3—3:近くて遠き日の記憶
ペティカが魔女になった日の回想を、2話に渡ってお届けします。
フロストピークの夏は短い。
わたしの誕生日は暦の上では盛夏なんだけど、もう北の山脈の峰々は、頭に雪をかぶっている。
その年も、わたしの誕生日は平凡に、平穏に祝われた。わたしを入れて八人の、一家水入らずのとき。
「ペティカはいったい、どんな魔法を使えるようになるんだろうねえ」
素朴なナッツとドライフルーツのケーキの上に並べられた15本のろうそくを吹き消したわたしへ、期待の口ぶりでそう言ったのは、父方の祖母であるメイザばあちゃんだった。
そう、いつまでも役に立たない、落ちこぼれの孫を咎めたり、責める調子ではなかった。
15歳を迎えてもまだ魔法の力が発現しないというのは、アルケイナ国民としてかなり遅いほうに入る。戸数22、総人口180のフロストピークの村に、数え15歳はわたしをふくめて四人。わたし以外の三人はもう魔法を使えるようになっていて、家の仕事を手伝っていた。
「ぼくのほうが、姉ちゃんよりさきにマホウ使えるようになっちゃうかもね」
生意気なこと言ったのは、弟のウィル。この前までは「おねえちゃん、おねえちゃん」とわたしにべったりくっついて離れない子だったくせに、10歳になるなり急に距離を取るようになった。手間がかからなくなっていいけど。
「きっとお姉ちゃんはねえ、すごいマホウが使えるようになって、しはん学校に行くことになるんだよ」
双子の片割れとちがって、姉の威厳をまだ信奉してくれているのが、妹のセリタだ。でも最近はウィルといっしょに、やかましい変な音楽を聞いている。歳の差以上に、同じ日に生まれてきた双子としてのつながりの強さが、弟妹とわたしとの趣味趣向の溝になっているような気もする。
……このときは、まさかセリタがドンピシャの予言をしていたなど、もちろんだれにもわかっていなかった。わかりようのないこと。
+++++
わがクルト家は、総員八名。
父のライオネルは生命術者で、フロストピーク唯一の医者だ。働き盛りの世代のうち、三人にふたりは出稼ぎのため、ふだんは村から離れている(なので帰省時期は300人ちょっとに村民が増える)中、わが家の両親がそろっているのは、父の職業上の事情である。
母のレティシアは水術者で、とにかく大量の水を出すのだけは得意だった。たっぷりと清水を供給できるというのは、医者の助手に向いている。
母方の祖母のイーディスは土術者で、土づくり、とくに薬草がよく育つ土壌を整えるのに長けていた。じつをいえばフロストピークでずっと医療をまかなってきたのは母方の家系で、父は外からやってきて母と結婚し、伝統的な薬草医から即効性のある魔術医療に家業を転換させた人だ。
母方の祖父グランは、変化術者で、典型的な自己強化タイプだった。真冬の豪雪を突っ切って急患を搬送する、頼りになる人間救急車だ。
そして、さきほどご紹介した父方の祖母メイザは、幻術者で、人にまぼろしの感覚を与えることができた。痛みを緩和したり、苦い薬を甘いと錯覚させたりと、これまた医療のサポートに向いている。
このオトナ世代五人と、わたしペティカに、双子の弟妹ウィルとセリタがいっしょに住んでいる。
ちなみに、メイザばあちゃんが同居するようになったのは、三年前からだ。息子ライオネルが辺境のフロストピークで結婚して医者をはじめてからも、10年以上父方の祖父母は、ノルデンスクという大きな街にある自分たちの医院を運営していた。
