3—8:焔の女帝《イグニス・エンプレス》
タブレットの画面上で、ヌール夫人は第二カメラ、第三カメラの前を通過し、さらに地下深くへと進んでいた。
第四カメラが映しているのは、直径80メトラ、高さ200メトラほどある円筒形の空間だった。円筒の底から160メトラほどのところに横穴が空いていて、そこから壁面になかば埋め込まれたU字の鉄骨が、下へ向かう梯子を形成している。
おそらくこれは、集中豪雨で下水や地上の河川があふれそうになったさいに一時的に水を逃がすための、地下遊水施設だろう。
広い竪穴にさしかかったヌール夫人は、いちいち梯子を使ったりはせず、宙に身を躍らせた。都市圏全域に張り巡らされている軟降下が作動し、ヌール夫人はふわりと円筒の底へ降り立つ。
そこで。
いきなり周辺の岩盤が崩壊し、円筒空間のすべてを埋め尽くした。発破によるものではない。土魔法で地盤の結合を断ち切り、地すべりを人為的に引き起こしたのだ。
タブレットの画面が真っ暗になる。カメラも巻き込まれたのかと思ったが、シグナルロストの表示ではなかった。土煙でなにも見えなくなっているだけか。
「グロードの地裂衝か。さて、このていどで焔の女帝が止まるかな」
シオンは完全に傍観者の口ぶりだった。リヒトがやられたときも心配する素振りなく映像を分析するだけだったし、あの三人に仲間意識は一切持っていないようだ。
暗転していた画面に照度が戻ってきた。だけど、なにかが見えるようになったわけではなく、全体がオレンジ色に染まっていく。
カメラの視界を覆い尽くしている煙幕の下で、なにかが燃えてる?
オレンジ色だった画面がだんだんと白っぽくなってきて……映像が途切れた。今度はシグナルロストだ。カメラが壊れてしまったらしい。
シオンが五番カメラに表示を切り替える。グロードが竪穴を崩してヌール夫人を生き埋めにしてからなにが起きていたのか、断片的ながらわかるようになった。
五番カメラが映しているのは、地上方面から流れてくる溶岩の川だった。ヌール夫人は魔法の落盤で降ってきた岩石を、全部溶かしてしまったのか。
……たぶん、わたしたちがいまいるこの小部屋が一番深い場所だろうし、このまま溶岩流れてきたら危なくないですか?
そう思ったところで、画面内にあらたな動きが生じた。大量の水が押し寄せてきて、溶岩の川とぶつかる。ものすごい蒸気が上がって、またしても、カメラはなにも映せなくなってしまった。
地下空間に大洪水を引き起こしたのは、おそらくイルーディだろう。魔法で対決するなら、水術者は火術者に対して相性がいいけど。
「手助けに行かないんですか。あなたは棄却術者だから魔法は全部無効化できるかもしれないけど、魔法抜きでの純粋な戦闘技術の勝負になったらヌール夫人には絶対勝てないですよ」
「もちろん焔の女帝に勝てるなんて思ってないし、敵対する気もないよ。30年前に僕たちアルコーンのためにもっとも力を尽くしてくれたのは彼女なんだ、敬意は持っている」
「あなたの発言と行動は矛盾ばかりです」
わたしがあきれと不信の目を向けると、シオンはむしろ意外そうに見返してきた。
「個人への敬意や好感と、国家組織そのものへの疑念はべつさ。僕はペティカのことが好きになったし、ヌール夫人をいまでも恩人として尊敬している。だからといって、アルケイナ連邦のこれまでの行いの裏になにがあったのか、その検証をやめる理由にはならない」
「だからあの三人はどうなってもいいと?」
薄情なやつだな。率直にいってそう思った。
シオンは肩をすくめる。
「戦いたがったのはあの子らのほうさ。彼らの上役は30年前にアルケイナの強さを思い知らされた世代だから、予言の魔女とは平和裏に接触するべきで、襲撃や拉致は最後の手段だと想定してた。ドラゴンハート市でのきみの身元引受人が、ヌール夫人だということは知られていたからね。でも、気鋭の若い世代は、それでかならずしも納得するわけじゃない。摩天楼街最上層での事件のさい、きみはライル王子たちのために、自分の身の危険を顧みず暗殺者と対決することを選んだ。そのときの分析をもとに、きみの行動は誘導できると、イスハルド情報機関の幹部に作戦計画書を提示した戦術師がいるんだ。僕はそれで声をかけられたってわけ」
