3—6:隠された予言書
シオンが30年前の戦争の当事者でありながら、年齢不詳の美貌を保っている理由はわかった。アルコーンは、外見でこそふつうの人間と区別できないが、きわめて寿命が長いのだ。不慮の事故に遭ったり、暴力で生命を奪われたりしなければ、800年は生きられるのだという。
アルコーンがわたしたち短命の人類種より長い歴史を持っているという点も、およそまちがいないと言われている。
金色の妖美な眼でわたしを見つめ、シオンが口を開いた。
「アルケイナ政府が、ラ・ヴィヨンの予言を詳しく分析するための極秘研究組織を100年以上維持しているという話は知っているかい?」
「聞いたことないですけど、ラ・ヴィヨンの予言はずっと研究対象になっていて、その解釈についていまでも激論が交わされているというのは知ってます」
わたしは首を左右に振った。どうやら、シオンは心底から「アルケイナ政府肝いりの極秘ラ・ヴィヨン研究組織」の実在を信じているようだ。いまわたしにわかるのは、シオンはウソをついていないということだけで、ラ・ヴィヨンの予言を秘密裏に研究している組織が本当にあるのか否かについては判定できない。
……アルケイナ国内にとどまらず、全世界に研究者がたくさんいる課題について秘密主義を貫いても、意味ないと思うんだけどな。
「ラ・ヴィヨンが大予言者として注目されるようになったのは、彼の没後70年もたってからのことなんだ。およそ120年前に、この地に分立していた五ヶ国が統合され、アルケイナ連邦が成立した。そのさい、それぞれべつの尺度で運用されていた各国の身分制度は一律廃止となり、法的には全人民が平等であるとされるようになった。ヴィヨンはそのことを予言していたのだと、とある古文書蒐集家が気づいたときには、もう連邦の誕生から20年近くが経過していた」
「そうですね。そして、それまでにラ・ヴィヨンのオリジナルテキストはすくなくとも八部複写されていました。アルケイナ政府が予言書を独占し、内容を秘匿するには遅すぎる」
シオンの述べた歴史的事実を肯定し、極秘研究組織を立ち上げる意味はないことを指摘すると、もはやこの地上に1000人残っていない古代人の生き残りは、皮肉の笑みを浮かべる。
「逆に考えてみないかい? まだ八部しかなかった。そして、内容を知っている人間の数もかぎられていたんだ」
「アルケイナ政府が、その当時存在していたすべてのラ・ヴィヨン関連の文書を回収して、改竄を施したっていうんですか?」
「不可能じゃないだろう? まださほど多くない研究者や古文書好事家の記憶は、心理術者に書き換えさせればいい」
わたしはしばらく考え込むことになった。
すべての証拠が消された完全犯罪が行われたのだと主張しても、証明は理論上不可能だ。証拠がなにもない犯罪を捏造し、無実の容疑者が仕立てられている可能性のほうが高いと判断するのが常識的な考えかただろう。
だが、いまの状態のシオンがわたしを騙すためにそんな稚拙なウソを吐く意味はほぼない。すくなくともシオンは、アルケイナ政府がラ・ヴィヨン予言の改竄を行ったのではないかと疑うのは、充分合理的な範囲だと確信している。
アルケイナ政府は100年前の時点でも、マイナー分野の数十人の研究者や特定地域の古書の蒐集家・ディーラーを全員捕まえ、義憶操作を使って、発見されていた真実を書き換えてしまうていどの力は持っていただろう。それはわたしも否定しない。
しかし。
「……たった一部、それどころか、断片一ページでも、改竄前のラ・ヴィヨン予言書が出てきてしまったらアルケイナ政府の隠匿は破綻する。アルケイナにおける複写文書は、魔法による完全コピーです。写本の手書きミスの継承や使われている用紙の製造年から、どこかの修道院、あるいは歴史ある旧家の蔵書が原本なのだと割り出していける、一般的な古文書とは異なります」
