2—10:嵐の前のお祭り騒ぎ
ロン・ドゥレーゼン家お抱えの超高級車でヌール寮の前まで送ってもらって、わたしたちはアナスタシア嬢と別れた。
Fグループの予選が行われる明日、グランプリ・レース本戦前の全休日である明後日、その二日間でアナスタシア嬢が立案してくれた作戦どおりの飛行をできるようにして、優勝を目指すのだ。
……ぶっちゃけ、わたしはいる意味あんまりないですね。
リリベルがロジカル板に表示されているデータとにらめっこしているという場面はこれまでなかったので、寮生のみんなも興味しんしんの顔で集まってきた。
「なにこれ?」
「グランプリ・レースでの各有力選手の動きの予測と、ベルはどこでスパートかければ優勝できそうかっていうシミュレートですね」
と、マリンに説明したところで、メルモーズ先輩が感歎の吐息をつくのが聞こえた。そういえば彼女も理論術者だったっけ。
「すごいねこれ。だれが組んだの?」
「三年のロン・ドゥレーゼン先輩です」
「……首相令嬢の?」
「はい」
「ひゃあ」
アナスタシア嬢と知り合いだっていうと、みんな感心するんじゃなくて引くのはどうしてなんだろう……。
「ていうかさ、ティカがベルに心理術かけるのはナシなの? 最速の魂インストールみたいな」
マリンがだれでも思いつくようなことを言ったけど、首を左右に振る。
「良い心理術と悪い心理術があるわけじゃなくて、とにかく他人に使っちゃだめなんです」
「じゃあ、なんのためにあるのよ心理術って」
「飛行術が自由に使えないのと同じで、適切な場面と用途にかぎられてるだけですよ」
正式な処方のもとで、心理術療法を受けることはできる。病的な域の強迫観念を緩和するとか、日常生活に支障をきたすほどのP T S Dを抑えるとか。
とはいえ、「極度の緊張症を治してほしい」と希望した受験生へ、記憶埋込が使われて、直接脳内に試験範囲の全部が書き込まれたとしたら、それはカンニングだ。わが子を一流校へ入れようと、親御さんが袖の下を渡して施術させていたら、当人は自覚がないわけで、摘発もひと筋縄ではいかなくなる。
けっきょく、一番厳格な試験は多重の禁呪結界で覆われた魔術的暗室で行われることになるし、スポーツの場合は心理術一律禁止がレギュレーションになりがちだ。
まあ、試験のカンニングに関しては、心理術使う以外にも手段はたくさんありますけどね。だからこそ試験会場は全魔法禁止空間にされるわけで。
……タブレットの画面上では、グランプリ・レース最終盤、摩天楼街にトップでたどり着いたリリベルを、マーズさんが激しく追い上げていた。
ロン・ドゥレーゼン家所有の山中の秘密コースで計測された、リリベルの最高速度は秒速376メトラ。リリベルはそれを一分間維持することができた。最高速を一分持続させるのがリリベルの限界というわけではなくて、魔具のほうがオーバーヒートしてしまうから減速せざるをえないのだという。
それなら、もっと高性能のエア・グリーヴに履き替えたらいいんじゃないの? とわたしもアナスタシア嬢も考えたけど、そもそもエア・グリーヴ装備で音速を突破したレーサーが、これまで公式にはひとりしかいないのだ。大推力を何分も発揮することを想定した設計ではなくて、さすがにあと二日で新型を用意するのは無理だという結論にならざるをえなかった。
マーズさんが使うライド・ランスについては、豊富なデータがあるとアナスタシア嬢は言っていた。軍用魔具がもとになっているだけのことはあり、空力特性、巡航能力ともに優れている。ただし、魔術師範学校のあたりから都心部へ向かう、摩天楼街手前のセクションは急角度のコーナーが多く、リリベルにとってリードを稼ぐチャンスだろうということだった。
グランプリ最後の山場である摩天楼街では、全体として巨大な柱のようになっている街区の外縁を、螺旋状に昇っていく。
ゴールとなる最上層まで六周するコース設定で、一周あたりの距離は3600メトラだ。つまりセクション全長は21600メトラ。
リリベルの最高速である秒速376メトラで21600を割ると、57.447秒弱で昇り切れる計算になる。60秒以内に収まっているから、リリベルはラストスパートで全速を出せる勘定だ。
対するマーズさんの最高速度のたしかなデータは存在しないわけだけど、仮の数値として、アナスタシア嬢は秒速402メトラと設定していた。これは、グランプリ・レースで史上最高速度をたたき出した伝説のレーサー、カジム=ハルニッシュのものだそうな。
なお、レーサーとして遅咲きだったカジム=ハルニッシュは五度グランプリに臨み、最後の挑戦でようやく栄冠をつかんで、男泣きに泣きながら優勝インタビューで引退を表明したそうである。そのときの最高速度は、もうピークをすぎていて秒速400メトラにおよばなかった。とはいえ駆け引きや風の読みでは老練さを増しており、まだまだ総合力では強くなれるのに、と当時のライバルたちはハルニッシュの引退を残念がったとか。
