、心配だから迎えに行く』と言って引き下がらなかった。
佐倉はその会話を聞いて笑い出し、ミキオに向って「タクシーで家の前まで乗せて帰ると言え」と言い付けた。
ミキオが電話に出てそれを伝えると璃久はやっと納得したようで電話を切った。
さくらはため息をつきながら「母は、ちょっと心配性なんです」と言ったが、佐倉は「それは親として当然だよ」と頷きながら「でも君ほどじゃないと思うよ、お母さんは君の面接についてこなかったじゃないか!若い娘を駅から遠い道のりを歩かせたくないって気持ちくらいわかるだろう?」などと言いながらごきげんな様子だった。
二件目の店に入ると後藤や咲子が作業室での話を佐倉に聞かせた。
後藤は嬉しそうにさっきと同じことを繰り返した。
「一次面接の次の日に、さくらはもう一度店に行ったそうですよ。でもどんなやつがあれを買ったんだ?へたなやつに買われるんならさくらにやりたかったよ」
それを聞いて佐倉はにこにこ笑いながら他にどんなものが気に入っているかを訊ねてきた。
「色々あるんですが……例えば、レースの敷物でくるくる渦巻きみたいになってる薄い桜色の、です。二次面接で見せていただいたでしょう?本当は手に取って、もっとよく見たかったんですが、あの時は『もうこれ以上見たくない、何も見せないで!』って気分だったんです。私ああいう形の敷物を見た事がないんです」さくらはこう言った。
「桜色?ああ、あの妙な形の小さいやつか、あれは一つだけ買い付けてきたんだよ。そうか、気に入ったんなら私の年を当てたほうびに君にあげるよ」
「ほんとうに?でもきっと高価なものなんじゃないんですか?」
さくらは気になってこう訊いたが、咲子が「あんた馬鹿ね、気が変わらないうちにもらっとくのよ!月曜日に私が忘れないであんたに渡すから」と言って佐倉のかわりに約束までしてくれた。
佐倉は「大丈夫だよ、あれは気まぐれで買ったんだ。咲子くんが私のかわりに君にあげるからね」と言ってにっこりと笑いかけてくるので、さくらは『あの上に何を飾るかよく考えよう』と、はしゃいだりしながら、とにかく明るい雰囲気が保てるようにと必死だった。
もう、さくらと璃久のことについて誰も余計なことを言わなかった。
しかし、ミキオだけはあれからずっと上機嫌だったので咲子は逆に心配になり、こっそり佐倉に囁いた。
「佐倉さん、ミキオはちょっと変だと思うでしょ?あんな非常識なこと言っといてさ。
いくらなんでもあんなに元気になって、あいつちょっとおかしいよ」
佐倉はこれを聞いて『まあな』と言って困ったような顔をしていたが、しばらくして咲子に向かってやはり小声でこう言った。
「しかし、ミキオがあんなふうに……はっきり好き嫌いを口にするのは珍しいな。私はあんな様子のあいつを見た事がないよ。きっと理由があるんだろうよ、我々や、もしかしたらさくらくんにも言えない何か、あいつだけが知ってる事とかさ……まあ、あいつにも心配事の一つやそこらあったんだと思うと私は逆に安心したね」
佐倉のこの言葉は、咲子の優しい正義感を不思議な興味の対象でもあるミキオに向って真っすぐな線を引かせた。
佐倉はこの時、確かに咲子を利用していた。
実際、佐倉は自分からは何も言わなかったが、今日のこの時点で自分が知りたいこと、聞き出したい事は全て満足いくまで自分のものにしていた。
まだ誰もこのことを知らなかったし当分知られる心配はなかった。
今日の午後からもずっとそうだったが、二次会でわいわいやって行くうちに、さくらの優しい性格や人情深さ、せっかちな部分や甘えん坊なところなどは、実にわかりやすくみんなに伝わっていった。
時々彼らは顔を見合わせて、さくらのことを思って笑い合ったりもした。
佐倉はずっとこの様子を満足しながら伺うように見守っていた。
ミキオは改めて、いとことの再会を懐かしがるかのように「昔から馬鹿な事をして随分おばさんを困らせたりしてたな」と言ってさくらをからかった。
さくらは「何のことを言っているの?」ときいたが、ミキオは「言ってもいいのか?」と、もったいつけてから懐かしそうに話し出した。
「きみね、ピアノの事ではかなりひどかったんじゃないか?」ミキオがこんなことを言い出したので、さくらはぎくっとして思わず叫んだ。
「どうして知ってるの?お母さんが何か言ってた?怒ってたの?」
「やあ、それはそれは呆れてたよ。先生に何度怒られたかわからないってさ!どうしてそんなに練習をしなかったんだ?璃久おばさんは上手だから教えてくれただろ?家に来た時はよく一緒に弾いたりしたよ。連弾とかやってさ」
