3—9:姉弟
シオンは本気なのだろうか。魔法干渉無効化が展開されているから心象は読めないが、この眼をしながら心にもないことを口から垂れ流せるのなら、詐欺師の適性100点満点だろう。
「わたしは、アルケイナ連邦への忠誠心や帰属意識なんて大して持っているわけじゃないですけど、ヌール夫人のことは心から信頼してます。彼女が守るに値すると行動でしめしてくれているこの国を、予言の真相への懐疑という曖昧な理由で裏切ろうとは思わない」
「ペティカ……きみはものすごく理性的だ。なにもかも理詰めで考えている。その判断は、きみ自身が使っている心理術によってゆがめられているんだ」
「真に中立な基準なんてものはない。どんな視点から見ようと、偏向は消えません」
ガラス棒のようなものを左手で持ちながら、シオンはわたしのほうへ右腕を伸ばす。わたしは椅子の背もたれを支点に後転して、間合を外した。
あの棒には、おそらく緊急退避の術が籠められている。特定の場所と魔術的に同調していて、へし折ることで持ち主をそこへ即時遷移させる魔具だ。
瞬間移動封鎖が停止しているいまなら、シオンはいつでも逃げられる。だがひとりでこの場を去る気はないらしい。
「ペティカ、強制で魔術師範学校に入れられ、連邦の所有物となっている現状は、きみの望みではないはずだ」
シオンの訴えかけに対し、わたしは首を左右に振る。
「わたしはたしかに自分で選んでここにいるわけじゃない。だけど、いまの自分を否定しなきゃならないほど、世界を呪ったり生きることにうとましさを感じたりしているわけでもない」
シオンの表情が変わった。大真面目な貌であることに変わりはないが、その質が別物になっている。
説得を放棄したのだろう。術式解体でわたしの心理的防御を破壊して、強引に連れて行くつもりだ。
金色の眼が輝く。幻想的な光景だが……
わたしは自己暗示が消えてしまう前に、指笛を吹いた。
天井裏で大きな物音が響く。が、わたしはその結果を確認できない。
術式解体が効果を発揮し、精神的な動揺、恐怖や焦燥からわたしの心を隔離していた、心理術の力が失われた。暖房の効いた部屋がいきなり消滅し、寝間着一枚で真冬の猛吹雪の中に投げ出された感覚、といえば、たとえとしては近いだろうか。
わたしは自分で自分を抱きしめ、床に転がって背を丸めることしかできない。吐き気と震えが止まらなくなった。意志の制御が効かず、上下の歯が激しく打ち鳴らされる。ほおの内がわを噛み破ってしまって、鉄の味が口の中に広がった。
こわい。
やめて。
さわらないで、ほうっておいて。
たすけて。だれでもいいってわけじゃない、安心できるひとにそばにいてほしい。
お母さん、お父さん、ウィル、セリタ……リリベル、おかみさん!
「……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
涙で前が見えない。でも、どうにか恐怖打破の術はかけることができた。
服の袖で目をぬぐって、顔を上げる。
わたしはまだ、窓がなく机と椅子二脚だけがある小部屋にいた。緊急退避の棒を折ったシオンに触れられて、一緒に転移させられてしまっている可能性は覚悟していたから、ちょっとほっとした。
わたしのまわりを、天井裏から飛び降りてきた30匹ほどのネズミが取り囲んでいた。地下街や下水道をちょろちょろと走りまわっている、あの生き物だ。
ネズミたちは、歯をむき出しにして、「キー、キー!」と甲高い声でシオンを威嚇している。この数のネズミの輪を突っ切って無理やりわたしの身体に触れようとすれば、全身ズタズタになること請け合いだ。
瞬間移動のたぐいは発動者に接触している生き物にも効果がおよぶので、強行突破したらシオンは緊急退避の転送先まで大量のネズミに齧りつかれながら飛んでいくことになる。
シオンの術式解体を食らう直前にわたしが使ったのは、動物への救援要請の魔法だ。いまネズミたちは、わたしのことを仲間だと思っている。
予想していたよりたくさんいて助かった。
シオンはおそらく、数回に渡って術式解体を発動し、ネズミにかかった魔法を除去しただろう。