速さだけでは勝てない、という象徴的なエピソードといえるのだろう。
……余談はこのくらいにして、仮想マーズさんは摩天楼街六周を53.731秒ちょいで昇り切るという計算になる。リリベルとの差は約3.7秒。つまり、リリベルは摩天楼街に、マーズさんより3.7秒ほど先行して突入しなければならない。4秒確保できれば、おそらくセーフティリードだろう。
仮想のグランプリ・レースは決着し、レーザー計測の結果、2/100秒差でリリベルが優勝を飾った。
『おおーー!!』
シミュレーションだというのに、寮生のみんなはリリベルの勝利に盛り上がってくれたけど、当の本人は渋い顔をしている。
「希望的観測でのシミュでこれやと、本番は相当きっついやろな」
「アナさまは、マーズさんが史上最速よりさらに速いなんてことはないだろうって言ってたよ」
「どうやろな。うちの勘ピューターは、あいつはかつてないほどの飛ばし屋やぞ、ってささやいとるで」
理論派のアナスタシア嬢と、感覚派のリリベル、はたして正しいのはどっちなのか……。
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冬晴れの美しくも凍てつく蒼さの空に、大輪の光の花がつぎつぎと咲いていく。
幻術ではなく、火炎術による実体を持った花火だ。
さらに、アルケイナ連邦空軍演舞飛行隊が、一糸乱れぬ編隊曲芸飛行を披露しながらドラゴンハートのエンブレムを空中に描く。
ついに迎えたエアリアルレース・ドラゴンハーツ・グランプリの本戦開催日。魔術師範学校も全日休講で、エアリアル・レースにも、大規模イベントのお祭り騒ぎにも興味がない一部の陰キ……もといインドア派以外は、師範学校生も朝から繰り出している。
……まあ、リリベルが出場していなかったら、わたしこそが陰キャ代表として、休講日を有意義に使おうと世間の喧騒から目を背けていたでしょうけど。
いかに180キロメトラの長大なコースといえど、平均秒速300メトラでかっ飛ぶのだから、レース自体は10分ほどで終わってしまう。グランプリの発走は午後二時だけど、それまではさまざまな余興で、詰めかけた見物人の皆さんを楽しませる趣向となっている。
リリベルは、レース前に精神がナーバスにならないよう独りで瞑想する必要のあるタイプではないので、余興のお祭り会場で楽しむ気まんまんだった。同行するのは、わたしと、いちおうはチームスタッフであるアナスタシア嬢、そしてなぜかマリンがついてきた。
グランプリ・レースに出場する選手であるから、スタート地点であるドラゴンアイ空港周辺からそんなに離れることはできず、もっとも盛り上がっている摩天楼街には行けないけど。
今日はアルケイナ市内のみならず、周辺地域の空路も一般飛行禁止になっているので、空港も本来の機能としてはお休みだ。完全にイベントスペース。
とにかくいろんな出店が並んでいる中で、やっぱり目立つ、そして気になるのは、食べ物のスタンドだ。もっとも、朝食は寮で摂ってきたし、これからレースに挑むリリベルは、あまりお腹をたぷたぷにするわけにもいかない。
午前のおやつ兼ランチをいただいてから、リリベルをランウェイに送り出して、わたしたちはスタッフ席、マリンは応援席から見守ることになるだろう。
ワッフル、チュロス、アイスクリーム、ホットドッグ、フィッシュアンドチップス、ケバブサンド……
マリンは「あれも美味しそうこれも美味しそう」といって、ワッフルを食べチュロスを食べ、さらにホットドッグを手にしていた。
リリベルはレース前にタンパク質を補給したいと、フィッシュアンドチップスのスタンドのおっちゃんと、なにやらやりとりをしている。
魚の種類が選べるらしい。
「おっちゃん、オヒョウ一丁。衣は剥ぎ取ってや」
「ウチのは衣まで美味いぞ嬢ちゃん」
「レース前でなかったら食べたいんやけどな」
「……レースて? あー、どっかで見たことあると思ったら、予選レコードのリリベルちゃん!」
「事情わかってもろたら、悪いけど注文どおりにしてくれへん?」
「サイン書いてくれたら、衣ぶん値引きさせてもらうよ」
決勝レース直前の選手がこんなところをうろついているだなんて、ふつうは思わないだろう。おっちゃんはどこに準備していたやら、ペンと色紙を手にサインをせがんだ。
「しゃあないな」
リリベルは色紙を受け取って、すらすらっとサインを書いた。単なる署名ではなく、自分のスペリングを翼に見立てて意匠化した、しっかりとデコの利いているサインだ。
何年かしたら価値が出るかもしれない。よかったねおっちゃん。
