3—10:日常への帰還(不完全)
地上に戻って、ヌール夫人とディアスポラ参事官は、制限魔法取締課の即応部隊指揮車両に入っていった。たぶん、魔法省の上層部や、ほかの治安機関と連絡しているのだろう。
オトナの話がつづいているあいだに、わたしは生命術者の人から治療を受け(ほおの内がわを噛んでしまった以外なんともないけど)、部隊所属の心理術者へ記憶書出で今回の事件の詳細を引き渡す。
記憶書出の術で再現できるのは、あくまで当事者の主観の範囲にとどまるが、目にはしていたけど当人の表層意識は見過ごしていた細部が明らかになる場合もある。
もしかしたら、シオンの今後の立ちまわりさきのヒントや、イスハルド工作チームの五人めの以降のメンバーにつながる記憶が見つかるかもしれない。
「術式解体を受けてから、8.2秒で自己コントロールを回復か。ベースの精神自体が恐ろしく強靭ねあなたは」
「そうですか?」
「私は無理。自己欺瞞抜きで一秒だってこんな仕事はつづけられない」
すごい美人だけど目が死んでるお姉さんが、わたしの主観記憶をだれでも見られる形式に変換しながらそんなことをいう。
制限魔法取締課のお仕事は大変そうだ。魔法省に入ったらたぶん魔取行きだろうから、できれば魔術師範学校卒業後はちがう省庁に任官したい。
指揮車両の側面スライドドアが開いて、ヌール夫人とディアスポラ参事官が出てきた。
「上と話はついた。帰るぞ、クルト候補生」
「聴取や報告書なしで、いいんですか?」
「記憶書出で充分だ。……イリュヒナ、うまくまとめておいてくれ」
「了解」
ディアスポラ参事官の意味深な指示に、目が死んでるお姉さんは迷いなく応じた。この仕事をやりたくてやっているわけじゃないけど、ディアスポラ参事官のことは尊敬しているみたい。
ヌール夫人が、マトリの車両の一台の運転席に乗り込み、ハンドルを握った。ディアスポラ参事官が後部座席のドアを開いて、わたしをうながす。わたしが座ると、参事官はドアを閉めて自身は助手席に乗った。
……ディアスポラ参事官もついてくるんです? ああそっか、クルマを回送する必要あるか。
+++++
わたしはてっきり、ディアスポラ参事官は車両を制限魔術取締課の拠点に戻すためだけにヌール寮まで同乗してきたのだと思っていたけど、駐車場で別れず、いっしょについてきた。
「ユリアが作ってくれるご飯を食べるのは、ひさしぶりだな」
……なんか、ふつうにうれしそうですね。
ヌール夫人が寮の玄関ドアを開けると、共同ホールにたむろしていた寮生たちが一斉に振り返ってきた。
『ティカ!』
寮生20人にたちまち取り囲まれる。
「だいじょうぶだったの?!」
「心配したんだから」
「おかみさん、それ超カッコいいんだけど」
「こちらのかたは……?」
「えがった……ティカ、うちの寿命これ以上削らんといて」
涙ぐみながら抱きついてきたリリベルを受け止めて、わたしもようやく異常な事態から完全に抜け出せたんだと実感できた。思わずほおずりしてしまう。
「ベルがまっさきに通報してくれたから、最初から犯行グループの行動範囲はかなり絞り込めてた。わたしが助かったのはあなたのおかげ、ほんとうにありがとう」
「おかみさんが自ら出るて言うたから、だいじょぶやろとは思ってたけど……」
リリベルはわたしの無事をずっと祈ってくれていた。彼女の眼に光る涙が愛おしい。わたしは精神固定をかけてしまっていて、自分は涙を流せないのがもどかしかった。
シオンの掲げる大義が正しくても、アルケイナ連邦が禁忌の罪の上に成り立っていたとしても、その清算のためにいまのこの世界を覆すことに妥当性があるとは、わたしには思えない。
「さあさ、ふだんより遅くなっちまったけど、夕飯にしよう。みんな、準備しとくれ」
寮母としての声でヌール夫人が号令をかけ、『はーい!』とみんな元気よく動きはじめた。わたしも一度部屋に戻って、制服から着替える。
+++++
夕食の支度はととのった。
でも、今日はふだんと配膳がちがう。
食堂に並べられているのは20人前で、ヌール夫人と、ディアスポラ参事官と、わたしのぶんは別室に準備されていた。
「それじゃあ、あんたたちはてきとうにおやり」
『はーい』
カウンターテーブルの上におかわりの準備をして、ヌール夫人はディアスポラ参事官とわたしを連れて食堂をあとにした。ソールズモック先輩が、寮母代行として食前のお祈りの音頭を取る。
「今日もわれらが食卓を満たしたまいし女神プニエーレよ、地母神クレステアよ、河神リュミア、太洋神ネプテュニカよ、感謝を捧げます」
『感謝を捧げます』
「それでは、いただきましょう」
『いただきまーす!!』
食堂の声が聞こえてくる中、廊下を10歩ほど進む。