「一部くらいあらたなオリジナルが出てきても、そっちのほうが改竄されたバージョンなんだと主張すればいいだろう?」
「いいえ。残留魔力の測定で、その物品が魔法的な作用を何回、何年前に受けてきたのかは割り出せる。あなたの改竄説が正しいなら、現在流布しているラ・ヴィヨン予言書は、一番古いものでも102年前に内容を書き換える魔法を使用されていることになる。それより長く魔法にさらされていない予言書があったら、内容の精査は必要ない。無条件でそちらがオリジナル。200年ていどなら残留魔力は完全減衰しない」
ぱちぱちぱちぱち。
シオンは真顔で拍手していた。わたしを試していたというわけではなく、本心から感心している。
「すごい、きみは天才だ。その手があったね。……やることができた」
「持ってるんですか、ほかと内容が異なるラ・ヴィヨン予言書を」
「僕の手元ってわけじゃないけどね。どこにあるかは知ってるんだ」
そう言ってシオンは椅子から立ち上がり……そこで動きを止めた。わたしも気がついた。せまくて窓のないこの部屋に向け、だれかがやってくる。
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シオンが魔術干渉無効化を自身に展開し、ドア口のわきに立った。
ノックの音が響く。不規則な間隔を空けて、リズミカルに。
シオンがロックを解除した。どうやら、お仲間のようだ。
「話はどうなった?」
「さすがに、いきなり全面協力はしてくれないって。でも、きわめて重要なヒントを教えてくれたよ。これはきみらのボスに教えてあげる価値があるんじゃないかな」
「話せ、上には俺から伝える」
「きみが無事に戻ったらね。いま超機密情報を頭に入れちゃダメだろ?」
「俺が負けると思っているのか?」
「負けて拘束される以外にも、情報流出の可能性はあるんじゃないかな」
「……ちっ」
扉を半開きにした褐色の肌の大男と、シオンが会話している。
去年の秋に摩天楼街でライル王子を襲撃してきた、ルミナスフィア王弟ガゼイ派の工作員とは、またべつの組織みたいだ。ルミナスフィアの王位を争っている人たちは、ラ・ヴィヨン予言には興味を持っていないだろう。
シオンの立ち位置は、傭われのフリーランス工作員といったところなのか。
「とりあえず、言われたもの持ってきたんだけど」
女性の声とともに、扉の陰から手提げ袋を持った華奢な腕が伸びてきた。シオンが受け取る。
「ありがとう。もうこっちの用件はすんだんだけど、せっかくだからいただくよ」
「そろそろくるわ。それ食べながら観戦してなさい」
「いますぐ撤収するなら、まだ間に合うと思うけど。やるのかい?」
「魔女どうすんのよ」
「こちらの行動理念は伝えた。否定も肯定もされていない。非常に有意義な情報を教えてくれたんだ、中立よりはこっち寄りだよ、彼女は。今回はこのまま帰ってもらっても支障ない」
わたしを解放するつもりだとシオンが言ったとたん、半開きだったドアが勢いよく動いて、戸板が壁に衝突した。
「だからこんなやつを作戦に加えるなってオレは言ったんだ」
苛立ちをあらわにしながら部屋に入ってきたのは、金髪を針山のようにしたパンクなヘアスタイルの少年だった。
差し入れを持ってきてくれたらしい女性といい、この少年といい、感度最低限の感情検知には引っかかっていなかった。こうして実際に姿をさらすまで、わたしは気がつけていなかったということは、かなりの訓練を積んでいるのはまちがいない。
わたしのほうへ詰め寄ってこようとする少年の腕を、シオンがつかむ。
「彼女にはなにも強要しない、それが今回の作戦の条件だったはずだ。そちらのボスも承認している。だいたい、彼女になにかを命じることはできない。自主的に協力してもらうしかないんだ」
「予言の最強魔女だろうが、いまは首輪つきだろうが。べつに物理的に転がしてから運びゃいいんだ」
