3—1:さらわれた魔女
春のドラゴンハートを雨が洗う。
視界を覆い隠すほどの激しい豪雨にはならないものの、傘をささずに外を歩くのはためらわされるていどの強さで、10日降りつづくこともめずらしくないのだという。
ここは魔法の国アルケイナ。天候制御で長雨を止めろ、って苦情が気象局へ殺到するかと思いきや、そうでもなく、むしろむかしからの季節の雨が魔法によって維持されているというのは、以前にお話ししたことがあるとおり。
わたしには、そんなことをする意味がわからないんだけど。
火魔法でも、水魔法でも、風魔法でも、お外に干せない洗濯物を乾かす方法はあるから、そんなに不便を感じないのだろうか。封魔結界が出力制限をかけているから、火魔法で乾かすならそこそこ長時間熱を維持しないといけなくて、面倒なはずなんだけど。
……なんてことを考えている、いまのわたしには、雨にけぶる街の景色は見えていないし、水の音も聞こえていない。おそらく現在位置は、けっこうな深度の地下空間だろう。
わたしは古びたテーブルをはさんで、妖しげな雰囲気を醸し出す、不自然なまでに美貌の殿がたと差し向かいになっていた。
さらわれたのだ。
【CASE.3 止音の牢獄と伝説の焔】
発端は、研究のために行使制限魔法の使用申請書をお役所に提出してきた帰り道でのこと。
「チンタラ船になんか乗らへんでも、飛べさえすれば、うちなら20秒で帰れるんやけど」
横でぶつくさ言っている弾丸娘リリベル=ウィンクスといっしょに、わたしはエアゴンドラの停泊所へ向かっていた。
市内で個人が飛行するのは禁止だ。公共交通機関であるエアゴンドラや、ルート固定で無人飛行している配送コンテナ、警察消防などの緊急対応以外は、多重の魔術抑制結界が飛行・浮遊の魔法を阻止する。空を自由に舞っているのは、野鳥やコウモリに、虫くらいだ。
あまりに規制ガチガチで、「魔法の国の都」という言葉にロマンを抱いてこのドラゴンハート市に外国からやってくる人たちは、たいそうがっかりすることになる。
空飛ぶ絨毯や魔法の箒に乗って、摩天楼の隙間を縫いながら天翔る魔法使いの群れとかは見られないのだ。国民皆魔術師でありながら、ほとんどの住民が自前の魔法を使うことなく生活している。
日常生活で魔法が活用されている光景を見たいのなら、インフラが整備されていない地方へ行ったほうがいい。
文明社会とは、個人の活動を規制することによって成り立っているものなのだ。
——急にわたしが立ち止まったので、リリベルは三歩前に行ってから振り返った。
「どうかしたん、ティカ?」
「ベル、ささやきで警察に連絡できる?」
「なにが出たん?」
「まだはっきりとはわかんない」
感情検知のノイズカット閾値を下げて、わたしは表通りから雑然とした街区へ入り込む。
再開発の手が行き届いていない、二世紀前からほとんど変わらぬままの地域は、ドラゴンハート市の面積の三割ほどを占めているという。
わたしたちが重力指向の使用申請書類を出しに行った西第七区の役所も、かつて城壁があったころは市門通行税を取り立てる関所だった建物だから、半分遺跡みたいになっている。
むかしはいまほど各種魔法制限網がしっかり張られていなかったので、壁抜け、透明化、収納などの魔法を駆使する密輸業者と、摘発に血道を上げる当局の攻防は熾烈を極めていたそうな。
黄昏の旧市街には、シンクの泡のような、あるいは春の草原に咲き乱れる花々のように、さまざまな感情が浮かんでいた。辛気くさい陰鬱なものから、自分の肉体のことなど忘れているかのような歓喜まで、千差万別の精神波が脈打っているが、そのほとんどは移動していない。
わたしたちからさほど遠くない、90メトラほどの地点で、みっつの精神が強い感情をともないながら動いていた。ひとつは焦燥と恐怖、残るふたつは優越感と嗜虐の愉悦。
たとえるなら、ネズミとネコか。
三人は走っているのだろう、もうすぐ、わたしたちが立っている古びた石造アーチ橋にさしかかる。
「追い剥ぎか、ケンカ。ベル、警察に通報飛ばして」
「おっけー」
風魔法のひとつであるささやきの術は、簡単なメッセージを一方通行で送る魔法だ。具体的に受信者をイメージできれば相手が魔法使いでなくても送信できるので、かなり便利。
空を飛ぶだけが風魔法ではない。飛行以外の風魔法をご紹介するのは、今回がはじめてになりますが。
警察や消防の緊急通報受信システムは、ささやきを受け取れるようになっている。発信者が自分の術者固有情報を隠蔽することはできないので、いたずら通報をすればペナルティは重い。
つまり、ささやきで通報すれば、確実におまわりさんが様子を見にきてくれる。
わたしは傘をたたんで、橋の真ん中へ。細かい雨が周囲の音を通りにくくしていたけど、ようやく複数の足音が聞こえてきた。
見渡しの悪い石壁の角を曲がって、運河にかかる石橋へ走ってきたのは、追われる労働者ふうの中年男性ひとりと、追いかける自由業っぽい風体をした青年というほどには若さのないふたり組。
