3—4:フロストピークの魔女
魔女の日の回想、後半です。
フロストピークを囲む森は深いけど、村から近い部分は原生林ではない。この地に人が住むようになってから1000年あまり、日々の煮炊きの薪や家屋を補修する材木を得るために伐り倒されては、つぎの若木が早く育つように下草を刈って整えられてきた、村の共同財産である。
切り株からふたたび伸びてきている樫の木のひこばえ、焚きつけに使うために剥がされた樹皮が再生しつつあるシラカバ、薄暗い林の中でも目立つナナカマドの赤い実……それらのあいだを走り抜け、せせらぎを目指す。
森の中を流れる小川が、村の西の境界線だ。そのさきは、アカマツやスプルースの樹冠が天を覆う、真昼でも真っ暗な天然の森になっている。
……小川のこちらがわ、共同林のはしで、シィナちゃんを見つけた。ひときわ大きなオークの切り株を背に、恐怖と絶望にあらがっている。
シィナちゃんを取り囲み、彼女の限界を待っているのは四頭のオオカミだった。
ときおり出し抜けに飛びかかっては、見えない壁にぶつかって、不服そうな唸り声をあげながらまた退がる。
シィナちゃんは八歳にして魔力を発現させた、フロストピークきっての天才児であった。
彼女が使うのはエーテル術であり、魔法の壁を作り出したり、見えない足場を浮かべて空中を歩いたりできる。瞬間移動や召喚術も、エーテル魔法の一種だ。
……ただし、エーテルの壁は、術者本人が意識を集中させていないと消えてしまう。オオカミたちが、不可解な現象に直面しているにも関わらず諦めないのは、シィナちゃんのおびえと、じょじょに高まっている錯乱を嗅ぎ取っているからだろう。もしかすると、最初は足場を浮かべて空中に逃げていたシィナちゃんは、魔法のコントロールを失って地面に落ちてしまったのかも。
オオカミなど犬の仲間は、獲物の感情を嗅覚で読み取ることができる。生き物の汗や皮脂が揮発したほんのわずかな匂い分子から、相手が怒ったのか気おくれしたのか判断できるのだ——と、学校の図書館にあった動物図鑑に書いてあった。
「だれか……だれかきて……」
シィナちゃんの気力は尽きようとしていた。オトナの到着を待っていたのでは手遅れになるだろう。わたしがやるしかない。
能動的心理術のほとんどは言語依存の効果であり、動物には作用しない。と、ラ・ヴィヨンが集めていた心理術の呪文書には記述されていた。
必要な魔法を脳内でリストアップ、発動手順を確認する。
わざと枯れ枝を踏み折りながら川辺のひらけた空間へ進み出たわたしのほうへ、一斉にオオカミたちが振り返ってきた。
動物にもおどろきの感情はあるんだな、とあらためて実感したわたしへ向かって、ひときわ大きい一頭のオオカミが近寄ってくる。
たぶんこいつは、群れの長だ。こいつを潰せば、残りは逃げてくれるかもしれない。
誇り高き森の王として、狩りを邪魔だてする人間を位負けさせるべく、眼光で射すくめようとする——それこそがつけ込みどころだ。
黄色いオオカミの眼に視線を合わせ、練り込んでおいたイメージを撃ち込む。動物にも理解できる死の概念——落雷。
オオカミの脳内で電閃が奔った。実際に雷の直撃を受けたかのようにアドレナリンが異常分泌され、生体電流が暴走する。
心臓が破裂し、網膜の毛細血管が極端な血圧変化に耐えられずにはじけ飛んだ。黄色い眼を赤く染めながら、オオカミは斃れる。
……うまくいった。
だが、長の死を目の当たりにした三頭のオオカミの選択は、逃亡ではなかった。長は死にぎわに体臭でメッセージを残したのか。それは人間への恐怖ではなく、憎悪だったというのだろうか。
襲いかかってくる二頭めの眼前へ、わたしは右のこぶしを伸ばす。反射的に食いついてきたところで、高めておいた神経伝達速度で腕を引き、追いすがってきたオオカミの頭へ顔を近づけて視線を合わせる。
こちらも即死。
