2—12:音の壁の向こうで
ドラゴンアイ空港からドラゴンハート市中央消防署へ瞬間転移で移動したわたしたちは、レース中継を見守りながらリリベルの到着を待った。
今日のグランプリ・レース本戦は、首都高空を旋回する聖銀竜オルシールアイクスの千里眼によってモニタされているので、ボットによる予選中継のときとは比べ物にならないほど精細な映像だった。
画質的に高解像度なだけではなく、魔力や選手各人の意識の流れすら細密に中継されているためなのか、わたしには競り合うレーサーたちのやりとりまでもが聞こえてきていた。音声としては拾われていないのに。
〈マーズ、きさまはなぜ軍時代の実績を申請しなかった!?〉
〈俺は自分の力だけでどこまでやれるのか試したかった。軍には感謝しかない、逆心があるわけではないんだ〉
〈……それは、きさまは単騎で、自分たち全員に勝てるという意味なのか?〉
〈そこまで思い上がっているつもりはないよ。ただ飛びたいんだ、純粋に。軍の威光に頼らない俺自身の力を知りたい〉
〈傲慢だっていうんだよ、それが!〉
現役空兵のレーサーひとりと、もと空軍所属のプロレーサーがふたり、マーズさんへ強烈なチェイスをしかけていた。直接激突こそしないまでも、至近距離まで幅寄せしたり、前方をブロックしようとしたりしている。
マーズさんは機敏なライド・ランスさばきで、高度を変え針路を変え、前を塞がれたりコースアウトさせられそうになるのを躱す。
さらにふたり、空軍関係者が迫ってきた。現役女性空兵と、今年レーサーデビューをしたという、経歴としてはマーズさんと同じようなもと空兵だ。
〈せめてクロエにはっきり伝えなさいよ! もう終わりなのか、力試しをすませたらいっしょになるつもりなのか。宙ぶらりんで一年以上も放置するなんて!!〉
〈別れたんならさっさと彼女を解放しろってんだ、順番待ちがあるんだからよぉ!〉
……なんか、思ってたよりは深刻じゃなさそうだな、マーズさんと空軍のみなさんの確執って。
「ペティ……? どうしたの?」
リリベルの中継ではなく、マーズさん周辺の映像に見入っているわたしへ、アナスタシア嬢が怪訝げな声をかけてきた。……やっぱり、聞こえてるのはわたしだけか。
口の動きが見えるほどの寄りの映像ではないから、読唇術で会話を読み取れるってわけでもないし。そもそもわたし読唇術なんか使えないし。
「マーズさんと空軍関係者の人たちが言い合いしている内容が、聞こえるんですよ。……幻聴じゃないと思うんですけど」
「それは……ペティ、あなたものすごく感度が高いのね。心理術者であっても、音声が入っているわけではない遠隔中継から声を聞き取れるなんて人はほとんどいないわ」
「おかしなことではない……?」
「オルシールアイクスの千里眼には、視覚だけではなく魔力的、心理的な情報も含まれているのは事実よ。有事には当然それらの内容も解析される」
「……ほへえ、そうなんですか」
アナスタシア嬢はさすがに物識りだ。上級真竜が中継する映像を見る機会なんて、これまでなかったからもんなあ。
マーズさんは空軍関係レーサーのみなさんに絡まれているので、一直線の高速飛行ができていない。これも、アナスタシア嬢がプランのうちに計算していたことだ。
リリベルはその隙に、1000メトラ近い距離をリードしていた。……だが、意外なことにひとり旅ではない。
〈ふぅん……ほんの二ヶ月でずいぶん速くなったんやな〉
〈リリベル嬢、きみには感謝してる。あの完敗のおかげで、僕は一皮むけたよ〉
〈そりゃけっこう。わざわざ都くんだりまで出てきて、だれひとりうちと競り合える飛行術者がおらへんかったら、やることなくて途方に暮れるトコやったし〉
海からドラゴンテール川を遡りつつ、前を行くリリベルにアルドヴェイン=ゼファー先輩が食い下がっている。学生でありながら優勝候補筆頭とされているのは伊達ではなかったか。