ヌール夫人の私室に入るのははじめてだ。いままでこの部屋に呼び出されたことがあるのは、夜間無断外出などでお説教された人だけ。つまり退寮処分者のみだ。
門限破り無断外泊はないけど、やっぱり歳ごろの乙女ばかりですからね、完全にそういうことゼロとはいかないみたいです。自由恋愛そのものは禁止ではない、ってヌール夫人は前に言ってたけど。
なおヌール寮で退寮処分を受けると魔術師範学校も退学になる。校則で決まっているわけではないものの、ヌール夫人の逆鱗に触れた生徒を在学させておくという判断がくだされたことは、これまでないそうだ。
ヌール夫人が管理人室のドアを開ける。
……寮母のお部屋だからといって、特別なわけではなかった。ドアを開けてすぐテーブルがあって、三人ぶんの食事が並べられている。奥にクローゼットと本棚があって、そしてカーテンで仕切られているベッド。勉強机ではなくダイニングテーブルをおけるスペースぶんだけ、寮生の部屋よりちょっと広いかな?というくらいだ。
部屋の奥へヌール夫人、手前にわたし、壁から遠くて椅子を引く余裕があるがわにディアスポラ参事官が座る。
「まあ、冷めちまう前に食べようか。われらが食卓を今日も満たしたもうた女神プニエーレよ、地母神クレステアよ、河神リュミア、太洋神ネプテュニカよ、感謝を捧げます」
『感謝を捧げます』
「じゃ、いただきましょう」
『いただきます』
ヌール夫人の音頭に、わたしとディアスポラ参事官で唱和する。ディアスポラ参事官にエリート官僚の雰囲気はまったくなく、完全にヌール寮の入居者といった感じだった。魔術師範学校の制服を着たら、明日から通っても一切違和感がないだろう。人間よりはるかに寿命が長いアルコーンだから、おかしなことではないんだろうけど。
今日の晩餐メニューは、シンプル三皿。わたしのせいで、おかみさんはふだんの半分も準備する時間が取れませんでしたからね。
でも味に手抜きはない、それは食べる前から確信できる。
メインのマトンシチューは、わたしが拉致されたという話を聞いたヌール夫人がキッチンを外しているあいだも、ずっと加温維持で煮込まれていたのだろう。タマネギはほとんどスープに溶け込んでいるし、おイモはスプーンで押すだけで崩れるほど柔らかくなっており、マトンもほろほろだ。
具材とともに鍋に入っていたタイムとローリエの風味以外は、塩と胡椒だけのシンプルな味つけなんだけど、これがおどろくほど美味しいのである。
わたしにとっては、お肉といえば羊のことを指す、地元フロストピークを思い出す味だ。実際わたしは都に出てくるまで、干物以外の魚と、羊以外のお肉を食べたことがなかった。
……悪いんだけど、お母さんやお祖母ちゃんが作ってくれた羊料理より、おかみさんの羊料理のほうがずっと美味しいわけですが。これは、火の取り扱いのレベルがちがいすぎるからしかたないよね。
主食はガレットだった。そば粉のクレープですね。イモバターが包まれていて、ボリュームたっぷり。
凝ったものを作っている時間がないからにわか仕込みのメニューなんだろうけど、とてもそうは思えないほど美味しくて、満足感もある。
ガレットの生地のはしっこを、マトンシチューにつけて食べるのもいけます。
そして副菜はオクラ、トマト、キュウリのサラダ。どんなときでもお野菜をたっぷり摂らせる——このおかみさんの心づかいが、女子にはありがたいですよね。お野菜食べるのってついついサボりがちになるし。
「……まともな食事をしたのは、何年ぶりだろう」
スープボールに残ったシチューをガレットの端切れでぬぐって無駄なく胃に収めてから、ディアスポラ参事官は感慨深げにそういった。
「魔法省の課長級なら俸給は充分出てるだろう? ハウスキーパーを傭うこった」
ヌール夫人は高給取りなのに応分の支出をしていないディアスポラ参事官にあきれているわけではなく、純粋に食生活を心配している。
制限魔法取締課は法執行権限を持つ即応部隊を抱えた特殊部署だから、ふつうの省庁の課より大きい。魔取官は禁呪に手を染める狂魔術師やテロリストと最前線で対峙する危険なお勤めだから、公務員としてはけっこうよいお給料をもらえるのだ。
ディアスポラ参事官は七人いる現場指揮官のひとりであり、魔取のトップではないが、役職つきであるからして、当然ながら俸給額面は平隊員よりさらに多い。
ただ、ディアスポラ参事官が家政婦さんを傭っていないのは、吝嗇が理由ではないようだ。
「ハウスキーパーが自宅にいたところで、帰れなかったら意味がない。まともっていうのは、栄養価の話じゃなくて気分の問題だよ」
……ろくに家にも帰れないほど忙しいんだ魔取官って。やだなあ、制限魔法取締課にだけは配属されたくない。
あらためて卒業後の進路から魔法省は外したいと実感したところで、イリュヒナというらしい、目が死んでる心理術者のお姉さんのことを思い出した。