自分から進んで破壊工作をしているわけじゃない、とシオンは言いたいのかもしれないが、わたしの中ではまた一段信頼度が下がった。仮にも現在の傭い主であるイスハルドの機密をしゃべりすぎだろう。すくなくとも、アルケイナ情報機関はこいつをエージェントとして採用するべきではない。
タブレットの五番カメラの映像は相変わらず白い湯気に覆われていたが、六番カメラの画角にヌール夫人の姿が入ってきた。シオンが六番カメラを拡大表示する。
ヌール夫人は、右肩にグロードをかつぎ、左の小脇にイルーディを抱えていた。気絶しているふたりを並べて寝かせ、肩をまわし、腰をひねる。グロードとイルーディは連携して二体一の勝負を挑んだようだけど、ヌール夫人の相手にはならなかったようだ。
「あとはあなただけですね。白旗でも上げますか?」
「いや、もうひとりいる。彼女はなかなか強いというか、元素術者では倒せないはずだ。楽しみな対戦だね」
イスハルドがわの工作部隊は、この部屋へやってきたリヒトたち三人だけではなかったらしい。たしかに、これまでずっと大股で前に進みつづけていたヌール夫人が、慎重に闇の中をうかがっているように見える。
ヌール夫人が右手を払った。画面内で、一瞬なにかが赤熱して、すぐ消える。さらにヌール夫人が左手の人差し指と中指を伸ばして軽く振ると、画像が乱れるとともに左下に火花が散った。画面外で爆発が起きたようだ。
ずぅん、とわたしの耳に直接音が響いてきて、テーブルが揺れた。ヌール夫人はもうすぐ近くまできていて、戦いはとなりの空間で起きているらしい。
シオンが七番カメラを操作する。画面は二分割され、ヌール夫人と、相対するイスハルドがわの術者がそれぞれ映し出された。
七番カメラに映ったのは、闇の中でも目立つ銀髪に、紫の眼の少女。歳のころはわたしとほとんど変わらないように見える。白いレースのキャミソース姿で、肩とふくらはぎから先をあらわにしている。
服装の不真面目さはとりあえずおいておいて。
少女が指を擬すと、半瞬後にヌール夫人が手を振ってなにかを空中で撃ち落とす。ヌール夫人が放つ熱線は、少女の全身を覆う見えない球体の表面ではじかれていた。
「エーテル術者?」
「そう。彼女、フェンリッタはイスハルド史上最高のエーテル魔法の使い手だと言われている。実際、全周囲にエーテル防壁を展開できる術者は、僕も彼女のほかに見たことがない」
エーテル次元は、わたしたちが存在している通常空間のすぐとなりにくっついている世界だ。エーテル術の使い手は、イセリアルにモノをしまったり逆に取り出したり、あるいは通常空間に比べて時間の進みがきわめて遅いことを利用して、イセリアルを経由することで実質的に瞬間移動ができる。
そして、エーテル次元の“物質”を直接こちらの世界に持ってくれば、絶対に壊れない足場や壁になる。ただし、エーテル世界のモノは本来通常空間には存在できないので、術者はずっと集中して維持をつづけなければならない。
どんなにすごい爆発が起きようが、エーテルの壁に覆われていれば理論上無敵ということになるが。
ヌール夫人とフェンリッタの牽制合戦はしばらくつづいた。お互いの攻撃が相手に届かない。
フェンリッタの攻撃をヌール夫人が撃墜できているということは、フェンリッタはエーテル質で攻撃をしているわけではない。エーテル次元にしまい込んである通常物質を弾丸代わりにしているのだ。
『無駄よ婆さん。グロードとイルーディおいてけば赦したげるから、帰んなさい。一番上でやられたリヒトは、もう魔取に回収されちゃっただろうし諦めるからさあ』