というか、シニア・クラスに特別参戦したレギュラー・シーズン終盤で連勝できたのは、リリベルにボロ負けして発奮したからこそってことなのかしら。
ゼファー先輩の飛行魔術焦点具はフライング・マントル。外套状の魔具で、飛行速度に応じて翼として広がったり、ときには円錐状の人間投槍と化して急降下したりもできる、対応可能な局面の広いすぐれた装備だ。ただし、あつかいは極めて難しいとされている。
〈……なあ、リリベル嬢、僕はまだ諦めてないよ。軽薄な気持ちできみに声をかけたわけじゃないんだ。きみは速い……そう感じたからこそで、僕の見る目に間違いはなかったわけだし、だから……〉
〈そういう話は、うちに勝ってからすることやね〉
横に並びかけながら相変わらず口説こうとするゼファー先輩をすげなくさえぎり、リリベルは最大推力を発揮した。
一気に超音速に達し、ゼファー先輩をぶっちぎる。
「これ……三度目のスパート?」
「リリベルさんの現在位置からここまではあと23160メトラ。くるわよ」
アナスタシア嬢がそういって、屋上へ向かうべく階段を駆け昇りはじめた。わたしもあわててあとを追うけど……リリベルの全速全開は秒速376メトラで、維持できるのは一分間なんだから……あれ?600メトラ足りなくない??
「アナさま、ベルってばスパートかけるのちょっと早すぎたんじゃないですか?」
「合ってるわよ。超音速のままこの建物の屋上にたどり着いても、止まれないでしょう?」
「あ……」
言われてみればそうだった。最後のスパートでエア・グリーヴが灼き切れるまで攻めに攻めて、飛行術が停止すれば、市街地全域に展開されている軟降下が作動する。
軟降下という名称ではあるけど、その目的は高所からの落下物が危険をおよぼさないようにとか、投身自殺を防止するだけではない。狙撃だとか投石やらも阻止するためなので、水平方向その他への運動エネルギーも軽減する。
当然、飛行術が切れたレーサーの身体も例外ではない。推力と制御を失った高速飛翔物体がなにかに衝突して被害をもたらさないよう、急減速されることになる。
都市のインフラ魔法をブレーキに利用しようっていうわけか。
ドラゴンハート市中央消防署庁舎の屋上に出た。航空部隊として有翼馬に乗る機動騎馬隊を擁するドラゴンハート警視庁同様、ドラゴンハート消防庁も緊急用の飛行救急搬送班、飛行消防隊を備えている。
屋上はその発着場所であり、広い水平のスペースが確保されていた。
「あと10秒」
アナスタシア嬢がそう告げる。わたしの目にはまだ見えない。
「9……8……7……6……5……4…デバイス限界」
と、アナスタシア嬢がいうと同時に、南のほうの空に火花が奔った。
そこからはわたしの目でも見ることができた。突如炸裂した閃光を背景に浮かんだ点が、またたく間に大きくなっていき……人であることがわかるようになって……。
壊れたエア・グリーヴを脱ぎながら、リリベルがこっちへ突っ込んでくる。
右足の魔具を投げ捨て、左足のグリーヴのトグルラッチをひとつ外し、ふたつ外し……
「ティカ、受け止めやっ!」
「へ……ふぁにゃっ!!?」
まともに正面衝突した。軟降下で充分減速されているから、早足で飛びついてきたのと同じくらいのスピードとはいえ。
リリベルにショックアブソーバーとして使われたわたしは、思い切り消防署屋上の床面に押し倒された。床材は固い石材やコンクリートではなく、ラバー張りなのでちょっとおしりが痛いだけですんだけど。
「ベル、あなたはさあ……」
「おしゃべりはレースが終わってからになさい」
思わずリリベルにお説教しかかったわたしだったけど、エア・グリーヴを手にしたアナスタシア嬢が割り込んできたのでわれに返った。