父方の祖父エルネストは、理論術者であり、患者の病状を的確に分析し治療を施す、技術医であった。
医師夫妻の息子として生まれたライオネルが生命術の力を目醒めさせたとき、エルネストとメイザは、規律の女神の祝福があったと大いによろこんだそうだが。
エルネストじいちゃんは三年前に亡くなってしまい(そのとき父ライオネルはフロストピークで多発していた悪性肺炎の治療にかかりきりで、実家に戻れなかった)、ノルデンスクの医院を閉めて、メイザばあちゃんもこちらで同居するようになったのだった。
メイザばあちゃんが合流して以降、フロストピークの医療体制は北辺の寒村とは思えない充実ぶりで、村中から感謝されているけど。
……誕生日をすぎてからのわたしは、ひまだった。
同い年の子たちは、みんな忙しいのだ。まだ魔法を使えないわたしは、やれることがほとんどない。
地元の九年制初等学校は先月卒業してしまって、高校に通うなら村から出なければならなかった。
どんな系統の魔法が使えるようになるにせよ、もちろん一般教養の勉強は無駄にならない。だから学校には通うべきで、いちおう、一番近い地方都市の高校に入学申請はしてあった。新学期が近くなってきたら、引っ越しの準備をしなければならない。
ただ……わたしはギリギリまでさき延ばしにするつもりだった。風魔法の力に目醒めれば、実家から直接空を飛んで通学できるのだ。転移術者になれれば、なおいい。
けっきょくのところ、わたしは実家が医院であり、経済的な余裕のあることに甘えて、魔法が使えるようになるまでは子供でいよう、使えるようになっても、学校に通っているあいだは、実地での魔法労働者になる必要はなかろうと高をくくっていたのだ。
その日のわたしは、時間を持てあましたまま、卒業したはずの学校の図書室へ行って、本をなんとなくパラパラと流し見してから家に帰った。
自分の変化に気がついたのは、その翌日。
……わたしの、決して性能が良いほうではない脳が、昨日図書館で見た本の内容を全部憶えていたのだ。まさに「見た」だけで、読んですらいなかったのに。
「これ……魔法なのかな?」
両親と祖父母はもう医院で診療をはじめていて、ウィルとセリタが謎のガールズバンド(女の子たちの可愛らしさと騒音のギャップがすごい)の曲を垂れ流しにする中、わたしはつぶやいていた。
とりあえず教科書を流し見る。頭に入ることを拒絶しているとしか思えない、心躍らされる要素皆無の、楽しくない情報の羅列。
——あらやだ、全部憶えちゃった。
これは魔法だ。ちょっと地味だけど、すごいことは間違いない。
目で見るだけで本の内容を全部憶えられてしまう魔法って、なんだろう。理論術の一種かな?
九年分の全教科の教科書を残らず頭に詰め込んだわたしは、面白くなってきたので、ふたたび学校へ出かけた。
……ぶ厚くて面倒くさそうな本から順に、かたっぱしから流し見る。とりあえず脳に刻まれるけど、意味がわからない文章も多かった。それならばと、辞書を摂取。
お、わざわざ読み直さなくても、前に取り込んでおいた本の内容がわかるようになったぞ。これなら、読む順番は気にしなくても良さそうだ。なかなかの魔法に目醒めたんじゃないのわたしってば?
わたしは目につくかぎりの本を脳内にしまっていった……わけではない。読んでいて退屈な、専門書や事典を重点的に取り込んで、物語の本はのちの楽しみのために取っておいた。犯人とトリックについてわかってしまっている推理小説ほど、あとになってからじっくり読んでも虚しくなる本ってないじゃない?