三頭めは、もう心理術で可能な人間の限界反応速度では躱せない間合に入り込んでいた。左腕に牙が突き立つ。神経遮断で痛みは感じないが、オオカミは獲物に食らいついたら激しく頭を振る習性を持っており、三秒で肘からさきをもぎ取られてしまう。
わたしは右手でベルトに吊ってあるナイフ(山里の住民は老若男女全員携帯している基本ツールだ)を抜いて、三頭めの頸動脈を掻き切る。左下膊にオオカミが噛みついてから0.4秒。こちらのダメージは最小限で収まった。
四頭めはわたしののど頸を狙って地を蹴っていた。わたしは身をよじって、ほんの30センチメトラほどながら距離を稼ぎつつ、空中で顎を開いた四頭めの眼を視線で射抜く。
そのまま四頭めに体当たりされ、わたしは地面に倒されたが、オオカミの顎が閉じることはなかった。死んでいる。
オオカミの屍骸に下敷きにされた状態から抜け出し、ひとまずわたしは着ているワンピースの裾をナイフで裂いた。左腕の止血をしないと。
……と、助かったはずのシィナちゃんが、まだ恐怖に震えていると、感情検知に反応があった。
「もうだいじょうぶだよ、シィナちゃん」
安心させようと声をかけたのに、シィナちゃんの貌は慄きで引きつったまま。
「あ、あなた……ティカおねえちゃんじゃ……ない……だれなの……」
《落ち着いてシィナちゃん》
わたしがすこし強く言うと、シィナちゃんの表情が消えた。ただ黙って、切り株のかたわらに座りつづける。
そこへ、シィナちゃんとわたしの名を叫びながら近寄ってくる、オトナたちの声が聞こえてきた。
+++++
わたしは自宅の、自分の部屋のすみっこに座っていた。左腕の傷は、駆けつけてきた父ライオネルが治してくれたが。
寄合所で激しい議論を交わすオトナたちの、音でなき声が、聞こえてくる。
〈どうしてうちの村に魔女が現れなきゃいけないんだ〉
〈心理術でオオカミを殺したなんて話、聞いたことないぞ〉
〈なぜ私の娘が……〉
〈ライ……おまえがノルデンスクに残ってさえいれば、こんなことにはならなかったのに。エルは死なずにすんでいたし、わが一族から忌まわしき魔女が現れたりもしなかった。……どうして、こんな掃き溜めに〉
〈シィナはいったいどうしてしまったというの? オオカミに襲われたショックで? それとも、レティシアの娘のせい……?〉
〈ペティカちゃんはシィナちゃんを助けるために、まっさきに走っていったんだよ。もうすこしそこに感謝が必要じゃないのかね?〉
〈四頭のオオカミを鮮やかに仕留めるとは、見事なものじゃが〉
〈下手な対処でクルト家に出ていかれたら、人口流出止まんなくなっちまうよ……最近ようやく歯止めかかったのに。けど魔女はなあ……怖すぎだろ無理無理〉
〈こういうときに限って村長いないの、なんで?!〉
〈まさか孫が心理術者になるとはねえ。うちの一族の始祖が500年前に呪医をはじめた魔女だったってえ言い伝えは、案外本当だったのかいな?〉
〈魔女は火あぶりって時代でもなし、魔法省に連絡はしたんでしょ? もう丸投げでよくない?〉
〈ペティカちゃんは絶対やべー魔法に目醒めるって思ってたが、まさか心理術とはねえ。推しがまさかの魔女になりましただよ、次回どうなっちゃうんだこれ?〉
〈あの娘に睨まれたら、私も目から血を噴いて死んじゃうのかな……〉
〈ペティカが魔力を発現したのはここ数日のはずだ。なぜ複数の魔法を使えるようになっている……? ナイフ一本、腕の負傷ひとつだけでオオカミを四頭倒すには、六種類は使いこなさなければいけないはず。心理術の呪文書がこの村のどこにあったというんだ〉
人間の思考はとりとめがない。いちおう、みんながみんな、わたしのことを人の皮被ったバケモノだと怖れ嫌っているわけではないみたいだけど。
耳をふさぎたい。でも、なかなかうまくいかなかった。だれかの心のつぶやきが、勝手に頭の中で響く。
「心理術だっけ……なんでこんな使い勝手悪いのよ?」
地味だけど便利な記憶術かと思ったのに。余計な機能が多すぎる。