安くする、といわれたらリリベルは乗ってくると読めていて、どうやらおっちゃんは、西のほうの人のあつかいかたを心得ているみたいだ。大規模イベントに合わせて臨時出店してきたわけではなく、ふだんから空港で
ほうぼうからやってくる旅行者やビジネス客の相手をしているのだろう。
衣なしの白身部分だけをもらって、リリベルがはふはふと“フィッシュ”を食べはじめた。“チップス”は、わたしとアナスタシア嬢、マリンでわけることに。
「ところで、なんでハリブット指定なの?」
「タラやカレイより、オヒョウのほうがより低脂肪で高タンパクなんやで」
マリンの疑問に、リリベルはさらっと答える。
……そうなんだ。タラもカレイも、どっちも淡白なお味のお魚っていう認識しかありませんでした。オヒョウはでっかいカレイだなあ、としか。この前ヌール夫人が料理してたから、見たことはあるんだけど。
決勝レースに出場する選手がいると気がついて、今度はフィッシュアンドチップスのスタンドのとなりで、アイスやフラッペを売っていたおばちゃんが声をかけてきた。
「お嬢ちゃんたち、サービスするからさ、ウチのもぜひ食べていってよ。……それで、一枚写影撮らせてもらえないかねえ?」
おばちゃんの提案に、
「写影一枚で負けてくれるいうなら、うちはかまひんけど」
「撮る撮るー。お店のネット宣伝ページに貼るんでしょ? チャンピオン・リリベルとそのご友人ってさ」
リリベルとマリンは乗り気だ。
「わたくしは遠慮させてもらうわ」
アナスタシア嬢は、当然といえば当然の回答。フィッシュアンドチップス屋のおっちゃんも、アイス屋のおばちゃんも、彼女が首相ロン・ドゥレーゼンの娘だとは気がついていないようだけど。
わたしはどうしよう。べつに目立ちたいとは思わないものの、顔を隠さなければならないような大物のつもりもない。
リリベルとマリンはわたしがいっしょに撮るものと決めてかかっていて、おばちゃんが出してくれたスペシャルセットを前に、センターとその右に陣取っている。
アナスタシア嬢は無言のままながら「あなたは将来アルケイナの要になる人物なのだから、不特定多数に顔をさらすべきではないわ」と目で語っていた。
……そうですね、あえて撮ってもらいましょう。わたしはアルケイナ情報機関の特務隊員として、影の仕事をやるつもりはないので。
スペシャルセットは、グランプリ・レースの舞台となるアルケイナ市全域をスイーツで表現した、すごく豪華なものだった。
抹茶アイスが緑地を、ミントアイスが海を、チョコレートやキャラメルのアイスが道路や街区をかたちづくっていて、散らされたシュガーパウダーが薄っすらと積もった雪を再現している。クランベリーのシャーベットが配置されている一角があって、魔術師範学校の特徴的な赤い屋根だなとピンとくるなど、芸が細かい。
そして、摩天楼街はひときわ高く、ホワイトチョコのパフェになっていた。
縮尺や高度はかなりメリハリがつけられているけど、航空写影をもとに、製菓職人さんがそうとうの手間をかけて作ったものだろう。
「これ、グランプリ・レースに合わせてディスプレイ用に作った、特製ですよね。食べちゃっていいんですか?」
ちょっと気が引けたので訊いてみると、
「どうせ今日のレースが終わったら、最後のセールでバラしてご奉仕品になるモンだったのさ。決勝に出場する選手がきてくれたなら、そちらさんに食べてもらうほうがいいじゃないか」
というのがおばちゃんの回答だった。それなら、遠慮なくいただきますか。っと、その前に撮影か。
「ドラゴンハートの頂点、獲るで」
『おー!』
ゴール地点である摩天楼街を模したパフェ、そのてっぺんにリリベルがスプーンを突き立てる。そのシーンで、おばちゃんが携帯端末の写影モードで一枚画像を撮影。
つづいて、マリンが自分の端末をおばちゃんに預けてもう一枚撮ってもらった。わたしとリリベルは私用の端末を持っていなくて、必要に応じてレンタルしているから、あとでマリンから個人用情報保管庫に転送してもらえばいいだろう。
撮影は固辞したアナスタシア嬢も食べるのには加わって、四人で美味しくグランプリ・スペシャルをいただきました。
……お味はごくふつうの、どこにでもあるアイスとパフェでしたね。いろんなフレーバーを楽しむことができてお得な気分でした。
これからレース本番のリリベルはあんまりたくさん食べられないので、わたしとマリンでかなり片づけることに。もうランチぶんカロリーオーバーだわこれ。
まわりのスタンドの人たちがさらに集まってきたけど、ごめんなさいさすがにもうお腹に入らないと、謝らなければならなくなったり。
とりあえず、空港エリアの一部スナックスタンドの皆さんは、こぞってリリベルファンクラブの会員になってくれました。
……さあ、いよいよグランプリ・レースがはじまるよ!