そうだった、いまは音速で競うレースの途中なのだ。停止している時間が一秒伸びるごとに、これまで稼いできた貯金が無駄になってしまう。
アナスタシア嬢がリリベルの右足に手早く新しいエア・グリーヴを履かせているあいだに、わたしとリリベルで脱ぎかけのグリーヴから左足を引っこ抜き、新品を装着する。
さらにアナスタシア嬢が取り出したのは、フライスーツだった。リリベルが、蛹から羽化する蝶のようにフライスーツを正中線部分から引き裂きながら脱ぎ捨て、アンダーシャツとハーフパンツ姿になって替えのスーツに滑り込む。
いつの間にやら、わたしたちの周辺に対視覚防壁が張られていた。アナスタシア嬢が幻術魔具を作動させてくれたみたい。リリベルはそういうのあんま気にしない子だけど、たしかにこんなオープンスペースで下着姿になるというのは、歳ごろの娘として適切じゃなかった。
……わたしだけじゃ、こういうのまったく気がまわらなかったなあ。アナスタシア嬢に協力してもらってよかった。
高速着用の効果で、ゆったりだったフライスーツが、たちまちリリベルの身体のラインに合わせてフィットした。あとで聞いた話だけど、脱いだときのも即時脱衣による繊維の自己分解作用だったらしい。事故のさいに迅速な救命措置を行えるよう、フライスーツには標準搭載されているのだそうな。
ブラインドを取り払って、アナスタシア嬢がリリベルへ声をかける。
「あと半分、頑張ってね、リリベルさん」
「ベルなら優勝できるよ」
とっさだったので、わたしは月並みなことしかいえなかった。
「ほなつぎは、摩天楼街最上層でな!」
リリベルは手を振りながらにこっと笑って、消防署屋上の床面を蹴り、宙へと飛び上がる。新品のエア・グリーヴをさっそくフルパワーで酷使し、たちまち音速に達した。
見送っている時間はない。これからどんどん後続の選手たちが降りてくるから、用がすんだら場所を空けなければならないのだ。
わたしたちがリリベルの装備一式を交換しているうちに、ゼファー先輩も消防署庁舎屋上に降りてきていた。ゼファー先輩は魔具を取り替えたりはせず、エナジードリンクを一本飲んですぐレースに戻るつもりらしい。
まだセーフティリードとはいかないみたいだ。
アナスタシア嬢とわたしは、ドラゴンハート市中央消防署庁舎の非常用瞬間移動ゲートから、ゴール地点である摩天楼街へと転移する。
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「そういえば、アナさまはどうしてフライスーツの替えまで用意されていたんですか?」
摩天楼街の緊急用瞬間移動ゲートは、空中庭園の下部、機関室に設置されている。最上層行きの昇降機の中で、さきほどのリリベルの装備交換についてアナスタシア嬢に訊ねてみたら、思ったより怖い話を聞くことになった。
「リリベルさんは超音速、時速にすれば1350キロメトラ以上のスピードから、わずか3.2秒のあいだに600メトラの制動距離で急ブレーキをかけた。彼女の身体にかかった荷重は12G、生身であれば内臓が複数破裂して、眼球も眼窩から飛び出してどこかに行ってしまうような異常減速よ」
「え……」
「フライスーツには非常に強力な耐慣性魔法がかかっているけれど、12Gはほぼ設計限界。見た目ではとくに変わったように見えなくても、消防署の屋上にたどり着いた時点のリリベルさんのフライスーツからは、もう超音速飛行に耐えるだけの強度が失われていたの」
「アナさまがお手伝いしてくれなかったら、わたし、換えのエア・グリーヴとかフライスーツとか、なにも準備してませんでしたよ……」
もしリリベルとわたしだけのチームでグランプリ・レースに挑んでいたら、単に勝てないだけではなく、リリベルの身を危険にさらしていたとは……。
顔から血の気が引いたわたしに対し、アナスタシア嬢はかぶりをふる。