それと、両親や祖父母の蔵書には手をつけられなかった。わたしが急に本の速読をはじめたら、家族は怪訝に思うに決まっている。まだわたしは、家族に自分の魔法について話すつもりがなかった。自分でもよくわかっていなかったからだ。
単に文字情報をひたすら丸暗記できるだけの魔法だったとしたら、理論術の中ではかなりハズレだ。亡くなってしまった祖父エルネストのように、患者さんの適切な病状分析をして、効率的な治療方法を導き出せる魔法も使えるようになればいいんだけど。
場合によっては、いま通う予定になっている一般教養課程ではなく、理論術者専門課程に転課する必要があるかもしれない。
……三日もしたら、読める本がなくなってしまった。しかし家族の本棚をあさるのはまだリスクが高い。学校の図書館以外に、このド田舎でたくさん本のある場所といえば。
そうだ、一ヶ所あるぞ。
ラ・ヴィヨン記念館。このフロストピークから世に出た、ただひとりの歴史的人物をしのび、生家が保存されている。記念館とは名ばかりの単なる物置と化しているけど、古文書が大量に保管されているのだ。
村唯一の史跡であるから、歴史でも、現代社会でも、課外授業になればかならず見学に行かされた。
意味がわからないどころか、なんて書いてあるのかすらわからない本ばかりおいてある、退屈な場所としか思ってなかったけど。いまなら、理解できないにしろ、読み上げるだけならいけるだろう。
思い立ったら即実行。うちから20分も歩けば着く。
「こんにちは」
「おや、ペティカちゃん。社会科見学でもないのにくるなんて、めずらしいね」
記念館前の受付小屋でわたしを迎えてくれたのは、管理人のノラさん。最後の予言者ラ・ヴィヨンの、弟さんの血を曳く子孫でもある。
「今月いっぱいで、この村ともしばらくお別れですから。フロストピークたったひとつのお里自慢のタネくらいは、じっくり見ていこうかなと思いまして」
「……そっか、ペティカちゃんももうそんな歳なんだねえ。ゆっくりしていっておくれよ、どうせだれもいないからね」
「ありがとうございます」
ノラさんに鍵を開けてもらって、わたしは記念館の戸口をくぐった。あまり広くなくて、壁は厚く柱が多い。冬場の雪の重みに耐えるための構造だ。
二階に上がって、ラ・ヴィヨンが書斎にしていたとされる部屋へ入る。雪が積もって建物を潰してしまわないよう、屋根は片流しになっていて、すみっこのほうはひざをつきながらでないと通れない。
古書に手の脂が染みてそこから虫に食われてしまわないよう、備えつけの手袋をはめて。
わたしはラ・ヴィヨンの蔵書を読みはじめた。思ったとおりというか、文章の意味はよくわからない。でも、文字としては読めるようになっていた。
(何時か余人、ことごとく知るならむ。我が言、一縷も違わず真実なりと……)
なにが書いてあるのかイマイチ理解できないまま、とりあえずラ・ヴィヨンの本の文面を頭に収めていった。そのうち、内容を解読するための知識に巡り合うだろうと期待しながら。
5冊、10冊、20冊……謎の文字列だけが脳内に溜まってきたところで。
〈——て、たすけて!!〉
いきなり、頭の中に声が聞こえてきた。
反射的に本を閉じて立ち上がり、周囲を見まわしたけど、もちろんだれもいない。
窓を開けてみる。
〈やだ、しにたくない!〉
声ははっきりと聞こえていた。村を囲む森、西のほうからだ。
階段を降りてラ・ヴィヨン記念館から出ると、ちょうどノラさんが深刻な顔で受付小屋の戸を閉めていた。
「あ、ペティカちゃん、いま、そっちに行こうとしてたんだよ。ささやきの術で緊急伝言がまわってきたんだけど、サワダストさんちのシィナちゃんがどこにもいないって……」
——そういうことか。
「西の森、川のあたりです!」
わたしはノラさんへそれだけ告げ、暮れるのが早まりつつある北国の太陽が沈んでいく方向へと全速力で走った。
身体の新しい使いかたがわかる。疲れを忘れて走りつづける方法、そもそもの脚力を限界いっぱいまで引き出す方法。
ラ・ヴィヨンの蔵書の一部は、彼が生きていた時代に編み出されていた、心理術の各魔法をまとめた呪文書だった。
最後の予言者、すなわち先見術の使い手であったラ・ヴィヨンが、なぜ専門外の呪文書を集めていたのか。
もちろん、このときのわたしには、その意味を考えている余裕などなかった。
第2話でアナスタシアとの会話にちょろっと出てきた「最後の予言者」ラ・ヴィヨンですが、ここにきてストーリーの縦軸でもっとも重大なキーワードとして浮上です。まあ、当人はとっくに故人なんで、遺した予言書が問題なんですが。