しかし術式解体は、一度に一体の生き物、あるいは物体に対してしか作用しない。30匹のネズミの群れの中の数匹からわたしの魔法効果を取り去っても、仲間と同調する本能まで消えたりはしないので、ネズミたちがシオンへ向ける敵意は変わらないのだ。
わたしが人事不省状態から立ち直ったのを見て、シオンは眉をしかめた。
「……認めるよ、最後まできみが一枚上手だった。また会おう、シルクィアによろしく伝えてくれ」
「あなた、ディアスポラ参事官の知り合いなの?」
シオンはわたしの質問には答えず、机の上のタブレットを右手で回収すると、左手に握っていた透明の棒をへし折った。
緊急退避が発動し、光の粒子を残してシオン姿がかき消える。
逃げられてしまったか。
わたしは立ち上がって机のところへ戻り、「満腹ドラゴン」の袋をあさった。
ビーフンを全部食べずに、残しておいたのだ。こんな地下深くで美味しそうな食べ物の匂いが漂うのはめずらしいことだから、ネズミたちが集まってきていたのである。
ネズミたちは期待の目でわたしを見上げている。
「みんなありがとう、助かったわ。……こんなにいると思わなかったから、ちょっとすくないけど」
わたしはネズミたちにお礼を言って(心理術者といえど、動物と会話ができるわけじゃないけど)紙コンテナ容器を広げ、床におく。ネズミたちは、キャベツやもやしをひとかけら、ビーフン一本をそれぞれ口にくわえて、立ち去っていった。
完全に空になった紙容器をたたんで袋に入れ、わたしは数時間滞在していた地下の小部屋をあとにする。
……もちろん食べガラの入った袋は持ってます。ゴミの放置はいけないですからね。
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閉じ込められていた小部屋から狭い通路をとおって、ひとつめの開けた空間へ出ると、まだヌール夫人とフェンリッタの戦いがつづいているところだった。
戦闘開始からずっと動いていなかったフェンリッタが、エーテルの球体に包まれて飛びまわっている。
ヌール夫人は足の裏や手のひらで爆発を起こして推進力に変え、フェンリッタの突撃を躱していた。
どうやら、フェンリッタは単に球体のバリアで体当たりをしようとしているだけではなく、見えないエーテルの刃を振るっているようだ。
ときおり、壁面や天井の岩盤が、豆腐みたいに斬り裂かれている。
さっきまで使っていた通常物質の弾丸は尽きたのだろうか。……もしかすると、まだ何発かは残しているかもしれない。正面から突進しつつ、さらにべつの角度から空間転移攻撃をしかけられたら、ヌール夫人といえどあやうい。
操声でフェンリッタを拘束しよう。
……と思ったところで、ヌール夫人が動いた。
強烈な爆発が、フェンリッタを部屋のすみへ向け押し込んだ。エーテルの壁は貫通されないが、反動は受けるのだ。
「効かないっつうの!」
フェンリッタは余裕の声をあげたが、ヌール夫人は両手をかざして連撃を放った。
爆風がフェンリッタをバリアごと動けなくする。さらに無数の魔力の波が、フェンリッタのエーテル防壁の表面をたたいた。そう、ヌール夫人は相手をピン留めする爆風以外は攻撃を火焔に変換せず、魔力をそのままぶつけている。
「くッ……そのていどでボクの防御が崩せるとか思わないでよね!」
強がるフェンリッタだが、全集中力を守りに回さざるをえなくなったのは明白だ。いま転送弾を一発撃てればヌール夫人に当たる公算は高いのに、攻勢に出ることができていない。
このまま削り切れる……わたしはそう判断したけど、ヌール夫人は力任せの平押しで強引に勝つ気などなかった。
何千万か、何億か、フェンリッタのエーテル防壁へ魔力をぶつけつづけていたヌール夫人が、カッと眼を見開いて指を鳴らす。
フェンリッタのバリア内部で爆発が生じた。レースのキャミソールが一瞬で燃え尽き、ブラとパンツだけのあられもない姿に変わる。
「あっつ!??」
肉体的ダメージよりも、精神的衝撃が大きいだろう。フェンリッタを覆っていた球形のエーテル防壁が決壊した。