「わたくしが換えのエア・グリーヴを用意するなんて真似をしなければ、そもそもフライスーツの強度ギリギリの急制動をかけるようなレースプランもなかったわ。仮にわたくしが参加していなかった場合、リリベルさんは10分間のうちに三度の全速力を出す無難な作戦で、それでも一位か二位になれたでしょう。ペティが気に病むようなことはなにもないのよ」
「フォローありがとうございます」
アナスタシア嬢はこう言ってくれたけど、わたしのサポートじゃリリベルの実力を十全に発揮させることができないっていう事実は変わらないなあ。
地上から900メトラ、最上層に到着した。昇降機の扉が開く前から、ものすごい数の観客で盛り上がっていることがわかる。
わたしたちは仮設スタンドのわきを通り抜けて、ゴールゲートわきのスタッフ待機エリアへ。
メインの投影モニタには、リリベルがトップを維持したまま、あと2000メトラほどで摩天楼街へ到達するという場面が映し出されていた。
摩天楼街のひとつまえのセクションは、官庁街と高級住宅地の上空。直線は300メトラとつづかず、急角度のコーナーが連なっている。リリベルのエア・グリーヴからすれば、本来得意とするタイプのコースだ。リリベルはグリーヴ使いでありながら直線番長で、小まわりを利かせるのも、できないわけじゃないけど好きではないらしいが。
大会パンフレットによると、グランプリ・レースのコース設定は毎年変わるが、連続コーナーセクションは必ず最後の山場の前に入っているのだという。15年前に摩天楼街が完成して以降、最後の魅せ場はこの巨大楼塔群の外周を翔け昇るセクションで固定されているから、その直前となるシケインセクションも実質固定というわけだ。
最高速度こそ音速におよばないが技巧派のレーサーが、シケインで先行のスピードスターを抜き去って逆転するシーンは、とくにその道のクロウトにとってはたまらないのだとか。
このセクションでは、最高スピードはせいぜい秒速200メトラしか出せない。
リリベルから遅れること三秒、距離にすると600メトラほどの地点で二位争いを繰り広げているのは、アルドヴェイン=ゼファー先輩と、クロエさんだった。
ゼファー先輩のフライング・マントル、クロエさんの光の翼、ともに直進性能と旋回性能を兼ね備えた上級者向けの魔具だ。
連続コーナーセクションに入ってから、クロエさんとゼファー先輩はリリベルとのタイム差を四秒ほど詰めている。このセクションがあと5000メトラ長かったら、追いついていただろう。
最大の難敵であるマーズさんは……二位グループからさらに遅れること三秒半、単独四位だった。シケインゾーンに入ってから、軍関係のレーサーたちを全員振り切ったらしい。
マーズさんはライド・ランスの基部近くに設けられているステップから足を外し、握力だけで柄にしがみつきながら、コーナーに差しかかるたび槍身に蹴りを入れて、強引に90度以上曲がっていた。
……なるほど、いまは速度が低下しているから、ランスから身体が大きく離れても危険はないのか。予選のときのような、超音速飛行中では逆にできないことだ。
まさかマーズさんが、ライド・ランス使いでありながら急角度コーナー連続エリアのほうが強いとは思わなかった。
「……想定外だったわね」
と、このセクションでこそリードを稼げるだろうと計算していたアナスタシア嬢もつぶやいていた。
それでも、リリベルはマーズさんに対し、ほぼ五秒のリードを保って最終セクションに入ることができる。勝てるはずだ。
リリベルがついにシケインを抜け、摩天楼群のふもとに達した。即座に最後のスパートをかけ、10G加速で音の壁に迫る。
クロエさんとゼファー先輩が最後のコーナーから出てきたときには、もうリリベルは超音速に達していた。