ミキオはニコニコしながらこう言った。
「練習の事を言ってたの?先生に叱られたって事だけなの?他には、他には何か言ったりしてなかった?それって一体いつの話なの?」
さくらは恐ろしく真剣にこう訊ねた。
この様子に、佐倉と咲子はびっくりして顔を見合わせた。
しかし、ミキオはそれに気づかない。
ただ笑いながらさくらをからかった。
「そうだなあ、しきりに言うんだよ。あんたが上手くなった気がするってさ。もう笑っちゃったよ!だってはっきり言っておばさんに比べたらあんたは全然だったろ?璃久おばさんは本当の自力であそこまでいったんだぜ、それに比べてさあんた、正座させられたり酷かったらしいじゃないか。うちで弾いた時のこと覚えてるぜ俺、可哀相になったよ」
ミキオはただおかしな思い出話として言っただけだったが、さくらにとっては深刻な問題だった。
さくらはゆっくりとした口調ではっきりもう一度、こう訊いた。
「ミキオちゃんそれは、いつの話なの?」
「何?うちに来て弾いたって話か?そりゃあまり覚えてないな、でもよく一緒にやったよ、昼間ちょっと来たりしてさ……すごく上手かったよ。あんたが中学の時かな、長い間わざと練習をさぼってた事があったろ?ありゃおばさんも困ったらしいよ。だいたいなんでそんなことをしたんだ?しばらくしてから、おばさんにきいたけど笑ってたけどね」
さくらはじっと考え込んでしまったが「お母さんは私が高校に入ってからとか、ミキオちゃんのとこでピアノを弾いた事があった?」と恐る恐る訊ねた。
ミキオが「もちろんあった」と答えると、さくらは急にホッとしたようだった。
「お母さんはミキオちゃんと連弾で曲を弾いたりしたのね、私知らなかったわ。でも、それならきっと楽しかったよね」
さくらの様子がまたおかしかったことに誰もが気がついてしまったが、咲子はそれよりミキオがピアノを弾けることに驚いて、やっとのことで口を挟んだ。
「ミキオはピアノを弾くの?あんたがそんなのやるなんてびっくりだわ。もしかして、さくらのお母さんに習ったの?」
咲子がこう言うとミキオは笑いながら答えた。
「まさか!俺は鬼婆みたいな先生に手を叩かれながら泣く泣くやってたんだから。ここにいるお嬢ちゃんみたいに自宅にピアノ教師がいた訳じゃないんだよ」
すると、急に佐倉が割り込んできた。
「さくらくんのお母さんはピアノの先生なの?」
「いいえまさか。母は習いたかったんでしょうけど、出来なかったんですよ。だから私の本を見て……ほんとうの自力で、確かにそうやって弾けるようになったんです」
「へえ、さくらのお母さんてすごいじゃん!で、なのにあんたは下手なのね?ミキオの言う事があってればだけど」
「そうなの、酷いピアニストだったのよ。もういろんな意味でひどすぎるピアニストに違いないの」
さくらはなんとなく笑うしかなかったが、しばらくの間ミキオはいつになく明るかった。
まだ会って間もないが、皆はさくらを心から気に入った様子で、まるでずっと前から知っているかのような態度でさくらと打ち解け合った。
これはさくらがミキオのいとこであったことに負うところが大きかったが、今回の採用について言えば、佐倉の人選は間違っていなかったということだ。
佐倉は会社を始める前は一流企業で主に海外での営業職を務めた後、本人の希望で人事部門のほうで採用や教育を任されていたので、どんな人間がどんな場所でどんな仲間と働けば全てが上手く動いて行くか、経験からも、感覚からも知っていた。
さくらを採用したのはこの点からいっても正しいことだったかもしれない。
しかし、佐倉は自分がその点だけで採用したのではないことを、どうしたって認めない訳にはいかなかった。
佐倉にはあの時、さくらをとらずにはいられない何かがあったのだ。
佐倉は十一時を過ぎた頃、もうお開きにしようと言った。
ミキオに咲子を送るように言いつけると、さくらのことは自分がタクシーで送るから、と言って解散になった。
佐倉は、さくらのアパートのすぐ手前でタクシーを止めさせて機嫌良くこう言った。
――「お疲れさん、月曜日はゆったり仕事するんだよ。タイムカードも時間通りにつけなさい」
ここまでお読みくださりありがとうございます!
次回は新しいエピソードに入ります。
タイトルは『佐倉さんの世界 一、危険』から始まります。
この章は「一~四」で終了の予定です。
(名前の呼べないいとこは「十二」まであり長すぎましたね)
予定では木曜日くらいに数話を投稿する予定ですが、あげられそうだったらその前に出すかもしれません。
どうぞよろしくお願いいたします。