ラ・ヴィヨン記念館で呪文書を読んでしまったのがまずかったのか。これは心理術の呪文書だ、って気がついたときにはもう遅かったんだけど。
〈なんでだれも姉ちゃんにカンシャしにこないんだよ!?〉
〈マ女かっこいいじゃん。どうしてみんな怖がるの?〉
不意に、弟妹の心の声が聞こえてきた。すぐとなりの部屋にいるのに、いままでは波長が合っていなかったみたいだ。
ウィルとセリタは、わたしが魔法の力に目醒めたことを純粋によろこばしいと感じてくれていた。そして、邪眼でオオカミを殺した黒魔女ではなく、シィナちゃんを救出した白魔女だと思ってくれている。
涙が床へ滴り落ちた。止めどなく、ぽろぽろと。
そうだった、わたしはべつに、すごい魔法が使えるようになりたいと思ったことはなかった。ただ、家族のみんなとこのまま平穏に暮らしていければそれでいいと。
……でも、もはやあと戻りはきかない。一度発現した魔力が消えることはないのだ。わたしはこのさき一生、心理術の力とつき合っていかなければならない。
涙をぬぐって、自分の心をロックする。もう泣かない。
自室から出て、弟妹の部屋のドアをノックする。
「ねえ、ウィル、セリタ」
「お姉ちゃん!」
セリタがすぐに飛び出してきて、抱きついてきてくれた。ウィルは三歩離れたところで、
「まだムリしなくていいんじゃないの」
とクールをよそおう。……本当は、セリタみたいに、まだわたしにべったりくっついていたかったんだね。姉ちゃんはその気持ちだけでうれしいよ。
「心配してくれてありがとう。もう外真っ暗になっちゃったけど、シィナちゃんに会えないかな?」
「呼んでくる。ヒツジベンチのとこにいて」
うなずいて、セリタはすぐに家から飛び出していった。
わがクルト家からシィナちゃんのサワダスト家までは、子供の足だと15分くらいかかる。
ヒツジベンチとは、牧草地と水飲み場のあいだを移動する羊たちが通う道と、村のメインストリートが交差する地点で、羊が通過しているタイミングに当たってしまうと小一時間待たされることになるため、休憩用のベンチがおいてある場所だ。ちょうど、わが家とサワダストさんちの中間あたりにある。
完全に陽が落ちている夜の村を、月光だけを頼りに歩く。灯りを持つとはるか遠くからでもよく目立つので、闇に目を馴らしながら。
暗黙で自宅待機処分となっている“魔女”が、夜道を勝手に出歩いているというのは、すくなからぬ村人たちにとって気味の悪いことだろうし。
いっしょにきてくれたウィルは、もしだれかに見咎められたら、わたしの弁護をするつもりでいる。その心意気がうれしくて、抱きしめてあげたくなるけど、同時に、弟の独立心も尊重してあげないといけない。
ヒツジベンチにたどり着いて、しばらく待つ。
セリタに連れられて、シィナちゃんがやってきた。その顔は人形のような無表情ではなくなっていたけど、まだぼんやりしている。わたしがかけてしまった操声の術が、抜けきっていないのだろう。
「ごめんねシィナちゃん。わたしはまだ魔法を使い慣れてないから、シィナちゃんにもかかっちゃったの」
シィナちゃんに声をかけながら、肩をぽんぽんとたたく。
術が解けたシィナちゃんと、わたしの目が合った。シィナちゃんの心に、“オオカミの群れを皆殺しにした怪物”に対する、恐怖感や嫌悪感は残っていない。
「ティカおねえちゃん、たすけてくれてありがとう。さっきはおれいいえなくてごめんなさい。びっくりしちゃったの」
「わたしこそごめんね。シィナちゃんはひとりでがんばってたのに、偉いよってほめてあげられなくて」
「かまれたところ、だいじょうぶ……?」
やさしい心遣いをしてくれるシィナちゃんに、わたしは左の袖をまくって、傷が残っていないのを見せる。
「……よかった」
お礼のハグをしてくれたシィナちゃんを、しっかりと抱きしめた。
シィナちゃんを助けることができた、それだけで、わたしの魔法には価値があったじゃないか。
望みはしなかった力だけど、いらない、消えてしまえとは思うまい。