あざけりの声を上げるフェンリッタに対し、ヌール夫人はただ爆炎の術で応じる。紅蓮の渦が薄衣の少女を覆うが、球形の絶対防壁は火も熱もとおさない。
『だから効かないっての』
フェンリッタは余裕の表情と口調だが、わたしにはもうヌール夫人の勝ちが見えていた。
エーテル術の、とくに壁や足場を出す魔法の弱点は、術者の集中力には限界があるというところだ。フェンリッタは球形のバリアをずっと維持していなければならない。防御する面を減らして耐えられるほどヌール夫人の攻撃は甘くない。このままなら、さきに力尽きるのはフェンリッタのほうだろう。
フェンリッタ自身はともかく、イスハルド情報部の上役とシオンがその計算もできてないほど間抜けではないはずだが……案の定、動いた。
シオンが両手の指を組み、印を切った。これまでずっとタブレットで観戦だけをしていたわけではなく、唯一残ったままになっている瞬間移動禁止の結界を解除する方法を探っていたのだ。
そうくるとは、思っていた。
《おかみさん!》
わたしもここまで伏せておいたカードを切る。瞬間移動封じがイスハルドがわに破られたことを、精神伝言でヌール夫人へ連絡。
ディアスポラ参事官は、各種魔術抑制結界を解除した時点で、わたしの封魔具も停止させていたのだ。
「ペティカ、きみは……!」
「おたがいさまでしょう?」
さすがに警戒の色をあらわにして椅子を立ったシオンへ、わたしは座ったままこともなげに応じた。
いますぐ行動すべきか暫時迷っていたようだが、シオンは不敵な表情を取り戻して椅子に座り直す。
「まあ、そうか。双方一アシストずつ。これでどう決着がつくか、見てみようか」
タブレットの画面上では戦況が動いていた。瞬間移動禁止が解除されたことを察知したフェンリッタは、エーテル次元から取り出した弾丸を、ヌール夫人の背後から放ったのだ。自分自身は移動せず、弾丸だけを送り込む。
死角からの予期せぬ一撃。
だが、ヌール夫人はわたしからのメッセージを受け取っている。フェンリッタが攻撃起術をしたのに前から弾が飛んでこなかったことで、ヌール夫人はどこから奇襲があるかを読み切った。さすが歴戦の勘。
必中のはずの初見殺しを避けられてフェンリッタは動揺したが、自分の防御は破られないと思い直して、つぎつぎと攻撃を繰り出した。
——わたしたちがタブレットの画面に目を戻したときには、フェンリッタが角度を変えながら転送弾を撃ちまくり、ヌール夫人はそれらを躱し、熱線で迎撃するという場面が展開されていた。
「……ペティカ、きみはリアルタイムでフェンリッタの思考を盗んでヌール夫人に伝えているのか?」
「さすがにそんなすごいことはできませんけど?」
「では、なぜフェンリッタの攻撃は当たらないんだ」
「彼女の攻撃は、単調すぎます」
シオンの疑問にわたしは端的な答えを返したが、彼はタブレット上での攻防をしばらく見て、首を左右に振る。
「フェンリッタの攻撃はしっかりランダム化されている。統計が取れるほど回数は重ねていないし、クセを読むだけでは回避が間に合わないはずだ」
「いいえ、ワンパターンですよ。全部空間転移攻撃じゃないですか。読みを外したいなら、通常射撃も織り交ぜないと」
「……きみは、魔術行使に制限がない状態での実戦経験もあったり?」
「いいえ。連邦軍の戦術教本は、陸海空いちおう全部読みましたけど」
シオンは寸秒あごに手をやって考え込む仕草をしてから、席を立った。懐からサインペンていどの長さと太さの棒を取り出す。ガラスではなさそうだが、透明な素材。
「決着まで見ているまでもなさそうだ。焔の女帝には勝てない、イスハルド上層部の判断は正しかった」
「いまさら、逃げられると思ってるんですか?」
ずいぶん舐められてるな、と思いながら問いただすと、シオンは大真面目な表情でこっちを見返してきた。
「逃げようとは思ってないよ。——ペティカ、僕といっしょにきてほしい」




