2—13:決着
全長180キロメトラにもおよぶ、エアリアルレース・ドラゴンハーツ・グランプリ。
その最後のセクションである摩天楼街にトップで突入し、なおもまったく疲れ知らずの超音速を披露するリリベルの飛びっぷりに、ゴールゲート前スタンドは大歓声に湧いていた。
『C—4の恐るべき新人、ハードウェイヴのイナズマ、なんというスピードだリリベル=ウィンクス!? 装着魔具がすべて市販品だとは信じられない!!!』
テンション高くあおりぎみにまくし立てながらも、ちゃんと実況の人は小ネタのトピックを織り交ぜていた。
そういえばリリベルの装備って全部街のお店に売ってるんだよな、と、いまさらわたしもその異様さを再確認する。
グランプリ・レースに挑むトップレーサーたちは、みんな特注魔具を使っている。
リリベルがもしカスタム品をオーダーしていたら、さっきみたいなシケインゾーン以外、ずっと超音速で飛びつづけていられただろう。
その場合のリードは秒ではなく、分の単位になっていたかもしれない。
リリベルに遅れること4.972秒、マーズさんが摩天楼街に進入してきた。すでにリリベルは最高速である秒速376メトラに到達している。
摩天楼街の最外縁に沿って飛ぶこのセクションなら、リリベルは速度をまったく殺さずに周回が可能だ。
もう抜かれることはない……はず。
マーズさんのライド・ランスが限界出力を絞り出した。アナスタシア嬢が手にしている分析用ロジカル板にその加速度が表示される。
12G——
「なっ……」
アナスタシア嬢が絶句した。わたしはメイン大型モニタへ目を移す。
この世界の人間に耐えることのできる限界の加速度で飛ぶマーズさんは、たちまち超音速域に入り、クロエさんとゼファー先輩を抜き去る。
あっさりパスされたふたりにしろ、超音速は出しているのだが、マーズさんのスピードは一段階次元が上だった。
メインモニタは二分割画面となり、リリベルとマーズさんがクローズアップされた。それぞれの現在速度も表示される。
リリベルは変わらず秒速376メトラ。
マーズさんは……秒速416.5メトラ。
グランプリ・レース歴代最高速をマークしている伝説のレーサー、カジム=ハルニッシュが記録した秒速402メトラより、マーズさんはさらに3%以上速い。
「アナさま、これだと……」
「ええ、抜かれるわ。ゴール直前で」
わたしはなんとなく嫌な予感がしただけだったのに、アナスタシア嬢はもう計算をすませていた。さすが理論術者……ではあるんだけど。
一瞬ごとにリリベルのリードが減っていく。ゴールまでの距離もどんどん短くなっていくけど、それがゼロになる前に、リリベルとマーズさんのあいだの差は詰まり、無となり、逆転されてしまう。
「ベル……」
ああ、スパートに五回耐えることのできるカスタム・エア・グリーヴがあれば。あるいは最高速度をあと一割伸ばす改造ができていたら。リリベルの全力全開に、連続で三分耐えることができるっていう方向でもよかった。
「市販品でここまでの速さを見せつければ、間違いなくスポンサーに名乗りを上げる企業が殺到してくるわ。リリベルさんはたぶん、レギュラー・シーズンのレースには興味を持たないでしょうけれど、来年のグランプリにはフルカスタムの魔具で出場できる。つぎからは連戦連勝、クロエたちの課題をべつにすれば、今日の勝利にこだわりすぎることはないわよ」
アナスタシア嬢はさばさばした口調だった。
たしかに、市販品で並み居る超一流レーサーをことごとく抜き去り、同じく無名のダークホースとして現れたマーズさんと競って惜しくも敗れた——という成績は、今回が公式戦デビューのリリベルにとって、決して悪い第一歩ではないだろう。
それでも、あらゆる手を尽くしていれば勝てたレースだ。心残りがないといえばうそになるだろう。マーズさんに関しては、さっき聞こえてきた軍関係レーサーのみなさんとのやり取りからするに、レース後にちゃんとクロエさんと向き合ってくれれば、今後物騒なことになったりはしないと思うんだけど。
……と、メインモニタに映るリリベルが笑っている。正確には、表情としては変わっていないが。
このままではマーズさんに追いつかれ、抜かれると確信して、リリベルの心は躍動していた。
被写体の姿のみならず、その魔力的・心理的な動きまで中継しているという、聖銀竜オルシールアイクスの千里眼をとおした映像だから感じられるのだろうか。
「ベル……まだ本気出してなかったんだ」
「え……?」
わたしのつぶやきに、アナスタシア嬢が柳眉をひそめてこちらの顔を見やる。
「いままでリリベルは自分より速い人を見たことがなかった。だから彼女は本当の力を発揮したことがない」
「聞こえているの、リリベルさんの心の声が?」
「いえ、もちろんいまも、読心は使ってません。ベルの潜在意識が、なんとなく感じられるんです」
盛り上がりとしては最高潮に達していたゴールゲート前の観衆たちだったが、どよめきの質がすこし変わった。