ヌール夫人は一瞬のスキも逃さず距離を詰め、少女の細腕をねじりあげる。
「あたたたた……いたい、いたいってば!」
「手間かけさせてくれたね」
封魔具の手錠をかけ、ヌール夫人はフェンリッタを地べたへ座らせた。ついでに、軍服のマントを解いて服を失った少女に被せてあげる。
フェンリッタはもぞもぞとマントから頭を出して、ヌール夫人へ食ってかかった。
「ありえない! なんでエーテルの壁を火炎術が通り抜けるのよ?!!」
「やれやれ。素粒子魔法学の勉強してないのかい?」
「……そりゅうし??」
あきれた顔のヌール夫人に対し、フェンリッタはぽかんとなる。わたしもまだ講義受けてないから、素粒子魔法学の詳しい理論は知りません。
この世の基本成分である素粒子のひとつ魔力子は、トンネル効果によって、本来通過できない障壁を極低確率ながら突破できる……という概要だけはいちおう記憶している。
ヌール夫人はフェンリッタの守りを素通りする魔力子が現れるのを期して、雨あられと魔力をエーテル防壁へ注いでいたのだ。つまり、火炎術で絶対障壁を貫通したわけではない。トンネル効果でバリアの向こうへ到達した魔力子を、炎に変換したのだ。
「おかみさん!」
わたしが声をかけると、ヌール夫人はすごい勢いでこっちを振り向いた。
猛ダッシュでヌール夫人が突っ込んでくる。100メトラ5秒くらいじゃなかったいま?
「ティカ! どこか怪我とかしてないだろうね!?」
「ご心配おかけしました、だいじょうぶです。すみません、ひとり取り逃がしてしまいました」
ヌール夫人の、丸太のような腕と大きくて柔らかい胸がわたしの全身を包む。抱きつき返しながら、わたしは無事を報告するとともに、一番厄介なやつを拘束しそこなったことを謝った。
「あんたさえ無事なら、あとはどうだっていいさ。しかし、イスハルドに凄腕の棄却術者がいるだなんて情報は、どこにもなかったんだけどね」
「そのことなんですけど、詳しいご報告はあらためてしないといけないですが……」
以前の摩天楼街最上層での事件に関与していたやつと同一犯で、イスハルド工作機関の専従要員というわけではない、という話をしようとしたところで、あらたな人物が戦場になっていた地下広場へ入ってきた。
「ユリア、応答しろ。……ああ、無事だったか」
ディアスポラ参事官が、ヌール夫人のことを「ユリア」と呼んでいるっていうのは、はじめて聞いた。たしかにおかみさんのファーストネームはユリアなんだけど。
……地べたに転がされていたイルーディとグロードに加え、フェンリッタも制限魔法取締課のチームに連行されていった。もう護送車に放り込まれているリヒトも合わせて、この四人は最低でも終身刑だろう。ことによってはイスハルドとの「政治的交渉」で、身柄が引き渡されるかもしれないが、その場合でも、二度とアルカディス大陸に立ち入れないよう、放逐の呪印が刻まれることはまちがいない。
わたしはヌール夫人とディアスポラ参事官を自分が捕まっていた小部屋へ案内しつつ、とりあえず簡単な経緯を陳述した。
詳しい報告は、記憶書出で提出することになるだろう。シオンの話を聞いたわたしが、なかばその境遇に同情し、彼の拘束にほんとうの意味では全力を尽くさなかったこともふくめて。
30年前の戦争を生きのびたアルコーンの棄却術者が事件に関与していると聞いて、ヌール夫人とディアスポラ参事官は眉間にシワを寄せた。
わたしはディアスポラ参事官のほうへ、質問ではなく確認する。
「ディアスポラ参事官、あなたもアルコーンだったんですね」
「……ああ。私はユリア……ヌール夫人に助けられ、この国へやってきたんだ。ヌール寮の第一期生ということになっているが、実年齢はちがう」
「シオンは、『シルクィアによろしく』と言ってました。どういうご関係なんですか?」
ディアスポラ参事官の、シオンと同じ金色の眼は、千々に乱れるさまざまな感情で揺れていた。
困惑、怒り、動揺、安堵、懐かしさ、心配、庇護欲……
「私の弟だ。生きているとは、思っていなかった」