前方をふさぐ人影に、挟み撃ちされたかと恐怖で足がすくんだオジサンだったが、橋の真ん中にいるわたし、欄干がわのリリベルがともに制服姿の小娘だったので、状況がよくわからず半身で前後を交互にうかがいはじめた。
獲物が停止して追跡の勢いをゆるめた追手のふたりへ、リリベルが声を投げかける。
「通報したで。五分もせんとおまわりがくる」
「通報」という言葉に、逃げていたオジサンは、助かったという安堵でひざ頭に両手をおき、荒い呼吸を吐きはじめたが、自由業風ふたりには、警察がくるという焦りもなければ、余計なことをしたわたしたちへの怒りもなかった。
話に聞いてたとおりになったな——ふたり組の心理を言語化すれば、そうなる。
「ベル、緊急避難!」
わたしがリリベルへ警告すると同時に、ふたり組が動いた。ひとりはわたし、もうひとりはリリベルのほうへ飛びかかってくる。
異常なのは、そのスピード。
わたしは自己暗示で身体能力を限界稼働させ、襲いかかってきたチンピラにこちらから突っ込み、そのわきをすり抜けて背面がわへ逃げる。
リリベルは欄干を乗り越えて、橋から飛び降りていた。運河へダイヴしようというわけではない。緊急避難は魔法的な申請規約であり、文字どおり緊急事態に直面したさいに、都市全域を覆う魔術抑制結界へ例外処置を要求するものだ。
事件・事故に遭遇したときに、魔法が封じられているばかりに退避や救助ができず、被害が拡大したのでは本末転倒。妥当なプロトコル発動だったかどうかの詮議がのちほど行われるが、アルケイナ国民には緊急時に自分の魔法を使用する権利が留保されている。
けったくそ結界から解放され、リリベルの身体が空中に浮いた。魔具なしで超音速飛行はさすがにできないが。
チンピラどもは変化術者で、身体強化を使っているが空を飛べるわけではない。これで、リリベルの身はもう安全だ。
わたしは全力ダッシュで逃げる。身体強化されている相手を心理術による反応・筋出力増幅で倒すことはできない。あくまでも体格相応の限界で動けるようになるだけで、超人になる魔法ではないからだ。
ふたり組は、哀れなオジサンも、安全圏に離脱したリリベルも放置して、わたしを追ってくる。
そもそも最初から、こいつらはわたしを釣り出すために無関係なオジサンに因縁をつけていたのだ。わたしが心理術者であり、仕込みの自作自演で「被害者」を偽装わせても、ニセモノだとすぐにバレるとわかっていたから。
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身体強化の魔法も、当然ながら行使制限魔法であり、勝手に使うことはできない。しかし、荷役とか建設作業とか、身体強化術者がいれば仕事がはかどる現場は数多いので、起術自体は市内のいたるところでできる。
こいつらは、使用許可の出ているエリアで自身を強化してから、表へ出てきたのだろうか。認可範囲の外へ移動するときは解呪透過壁の張られた出場口を通らなければならないはずだが、バックドアの仕込まれている脱法的な現場もあるのかもしれない。
短時間休憩のたびに術をかけ直すのを単に面倒くさがる、あるいは、一日に一回しか自己強化を使えない、魔術的に未熟な作業員へ便宜を図るための裏口とか。
いずれにせよ、術の作用時間が切れてしまえば、また許可エリアに戻らないかぎり、チンピラどもに再度自己強化を使うことはできない。わたしはそれまで逃げていればいいのだ。
旧市街の、つづら折りになっている狭い石段を壁面で三角飛びしながら駆け昇り、飲み屋の勝手口横においてあるゴミバケツを足場に、庇を蹴ってさらに屋根の上へ飛び乗る。筋量増大を使っているあいつらは重たいから、ゴミバケツに乗ればフタを踏み抜いてしまうだろう。
……と思ったら、片方が壁に手をついて土台となり、その背を足場にしてもう片方が屋根まで登ってきた。わたしは屋根から古風な街灯へ飛び移って、灯火を吊り下げている横棒で大車輪して反動をつけては飛ぶのを二回繰り返し、通りの反対側の建物の上へ移動。さらに逃げる。
宵の口の下町は、決して人通りがすくないわけではない。わたしたちの追いかけっこに気づいて、ちらほら視線を投げかけてくる人がいる。そのうちのひとりでいいから通報してくれれば、リリベルのところにはもうおまわりさんがきているだろうし、さらに警察が出動してくるはず。
このあたりで、人の多いところへ逃げ込めばチンピラどもも諦めるだろう——とわたしが一度路地へ降りたところへ。
いきなり、追手のうちのひとりの精神反応が猛スピードへこちらへ迫ってきた。高い建物の上に登って、そこから大ジャンプしたのだ。
「うわ……まずっ」
砲弾のように落下してきた大男が、古い路面の石畳を砕きながらわたしの目の前に着地する。
……なんて頑丈なやつ。
屋根から降りたのは失敗だった。逃げ場がない。
地面にめり込んだ足を引き抜いて、大男がわたしのほうへ一歩踏み出し——
いきなり、わたしの真横から声が発せられた。
「おつかれさん。これで、あんたの役目はおしまい」