イリュヒナさんはたぶんわたしより10歳くらい上、つまり一番近い世代の同系統術者だろう。魔術師範学校の卒業生でもあるはず。
「ディアスポラ参事官、イリュヒナさんに指示した、わたしの記憶書出の内容をうまくまとめておけっていうのは、弟さんであるシオンのことを伏せておくようにって意味だったんですか?」
わたしの質問に、ディアスポラ参事官はあっさりと首を左右に振った。
「アルコーンの棄却術者が、イスハルド情報機関と協力しドラゴンハート市内で活動している、しかも以前のルミナスフィア王子暗殺未遂事件にも関わっているとなれば、その存在を隠蔽するのはきわめて危険だ。肉親だからという理由でシオンを庇ってなどいられない」
「それじゃあ、いったいなにを編集するんですか、イリュヒナさんは」
「クルト候補生、きみはシオンを拘束しようと思えば捕縛できた。しかし実際には見逃しただろう。その主観的な心理情動は記録から削除する」
じつの弟がアルケイナ連邦に対して破壊活動をくわだてているということは隠さず、わたしがシオンの話に同情して全力を尽くしていなかったことは伏せる、というディアスポラ参事官の言葉は予想外だった。
「……いいんですか」
「シオンはアルケイナ連邦の存立意義に対し疑義を呈した。きみがそれに一定の理解をしめして、あいつの逃亡を阻止しなかったという事実がそのまま報告されれば、執政府官房公安や情報軍思想調査課はペティカ=クルトを潜在的危険因子と看做す。学生に思想犯容疑をかけて監視する、あるいは拘束して洗脳を施すなどというのは、わがアルケイナの正義ではない。……とはいえ、公安や情報軍はそれが仕事だ。だから最初から事案そのものを抹消する。彼らも無いものを嗅ぎまわったりはしない、その線引きはできている」
制限魔法取締課がわたしの記憶書出の生データを編集した、という事実そのものは公安や情報軍も知ることになる。しかしなにが削除されたのかについてはしつこく追求しない。それが省庁間の縄張りをお互いに尊重することだ——というのがディアスポラ参事官の説明だった。
……つまりわたしは、今後魔法省の所管ということになるのか。未来の可能性がどんどん削られてくなあ。
「ティカ、あんたの意思に反する進路の強制は、あたしがさせないから安心しな」
ため息をついたわたしへ、ヌール夫人がそういった。
「瞬間移動以外全部の魔法を使えるようにして、イスハルドの術者たちに抵抗の機会を与えたのって、おかみさんの指示ですよね」
魔取にそんなフェアプレイ精神はないだろうと思って訊いてみると、ディアスポラ参事官が肩をすくめた。
「ユリアはいつもそうだ。自分だけ魔法が使える状況で一方的に相手を押し潰すようなことは絶対にやらない。相手にも魔法を使わせるか、さもなければ自分も使わない」
アルケイナ政府にとって、ヌール夫人は戦場での功労者というだけではないだろう。仮に叛逆すれば単騎で連邦軍を半壊させうる、地上最強の実力を伴っているからこそ暗黙の影響力を認められているのだ。
ディアスポラ参事官がアルコーンでありながら魔術師範学校を卒業し、魔法省の官僚となっているのも、後見人がヌール夫人だから許されていることにちがいない。
わたしがシオンと共鳴した危険思想の持ち主として処分されないのも、おかみさんがいるからこそ。
……でもそれは、ヌール夫人がアルケイナ国家に対して不動の忠節を保っているからだ。わたしに「進路の強制はさせない」というのも、完全な自由の保証を意味しているわけではない。魔術師範学校卒業後に、そのときのわたしの力量と適性の範囲でアルケイナのいずれかの政府機関に奉職すること、それは前提だ。
就職拒否してニートやります、とか、実家に帰って結婚します、とかのわがままが認められるわけではない。
そのことが理不尽だとは、べつに思ってないけど。
わたしの運命は最初から決まっていて、選択の余地なく予定のままに進んでいくだけなのだろうか?
それとも、ラ・ヴィヨンが残した予言の未来は、書き換えうるのか。
CASE.3 了
CASE.3完結までおつきあいいただきまして、まことにありがとうございました。
ストーリーの本筋がようやくはっきりしまして、ここからが真の本番です。
ペティカが信じるヌール夫人が忠節を尽くすアルケイナ連邦に、本当に正義はあるのか。もしその正義が詐りで、闇と血の上に築かれた虚妄の世界がいまのアルケイナだとしたら、ペティカはどうするのか。そして、恋を禁じられている魔女に好意を公言した古代種アルコーンの生き残り、シオンとの関係はどうなっていくのか…。
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