リリベルの速度が上がっていくのだ。激しい勢いで詰まっていたマーズさんとの距離の差、その数値の減少速度が鈍っていく。
380……385……リリベルはさらに増速。
『こ……これは?!! 手もとの計算では、この速度遷移のままだと完全に同着になるぞ!!!?』
実況さんがなかばパニックを起こしたように叫び、スタンドの観客たちもボルテージの限界を超えた。
もう、すぐとなりにいるアナスタシア嬢とも会話できない。
が……アナスタシア嬢はなにかに気づいたらしく、深刻な表情でくちびるを噛んだ。一瞬後に、わたしも彼女の焦慮の意味を察する。
「そっか……ベル、無改造の市販品じゃ、あなたの本当の力には耐えられない!」
思わず叫んだけど、この状態ではだれにも聞こえるわけがなかった。
すさまじい轟音が、狂躁状態で湧きつづける観衆の大歓声すらしのいで響き渡った。
摩天楼街外縁を螺旋状に六周まわりきったリリベルとマーズさんが、最上層に達したのだ。
ゴールゲートまでは残り500メトラ。
しかし、そこでリリベルのエア・グリーヴが、内側から火花を噴きながら砕け散る。爆発の大きさは、中間休憩地点であるドラゴンハート市中央消防署手前のときの比ではなかった。
「ベル!!!」
満場の歓声が、刹那の無音化、ついで悲鳴に変わる。
リリベルの60メトラほど後方にいたマーズさんも表情を変えたが、さすがに急には止まれない。
飛行術の停止と同時に、衝突防止のための軟降下が起動。またしてもリリベルは12Gで急制動される。
マーズさんはライド・ランスの穂先を傘状に物理変形させ、フルブレーキをかけながらゴールゲートを通過。
緊急回線を開いたマーズさんの声が、最上層中に響いた。
『レースの中止を! 後続をデッキ上に進入させるな!』
マーズさんはゴールゲートを300メトラほど行きすぎてから旋回。戻って、空中のリリベルを収容しようというのだろう。衝突防止のために、つぎに摩天楼街を昇ってくるクロエさんたちを止めるよう要請する。
主催者席のグランプリ実行委員会の人たちがうなずきかけたところで。
『ナシナシ! だいじょうぶやから! 中止とかせんといて!!』
回線に割り込んだのはリリベルだった。大声を出しながら両手両足を振って、無事をアピールする。
わたしは素直にほっとして、停まっていた心臓がまた動き出すのを感じた。いやさすがに心停止はしてないか。
無推力になったリリベルは、空中で一回転しながらゴールゲートを通過して、しっかりと両足で着地。
「ベルっ!」
わたしは駆け出していた。飛びついたわたしを、リリベルはしっかりと抱きとめる。
「だいじょうぶやって」
「ほんとうにどこも痛くない?」
「うちがどっか骨折ってないかとか心配なら、なして突撃してくるんよ?」
肩を震わせながら笑うリリベルに、たしかに行動の整合性がないと気がついてわたしは沈黙した。
……だが、ドラゴンハート市中央消防署のときは600メトラを推力なし3.2秒で減速しながらたどり着いたのに、いまはゴールまで500メトラだったにも関わらず、5秒以上かかったのだ。あの大きな爆発が、リリベルの軌道を激しく乱していたのはまちがいない。
それでもリリベルがなんともなさそうなのは、フライスーツの防護性能の高さのおかげだろう。
わたしたちの頭上を、ゼファー先輩、つづいてクロエさんが通過する。マーズさんはリリベルの無事を確認して針路を変更し、ふたりとの衝突を避けていた。
「ティカやろ、ストップかけてくれたんは」
と、唐突にリリベルが言い出したので、わたしは戸惑いながら親友の顔を見返す。
「え……?」
「ポンコツじゃうちのフルパワーに耐えられひんぞって」
「いや、あの状態でだれにも聞こえるはずは……」
「うちには聞こえたで。パワー落とさんかったら、足持ってかれてたかもしれへんな」
脱ぐまでもなくほとんど原型をとどめず剥離しているエア・グリーヴの残骸を見やりながら、リリベルはそう言った。
わたしは……あのときとっさに精神伝言を使ったのだろうか。いや、封魔具はちゃんと装着したままだ。というか寝るときも、お風呂に入るときも外せない。行使制限魔法である精神伝言が発動するはずはなかった。
ありえるとしたら、上空からレース全体を見守っているオルシールアイクスが、リリベルの魔具が危険な状態であると察知して、警告を出してくれた? リリベルには、それがわたしの声に聞こえたのだろうか。
はるか高空で、午後の陽射しを浴びてきらめいている大真竜を見上げたわたしへ、リリベルは怪訝そうな目を向ける。
わたしたちのほうへ、アナスタシア嬢が歩み寄ってきた。
「インシデントは起きたけれど、レースは成立よ。優勝はマーズもと曹長。そしてリリベルさん、あなたが準優勝」
「飛行術使こてない状態でゴールしても、有効なんですか?」
「ゴールゲート通過まで着地せずに空中を移動したのだから、文句のつけようのない完走よ」
「ほな、ええか」
相変わらずリリベルは、細かいところにこだわらない子だった。