「はっきり言うけど、きみだと魔法の99%を封じられてるいまの彼女にも勝てないよ」
「ほぉう。そんなら、試してみるか」
シオンの手を振り払った少年の指先から、スパークが奔る。どうやら電気の力を操る、上級の風術者のようだ。地下とはいえここもドラゴンハート市内、封魔結界が作用しているから、人間を気絶させるような出力の電撃を放つことはできない。
なので、わたしは少年のことをそこまで脅威に感じなかったが、さきに動いたのは差し入れを持ってきてくれた女性だった。水色の髪を長く伸ばし青い眼をした、険の強い顔立ちだが、美人だ。
「リヒト、あんた、なにと戦うためにここまできたのよ」
「……なんでおめえまで止めんだよ、イルーディ」
「ここで棄却術者の機嫌を損ねたら、どうなるかの想像もできないワケ? 魔法抑制空間は解除されないまま、制限魔法取締課から一方的にボコられるだけよ?」
「先鋒譲れ。それで我慢してやる」
「あたしはいいけど。グロード、あんたは?」
「好きにしろ」
「そんなら、マトリの精鋭のほうがやりがいあるか。……今日はツイてたな、魔女っ子」
リヒトと呼ばれた少年は、わたしへ向け捨てゼリフを残して、小部屋から出ていった。
イルーディというらしい女性、大男グロードもそのあとにつづく。
「あの人たち、制限魔法取締課相手に戦うつもりなんですか?」
残ったシオンへ訊ねてみると、カラスの濡羽色の髪をした青年は肩をすくめる。
「その様子をモニターするようにと、彼らの上役から頼まれてる。予言の魔女であるきみとの接触は、僕と彼ら共通の目的だったけど、こっちはオプション依頼でね。……とりあえず、まだ冷めきってないから、さきに食べようか」
そう言って、シオンはイルーディから受け取っていた手提げ袋を開けた。魔法干渉無効化をふたたび解除し、たくらみはないことをしめす。
「なんで食べるものの用意をしてたんですか?」
「もうすこし話に時間がかかるかと思っていたからね。好きなほうを選んで」
テーブルにふたつ並んだのは、手のひらからあまるサイズの、紙製の四角いコンテナ。「満腹ドラゴン」というチェーン店のテイクアウトメニューだ。イメージキャラクターである、膨れたお腹を抱えたドラゴンのイラストが描かれている。
てきとうに片方手にとって開けたら、焼きビーフンだった。具は海鮮みたい。こっちでいいや。
付属の割り箸でつまんで食べる。エビとイカに、キャベツ、もやしがビーフンと一緒に炒められていて、オイスターソースが効いている。キクラゲが混ざっていて、そのコリッとした歯ざわりが悪くない。
あまったほうをシオンが開ける。湯気が上がった。汁っぽい?
「スープですかそっち?」
「フォーだね。鶏ダシだから……フォー・ガーのほうか」
「それも美味しそう」
「シェアする?」
「そこまででは」
期待してなかったから手についたほうにしたけど、ちゃんと両方中身確認すればよかった。ふつうにビーフンもいけますが。
……食べ終わったところで、シオンはテーブルの上にタブレットをおいた。さっきはわたしから予言書の改竄・編集履歴を見破る方法を聞いて、すぐにでもたしかめに行こうとしていたけど、オプション依頼とやらのほうが優先順位が高くなったのだろうか。
タブレットの画面は八分割されていた。その中のひとつは、いまわたしたちがいる小部屋を外から撮っているとおぼしき映像だ。リヒト、イルーディ、グロードが歩いているところを捉えている映像もある。
「これは魔法の中継ボットではなく、機械式のカメラが撮影している動画だ。この国で使うなら、そっちのほうが妨害に強いからね」
シオンのその説明で、わたしはリヒトたち三人が所属する組織の背後になにがあるか悟った。たぶん、シオンは隠すつもりがなくて、わたしに気づかせるために言ったのだろう。
「いまあなたを傭っているのは、イスハルドですね」




